大斎原と熊野本宮大社
現在の熊野本宮大社から徒歩で約5分ほどのところに、大斎原(おおゆのはら)といわれる旧本宮大社跡があります。
熊野本宮に観光に来られる方の中には、ぜひおすすめしたい場所の一つです。
参道の先に見える大鳥居が圧巻です。
3所の熊野の一つである熊野坐神社=本宮は、主神をケツミコ神(家津御子神)といい、神仏習合の本地仏は阿弥陀如来です。
ケツミコ神を祀る本殿は証誠殿(しょうじょうでん)と呼ばれ、三山の中でも特別なものと見なされていました。
熊野本宮の社殿は、1889年に洪水で社殿が流されるまで、音無し川と岩田川、そして熊野川の合流する河原である大斎原に建てられていました。川べりに建てられた建物が、明治まで一度も水害に合わなかったとは考えにくいため、おそらくはこれまでも度々、洪水で流されては立て直しがされていたのでしょう。
大鳥居を潜ると、左右を木々に挟まれた参道が続きます。そこを真っ直ぐ進むと本殿跡に、左手の道へ折れると川にでます。
古来の道行では、熊野古道の終わりに森を抜けると目の前に川が広がり、その向こうに木々の間から社殿が見えたのだと思います。
参拝客は着物を着たまま、川を歩いて渡るのが決まりだったと言います。
これが一種の禊となったのでしょう。
そうして濡れたまま証誠殿へと詣でました。
静かに流れる川を背に振り返ると、河原でもそれと分かるよう、石で参道が造られており、左右には石塔が作られています。
この道を藤原定家や後白河法皇、あの崇徳上皇も歩き、一遍上人も歩いたのだと思うと、とても感慨深い思いがします。
※余談ですが、この川を道なりに歩いて行くと現在の熊野本宮に辿り着けると、境内の掃除をしているおじさんが言っていました。私はあまりの暑さでバテていたため歩けませんでしたが、涼しい季節に行かれた方は歩いてみても楽しいと思います。
境内は広く、土台の盛り上がりや階段の跡のようなものはありますが、基本的に建物の類はありません。
社殿あったところは四角く囲まれ、石の祠が並んでいました。
遷座はすれども、「ここが神域の中心だ」と静かに主張しているようです。
時が止まるような静かさに満ちた空間でした。
社殿跡を背にして右奥に、一遍上人の碑が建っています。
一遍上人は免罪符を配ることに疑問を持ち、証誠殿でケツミコ神の神託を聞き、自らの信仰の在り方に確信を持ったと言います。
また、熊野は浄不浄を嫌わず、として癩者の信仰も集めました。
※癩病は現在のハンセン病のことですが、当時の「癩」に分類された方の全てがハンセン病患者であったかは不明なため、ここでは当時の名前を使っています。
現在の熊野本宮も美しいですが、参詣の際はぜひ大斎原にも詣でてみてください。