”美しく書きやすい紙”とは―新春特別展 「書の紙」展|成田山書道美術館
皆さんは「書」と聞いて、どんなことを思い浮かべるでしょうか。「子どものころ書道教室に通っていた」「書初めの宿題が大変だった」「毛筆のきれいな字に憧れる」・・・などなど。
通常は「書」そのものについてだと思いますが、「書」が書かれた「紙」にどんな種類があり、それらがどのように作られて、書家の表現とどのように関係しているのか、ということまで思いをめぐらす機会となると、これまであまりなかったかもしれません。
成田山書道美術館は、日本史や古典の教科書で一度は見たことのある、著名な歴史的人物の「書」を多数所蔵しています。それらの「書」を彩るのが、様々な技法と加工工程を経て生み出された書のための「紙(料紙)」です。
ひと口に「紙」と言っても、「書道の紙なら、和紙でしょう」という声が聞こえてきそうですが、ではいったい何をもって「和紙」と言うのでしょうか。長い歴史を持つ中国の「書」が書かれた「紙」は「和紙」とどう違うのでしょうか。
本展は、奈良時代から現代までの古今の「書」の貴重な作品を展示するとともに、それが書かれた「紙」(専門的には「料紙」という)に施されている“加工”に焦点を当て、その「紙」がどのように作られたか、様々な加工の技術工程の一端を詳しく解説しています。
文具店などで販売されている半紙のような無地の「白い紙」(この“白い”、も何をもって白いと言うかも大きなテーマですが)、また染料に浸けたり、それを刷毛で引いたり、紙を漉く過程で着色を施したりする「染紙」、文様が刻まれた版木で摺られた「唐紙」、あるいは金銀の箔を撒いたり、継ぎ合わせたり、下絵を描くなどの装飾が施された紙、一部に違う色味の繊維を漉き込む「雲紙」など、加工にもじつに多くの種類があります。
また、墨で書くとき、その文字の“滲み”や、“かすれ”に手間取った経験はないでしょうか。それは単純に「墨の磨り方が足りなかった」、「筆に墨を充分に含ませていなかった」などではなく、その「紙」がどのように製造されたものかにも影響されるのです。
この“滲み”を止め、意図しない“かすれ”が生じないよう、滑らかな筆の運びを実現するべく、「紙」の平滑性を高めるのが「打紙」と呼ばれる加工方法です。
ごく簡単に言えば、文字通り「紙」を木槌のような道具を用いて打ち、「紙」を構成する繊維の微細な“隙間”を減らしていくと、書きやすい滑らかな「紙」が出来上がります。こうした多種多様な加工方法が複合的に用いられて、墨で書くための「紙」が製造されてきました。
今回の展示の見どころの一つは、一部の作品の「紙」の“加工の再現の試み”についての展示です。
伝藤原行成筆の「関戸本古今集」(平安時代 彩箋墨書)の「紙」の製造方法と加工の再現が試みられました。「関戸本古今集」の「紙」は紫、藍、茶、黄、緑などに染められていますが、当館学芸員の田村彩華さんが、「紙」の漉き方、染色の方法などを実際に「紙」を生成して検証しました。現物が展示されていますので、ぜひご覧いただきたいコーナーです。
「書」が書かれた「紙」の柔らかな色彩のバリエーションに、これまでは単に「きれいな色の紙だな」という印象で眺めていましたが、古の人びとの知恵と卓抜した技術力によって生み出され、受け継がれてきた、その色の成り立ちを知ると、まったく違った印象になって見えてきました。何より田村さんの熱意が静かに伝わってきて、この特別展に込められた想いを感じます。
そしてもう一つの見どころは、本展の「図録」です。今回の展示の「書」の作品写真と詳細な作品解説に加えて、関連する「紙」の製造技法と加工工程が、多数の資料写真とともに収録されており、大変充実した資料集にもなっています。
このほか、日本の紙、中国の紙についての論文や、“美しく書きやすい紙”にはどのような加工が施されているか、研究者の方々が豊富な写真資料とともに寄稿されており、「書の紙」の深遠な世界に惹き込まれました。
改めて考えてみれば、その「紙」が書きやすいかどうかは、実際に書いてみないことにはわかりません。長い「書」の歴史のなかで、美しく書きやすい「紙」をめぐって、紙を求める人びとと、技術を担う人びとの創意工夫が重ねられ、墨と筆と紙の調和が最高の状態になったとき、唯一無二の作品が生まれる、とも言えるのかもしれません。
2月11日(日・祝)には、「唐紙」についてのワークショップも予定されています。また2月3日(土)には毎年多くの人が訪れる「令和6年 成田山節分会」が開催され、2月17日(土)からは「成田の梅まつり」も開催されます(~3月3日[日]まで)。早春のひととき、成田山へお出かけになってはいかがでしょうか。
展示写真提供=成田山書道美術館
文・写真=根岸あかね