世界的にも珍しい「妖精の森ガラス美術館」 緑色の光を放つウランガラスの神秘(岡山県鏡野町)
緑色の光を放ち、暗闇に浮かび上がる神秘的なガラスがあるのをご存じだろうか? その名を「ウランガラス」という。ガラスは着色剤として金属や鉱物を加えると、コバルトなら青、金なら赤というように、化学反応によってさまざまに発色する。同様にウランを用いると、美しい黄色や緑色のガラスが生まれるのだ。
このウランガラスの最大の特徴は、紫外線を当てると緑色の蛍光がくっきりと現れること。19世紀のヨーロッパで製造が始まったものの、紫外線ライトが一般的になる1900年代中ごろまでは、はっきりとした蛍光色を見ることはなかなかできなかった。それでも夜明けから日没まで、刻一刻と紫外線量が変化する太陽光の下で、ひとびとは少しずつ色を変えるガラスを楽しんでいたのだろう。
ウランはやがて核燃料として利用されるようになり、第二次世界大戦時には民間での使用が規制された。そのため、ウランガラスの製造はほぼ途絶えてしまった。それでも妖しい魅力を放つこのガラスの愛好者は少なくない。
岡山県の深い山あいで、そんな神秘のウランガラスに出会うことができる。県北部、鏡野町にある「妖精の森ガラス美術館」は、ウランガラスの作品をコレクションする世界的にも珍しい美術館。19世紀に製造されたヨーロッパのミルクピッチャー、ゴブレット、花瓶などから、現代日本の作家作品まで、常時100点ほどが展示されている。
さて、そんなウランガラスの美術館がここにできたのはなぜなのか。
1955(昭和30)年、上齋原村(現鏡野町)から鳥取県へ向かう県境に位置する人形峠で、ウラン鉱床の露頭*が発見された。当時ウランを燃料とする原子力を利用した発電技術が確立し、この巨大な新エネルギーには、世界的に期待が寄せられていた。日本でも自国で資源を調達できないかと、各地でウランの探鉱が熱を帯びていたさなかのことだった。人形峠での発見は大きな話題を呼び、静かな山村は突然のブームに沸いた。鉱山の開発や調査研究が行われたが、結局採算がとれず、採掘は1987年に終了する。
その後、鏡野町では観光開発や地域産業・文化の振興を目的として「妖精の森ガラス美術館」の建設を計画。2006(平成18)年にオープンするに至った。
学芸員の三浦和さんは、「ウランは放射線を発するという印象が強いかもしれませんが、安全に管理してガラスの着色剤として使えば、こんなにきれいな作品になります」と語る。
日本でウランガラスを作れるのは、もちろんここだけ。神秘的な光が創作意欲を掻き立てるのだろう。一度はウランガラスを使って作品制作をしたいという作家も多いそうだ。
作家としても活動する三浦さんは、炉のなかで溶けて液状化したガラスには、「たとえようのないオーラがある」と教えてくれた。まさにウランガラスは、オーラをまとったマジカルなガラスだった。
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文=瀬戸内みなみ 写真=阿部吉泰
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