異国の地・タイで本気になったこと|一木けい(小説家)
ラマ4世通りのスーパーのトイレで割り込みをされたとき、私はまだ「自分の方が先に並んでいました」と主張するタイ語を知らなかった。
2013年、タイの首相がインラックさんだった頃の話だ。
悔しい思いをタイ語学校で吐露すると、P先生はこう言うのよと教えてくれたあとで「にっこり笑ってね」と付け加えた。
私はその教えを忠実に守った。
凝視するタイのお国柄になかなか慣れずにいた私に、思い込みの大切さを教えてくれたのもP先生だ。
「その人の眉間に皺が寄っていない限り、良い意味で見ていると思え」
思い続けたら、慣れた。
どこかミステリアスなところのある先生だった。
当時タイは政治関係のデモが激しかった。P先生は内情にやけに詳しかった。
「なぜそんなことまでご存知なのですか」
「私はアンダーグラウンドな人間だから」
意味深な笑みを浮かべていた先生を思い出す。
個室が取れずブースでレッスンした日は、いつもより小声で早口だった。
「秘密の話ができませんね」冗談交じりに言ったら、「しっ!」と返された。
私はタイ語に本気だった。どれくらい本気だったかというと、街中で初耳単語が聴こえてきたら即メモし、信号待ちで音引き辞書をひらき、レジの列で単語帳をめくった。灼熱もスコールも気にならないほど愉しかった。
はじめは「宿題も予習もそんなにシリアスにやらなくていいから」と言っていたP先生も、私の情熱を知るや「次から二倍の速度で進めます」と宣言した。
顔馴染みのクリーニング店の人に、単語の読み方を尋ねたことがある。「私も読めない。たぶん王室用語」と彼女は笑った。「知らなくていいんじゃない? 使うときないでしょ。留学生でもないのに、なぜそんなにタイ語を勉強するの?」
安全と快適な生活のため。タイの人と愛や死について話したいから。確かそう答えた。
いまとなっては、逃避の意味もあったと思う。タイ語に没頭しているときは、考えたくないことを考えずに済んだ。罪悪感を抱かずに済むレアな逃避だった。
学び始めて半年経つと、小論文の宿題が出るようになった。
「日本の歴史について六行で書け」
「タイの法律の在り方について自国の法律もふまえて三十行程度で述べよ」
そんな無茶なと言いたくなるような、母国語でも難解な宿題だったが、一生懸命やった。
ある日、P先生からため息交じりに告げられた。
「もう、教材が尽きたわ」
そこからは先生がコピーしてくれた記事や本がテキストになった。
P先生のプライドが好きだった。
私がインド洋をインド海と表現したとき「まあ、それでも通じるわね」とその場では流したが、数分後「やっぱり訂正させて。正確な表現を覚えて。あなたにタイ語を教えたのは誰だってことになったら厭だから」と言った。
授業の最後はいつも私がワイ(合掌)をして「タイ語を教えてくださってありがとうございます」と言い、P先生が「タイ語を勉強してくれてありがとうございます」と言った。
P先生から教わることができたのは、たった一年。先生は政治的な理由で学校を馘になったのだった。
先生のちょっとした遊戯に気づいたのは、それから数年後、銀行の列で割り込みをされたときだ。
条件反射で先生が教えてくれたフレーズを口にした。すると割り込みした人が振り返って「ありがとう」とワイをした。
笑いがこみ上げた。なぜいままで気づかなかったんだろう。
P先生が教えてくれたのは「お先にどうぞ」だった。
文・写真:一木けい
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