本日!彼岸の中日です。
3月20日(金)本日は彼岸の中日ですね。
自分にとっては、祖父のはじめてのお彼岸となりとても大切な人思っております。
まだ亡くなってから日が浅いですが、何とか平常心を保てる日もあり
また悲しみに明け暮れたり
小さい頃の思い出を大事にかみしめながら一つ一つを思い出してみたり。
何とも複雑な感情が入り混じるものですね。
でもそれが当たり前の感情なのでしょう。
亡くなる前には数日一緒に自宅で過ごすこともでき本人の希望を受け入れながら過ごせたことに感謝しています。
数日間はとても長くもあり短くもあり様々なことの繰り返しの中
家族みんなでゆったりと笑顔も絶やすことなく過ごせたのは奇跡なのかもしれません。
そこに至るのには二か月前にさかのぼります。
突然食べ物がのどを通らなくなってしまい、
本人は「もうこの歳だし、もういいんだ」
「だいじょうぶだ」の繰り返しでしたが
何とか納得してもらい病院へ行くことになりました。
病院へ行くとリハビリも兼ねた入院をしましょうとのことで。
その日から入院生活が始まりました。
想像以上に本人は
もともとの性格が完ぺき主義、きれい好き、全部を祖母に任せて甘えている。
入院は過酷な状況でした。
次の日の朝から家族が呼ばれ、不穏状態が続くので側にいてあげてくださいとのこと。
現実は病院は病気を治すところなので当たり前なのでしょうが
自分では歯磨きも顔を洗うことも飲み物を用意することも出来ません。
それから家族も病院へ通う日々の始まりでした。
自分が病院へ行くとカーテン越しにベットに座っている祖父が見えました。
目に映った祖父はというと・・・
しばらく、そのまま様子を見ていたのですが、
不穏状態そのもので、一点を見つめただひたすら座っている状態でした。
意を決して声をかけてみると、思っていた通りの返し文句!
「誰も来てくれない」「なんでこんなところに居なきゃならないんだ」
「みんな何やってるんだ」「家の事よりまずは俺だろ」
「優先する順番解らんのかな?」
・・・やはり・・・・
そうなんです。祖父は軽度ではありながらも認知症状があるのです。
何とかその気持ちを落ち着かせようと違うことに気を紛らわすのですがやはり、祖母に居てほしい気持ちが強いので連絡をして来てもらうことにしました。
その日はそんなこんなで一日を過ごし夜は看護師さんが対応をしてくれました。とてもありがたく感謝しております。
次の日担当の主治医との話し合いがあり、
肺に水が溜まっており心臓の機能にも少し異常が見られるので大きな病院へ転移することになりました。
バタバタした日が続き祖母も疲れ切っていましたが踏ん張らなきゃと頑張っていました。
病院も大きなところになり即集中治療室になったのです。
家族の希望で一度家に帰り入浴をしてから来たいと伝えたのですが
「心臓の負担を考えると風呂に入って死んだ人はいるけれども風呂に入らないで死んだ人はいない」
と説得され。その状況です。
祖父はその時点では自分で歩けましたし、
意思疎通もコミュニケーションも何の問題もなく過ごしていました。
今日は何日で何時で!いつも気にして過ごしていたのです。
集中治療室なので車いすしかダメ!歩けるのに・・・
家族としてそして自分は介護福祉士の考えからするとこの状況はとても複雑でした!
次の日精密検査が行われ、主治医からの診断は
「癌のステージ4」
目の前が真っ白!音が自然と静かになるのが続く感覚!
そうなるものなのですね・・・
主治医からは「年齢も年齢ですので治療は・・・・」
祖母は「わかりました。本人苦しまないようにお願いいたします」
祖母のその時の心情を考えると今でも胸が締め付けられる思いでいっぱい!
病室に戻ると祖父は「先生なんだって?」
自分は介護福祉士の意地があったのか
「肺の水が抜けたら楽になるからあと少しここの病院のお世話になろう。」
祖父「よかったー!」
あんなに人って安堵感がすごく出るのですね。
「早く家に帰りたいわ!」
その一言で「早く家に帰れるように頑張ろうね」
利尿剤で肺の水も少しは抜けすごく楽になったようで、
毎日「よかったーよかったー」
とずっと病院に行く前から自分でも心配をしていたのでしょう。
集中治療室からも3日間で出ることができ一般病棟でリハビリを少し行い1っ週間の病院生活にも終わりをつげました。
退院が決まると笑顔がとても出てきて。
ただベッド生活が続いたのもあり、歩くのが大変なので杖をついて休み休み歩きました。
一緒に歩いてる時も「いやーー帰れてよかったわー」
胸が締め付けられながらも笑顔で
「よかったよねー!」「ひと安心だね」
先がわかってしまうだけに苦しかった・・・
家へ戻るといつものように過ごせるのかと思っていたのですが、ケアマネや担当の訪問看護師の方の指示のもと生活が始まりました。
自分で出来ることも介助になっている・・・
介護士としては腑に落ちない部分が多々ありながらも指示に従い
でも本人の意見を尊重しながら過ごしました。
長い文になってしまいましたが、まずは退院までの生活を描いてみました。
ここからが過酷さを増していくのでマイペースにゆっくりと更新していきたいと思います。
読んでいただきありがとうございます!
今後ともよろしくお願いいたします。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?