マイペース
夏は蒸し風呂、冬は底冷え。この二点が我慢できれば、京都は住むのになかなかいい場所である。
今の私が、20年前の私に自慢できることがあるとすれば、京都で暮らしている、この一点に絞られる。日本史の資料集をめくりながら、うっとりしていた小学生の私は、この事実に喜んで踊り出すに違いない。
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京都という空間では時間がゆっくり流れている。この感覚は、住む年数に応じて、ますます高まっている。
ゆっくり流れている、ように感じる、とはつまりどういうことか。それは、時流によって自分のペースを乱されることが少ない、ということである。焦らず、マイペースに生活できる。
その要因は何だろう。時折考えてみるのだが、一つに、京都が「田舎」とも「都市」とも言い難い、中間の街であることが考えられる。
引用したのは、文化人類学者・今福龍太による都市論。この指摘をベースにして、京都が生み出す時間感覚について考えてみたい。
様々な国・地域が相互依存によって成り立っている昨今、自身の問題意識が住んでいる場所(とその周辺)に限定されないでいることは、とても重要である。
一方、この広範囲に届く問題意識は、焦りをも生む。「ここではない場所」の人々の間では、〇〇することが常識になっているらしい。でも私は、まだ手をつけられずにいる。はやく実行しなければ……。問題意識が強ければ強いほど、この焦りは高まっていく。
個人的な感覚では、京都に住んでいると、こういった焦りを感じることが少ないように思われる。もちろん、SNS全盛の時代、この焦りと無縁であることはありえない。でももし、SNSさえやっていなければ……。想像してみると、何だか楽しそうでもあり、恐ろしくもある。
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