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『失われたものたちの国』刊行記念イベント終了

 『失われたものたちの国』の刊行記念イベントが、無事に終了。タイミング的に台風の影響なんかもあったりで、どれだけ席が埋まるのかものすごく心配だったけれど、最終的にはだいたい埋まったと言っていいのかな。そして、本がびっくりするくらい売れたので本当によかった。出版社が用意していった分、ほとんど売れたのではないかと思う。こんなことは今だかつてなかったのでびっくりした。前日の締切に追われて準備不足のまま不安になりながら臨んだイベントだったのだけど、ご来場のみなさまと、主催してくださった東京創元社のみなさま、そして会場となったエスパス・ビブリオのみなさま、本当にありがとうございました!

 トークについては、まあ今まで動画とかでも話してきたような内容とかなり重なったので、これはもう問題なく楽しかったのだけど、それより楽しかったのはやはり朗読だろう。物語の面白さを伝えるとき、「こういうところがこうこうこうで、こんなふうに面白くてさー!」なんて説明するよりも、やはり現物を見せてしまうのがいちばん手っ取り早いわけなのだけれど、朗読にはそれをドドンと提示できる魅力があると思う。日本には翻訳家の数こそ多いけど、朗読をやる人がちょっと少ない。でも、翻訳家や作家の活動のひとつには朗読もあってほしいと思っている。

 文芸はものすごくプリミティブなもので、なんなら言語が生まれたころにはもう洞窟の中で物語が語られていたのではないかと想像がつくほどに古い原点を持つ文化だと思うのだけど、もしそうだとするならば、朗読すること、つまり物語を肉声で語り聞かせるということは、文芸という文化の重要な、決して無視できない屋台骨になっているのではないかと思う。だからこそ、デジタル化も著しい今みたいな時代においてはそういう原点に立ち返るような面白さがあるというか、もしかしたら物語にとってそういう伝え方は欠かすことのできないものなのではないかとも感じる。

 あと、翻訳や執筆という表現方法はとにかくライブ感に欠ける作業で、ともすればミュージシャンの方々が「2階席元気ねえぞー!」「イエーーーー!」とかお客さんと掛け合いやってるのを見ると羨ましかったりもするのだけど、朗読は、物書きにとっていちばんライブ感のある表現方法だと思う。もっと楽しんでもらい、もっと好きになってもらえるシンプルな要素がここにはあるのではないかと感じている。「料理の味を文字や文章で語るよりも、実際に食べてみて!」みたいな感じなのかな。

 翻訳という作業は、朗読にとても近い。どういう声色で、そしてどんな口調でキャラクターに語らせるのか。重要な部分ではどんな語りで読者を引き込むのか。部分部分をどんなスピードで読者に伝え、あちらこちらどんなふうに間を置いて読者を待たせればいいのか……。などなど、翻訳しながら考えることは非常に多いのだけれど、朗読もまたそれと同じだと思う。そして僕にとっては、翻訳したときに考えたそうしたものが果たして本当に通じるのかという答え合わせのような側面もある。とてもおもしろい。今回はたぶん10年振りとかだったので、残り2ページくらいでちょっと集中力がもたなくなって何箇所か噛んだけど、やっぱりとても楽しかった。つたない朗読ではあったけれど、最後まで聞いてくださった来場者の方々、本当にありがとうございました!

 トークも朗読も、また機会があれば、そして機会を作ってやっていきたいと思っている。翻訳というマイナーな表現ジャンルにおいては集客も難しいけど、まあそれは当然なんだよね。なんたって、ほとんど開催されない類のイベントで、文化として定着していないのだから。今はまだ、定着していない中でのゼロ地点という理解をして、少しでも「あたりまえ」にしていけたらとてもいいよなと改めて感じた。海外小説はどんどん部数も減りつつある斜陽産業みたいな感じになってきているけど、それにあらがうためのひとつの手段として、こういうライブは続けてみる価値があると感じているし、他にももっと「やってみよう」という翻訳家さんが出てきてくれるといいなと思っている。売れない売れないと嘆いているだけでは、やっぱりちょっと寂しいものね。

 今回の反省点は、事前に想定していたよりもゆっくり読みたくなってしまったこと。おかげで読みながら「あ、これ時間押しちゃうわ」と思って、随所すこしだけ急いでしまった。もうちょい時間かけたかったけども、まあそれは次回ということにしよう。

 とにもかくにも、閑散とした寒いイベントにならずに済んで本当によかった。関係者と来場者のみなさまには、改めてありがとうございました!

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