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上村松園と四条河原の夕涼み|偉人たちの見た京都

偉人たちが綴った京都にまつわる日記や随筆、紀行を通して、時代を超えて人々を惹きつける古都の魅力をお伝えする新連載「偉人たちの見た京都」。第1回は近代の京都画壇が生んだ女性画家・上村松園による「京の夏景色」です。美しい日本女性の姿を描き続けた松園の目に映る京都をご堪能ください(「京都市京セラ美術館開館1周年記念展 上村松園」が7月17日より開催されます。詳細は文末をご覧ください)。

京都の街も古都というのはもう名ばかりで私の幼な頃と今とではまるで他処(よそ)の国のように変ってしまってます。これは無理のないことで、電車が通り自動車が走りまわってあちこちに白っぽいビルデングが突立っている今になって、昔はと言っても仕様のないのは当りまえのことでしょう。(以下、太字はすべて「京の夏景色」より)

 こう語るのは上村松園。女性で初めて文化勲章を受章した、近代の京都画壇を代表する日本画家の巨匠です。代表作の「序の舞」は重要文化財に指定され、1965(昭和40)年には記念切手にもなっています。

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重要文化財 上村松園《序の舞》1936年 東京藝術大学蔵 ◎後期展示
能楽の舞を描いた作品。優美なうちにも毅然とした女性の気品を描いた

 松園は1875(明治8)年に京都の葉茶屋の家に生まれ、京都市内で育ちました。幼少のころから絵が大好きだった松園は、小学校を卒業すると、日本で最初に開校した京都府画学校(現在の京都市立芸術大学の前身)に入学。さらに、鈴木松年(しょうねん)の内弟子となって絵の修業に打ち込むようになります。

 若くして天才少女とも呼ばれた松園は、その後、竹内栖鳳(せいほう)に師事。各地の展覧会・博覧会で作品が高く評価され、またたく間に人気画家として世間の注目を浴びるようになります。しかし、女性であるがゆえに、激しい嫉妬や憎しみの対象となり、「血みどろな戦い」と本人が記すような日々を余儀なくされました。

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上村松園《焰》1918年 東京国立博物館蔵 ◎前期展示
光源氏の正妻である葵上に激しく嫉妬して生霊になった六条御息所を描いた作品。凛とした清らかな美人画を描き続けてきた松園だが、40代を過ぎてスランプに陥った中で生まれたこの作品で、その評価をさらに高めた。 

 1939(昭和14)年に、いまや画壇の頂点に立った64歳の松園は、半世紀近く前の少女時代の京都の夏景色を回想してこう綴っています。

加茂川にかかっている橋でも、あらかたは近代風なものに改められてしもうて、ただ三条の大橋だけが昔のままの形で残っているだけのことです。あの擬宝珠の橋とコンクリートのいかつい四条大橋とを較べて見たら時の流れというものの恐ろしい力が誰にも肯けましょう。

 残念ながら、現在の三条大橋は1950(昭和25)年に完成した橋であり、松園がここで語っている橋とは別のものになっています。

私には三条の橋のような昔の風景がなつかしいには違いがありませんが、昔は昔今は今だと思うとります。私が五つ六つの頃結うたうしろとんぼなどという髪を結っている女の子は今は何処に行ったとて見ることは出来ないでしょう。ちか頃の女の子達を見ていると昔のつつをきゅうとしばったうしろとんぼの時代は、あれは何時のことだったのかと我れといぶかしく思うくらいなのですから。

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重要文化財 上村松園《母子》1934年 東京国立近代美術館蔵 ◎前期展示

でも、なつかしさはなつかしさですし、昔のよさはよさ、今でもはっきりとまるで一幅の絵のように何十年か前の京都の街々のすがたを思い浮べて一人楽しんでいる時がないでもありません。
         
私が十七、八の頃、夕涼みに四条大橋に行って見ると、橋の下の河の浅瀬には一面に床几(しょうぎ)*が並べられ、ぼんぼりがとぼって、その灯かげが静かな河面に映って、それはそれは何とも美しいものでした。沢山の涼み客がその床几に腰をかけ扇子を使いながらお茶をすすったり、お菓子をつまんだり、またお酒を汲みかわしたりして居るのです。

床几* 脚のついた折りたたみ式の腰掛け

橋際にふじや*という大きな料理屋があって河原に板橋を渡して仲居さん達がお客のおあつらえのお料理を入りかわり立ちかわり運んでゆくのです。これを橋の上から眺めているのは私だけではございませんでした。川風の涼しさ、水の中の床几やぼんぼり、ゆらゆらと小波にゆれる灯影、納涼客、仲居さんなどと、賑やかなくせに涼し気なそしてのんびりとした夏景色でございました。これは本当に昔々の思い出話なのでございます。

ふじや*   四条大橋西詰にあったこのお店は今はなくなってしまったが、現在その付近にはヴォーリズ建築で有名な北京料理店「東華菜館」の洋館が四条大橋のシンボルとして佇んでいる。

 松園が18歳前後ですから、明治20年代の半ば頃。その時代の四条河原の夏の夕景色が目に浮かんでくるようです。

鴨川

現在の四条大橋から見た鴨川の風景

いま四条大橋に行って見たところで決してその橋の下で、人達がそんな風にして夏の短かな夜を楽しんだなどということは夢にも考えることが出来ません。ただ、四条河原の夕涼みは都の夏の景物の代表的なものだったので絵に描かれて残っているものは相当多いようです。

 鴨川の砂州や浅瀬に床几を並べて楽しむ夕涼みは、江戸初期に始まって、老若男女を問わず大変にぎわったと伝えられています。明治期には7、8月に床を出すことが一般化し、松園の少女時代には四条大橋付近の河原一面や三条大橋の橋下一帯に納涼の床が連なっていました。

 ところが、1934(昭和10)年の室戸台風と翌年の集中豪雨によって、京都市内に大きな被害が発生し、鴨川の納涼床もすべて流されてしまいました。松園が往時を回想したこの時は、まさに鴨川から床が消失していた時代なのです。

 その後の太平洋戦争中には完全に納涼床は消えますが、戦後の1950年代になって復活。昭和、平成そして令和の今日まで、愛され続けています。

また、これも同じようなお話ではございますが、夕景に川の浅瀬の床几に腰下ろした美人が足を水につけて涼んで居るのも本当に美しいものでした。目鼻立ちの整ったすんなりした若い婦人でなくても、そうした時刻、そうした処で見受ける女姿というものはやはり清々しゅう美しく人の眼にうつるのでございました。

 松園の目に映った風景と同じものはもはや幻となったのかもしれません。でも、服装や髪形は違っていても、今も京都のどこかに、あの時代と同じように、川の流れに足を浸して夕涼みを楽しむ松園好みの美人がきっといることでしょう。

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上村松園《初夏の夕》1949年 京都市美術館蔵 ◎通期展示

出典:上村松園「京の夏景色
参考文献: 石田有年編『都の魁 : 工商技術』 石田戈次郎、明治16年

文=藤岡比左志

藤岡 比左志(ふじおか ひさし)
1957年東京都生まれ。ダイヤモンド社で雑誌編集者、書籍編集者として活動。同社取締役を経て、2008年より2016年まで海外旅行ガイドブック「地球の歩き方」発行元であるダイヤモンド・ビッグ社の経営を担う。現在は出版社等の企業や旅行関連団体の顧問・理事などを務める。趣味は読書と旅。移動中の乗り物の中で、ひたすら読書に没頭するのが至福の時。日本旅行作家協会理事。日本ペンクラブ会員。
京都市京セラ美術館開館1周年記念展「上村松園」
2021年7月17日(土)~9月12日(日) ※会期中展示替えあり
前期:7月17日(土)~8月15日(日)
後期:8月17日(火)~9月12日(日)
会場:京都市京セラ美術館 本館 北回廊1階
開館時間:10:00~18:00(最終入場は17:30)
休館日:月曜日(祝日の場合は開館)
料金:一般1,800(1,600)円 大学・高校生1,300(1,100)円 中学生以下無料 ※()内は前売、20名以上の団体料金
電話:075-771-4334
*美術館公式オンラインほか各種プレイガイドにて前売り券発売中
美術館公式オンラインチケットローソンチケットチケットぴあ、主要コンビニエンスストア他
URL:https://kyotocity-kyocera.museum/

※詳細は事前に現地にお確かめください。



 

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