怖かった亡き父への思いが変わるとき
去年の夏、アーユルヴェーダの病院に通い始め、冬からセルフケアをしっかりやるようになってから抑うつ症状が激減し、“明るく朗らかだけれどもとても落ち着いた気持ち“でいられる日が増えました。例えるなら、明るい日の光がたっぷり入る海の底でその輝きを全身で浴びているような、希望と同時に腹の座った感じが共存する、未だかつてあまり感じたことがないような感覚でした。
相談していたアーユルヴェーダドクターにそう伝えたら、「冬は抑うつ症状や不安感が増えやすい時期だから、特に治療の効果が感じられやすい」と言われ納得。いい時期にセルフケアを始めたもんです。
また、治療していくにつれ今までの仕事や環境で見えにくくなっていた“本来の私らしさ“が出てくると言われていたので、そこに到達しつつある幸福感を味わいながら過ごしています。
ずっと避けてきた車の運転を再開し始めました。ここ数年感じていた運転への恐怖心も大幅に薄らいだのです。大人になって何か新しいことを始めたり、克服するのって悪くない。そんな手応えを感じながら毎日その治療の効果に驚く日々が続いています。
逆に言えば自分の感覚がその“海の底”の状態から大きく離れている時は注意すべきとき。そんな新たな指標が出来たことも大切な収穫です。
かつて抑うつ症状や強い不安感が出ると、度々私はそのやりきれぬ思いを亡き父のせいにすることで心の落とし所をつけてきたように思います。父が厳しかったから、父が不安定だったから、父にたくさん怒られてきたから、だから今の苦しみがあるんだ、と。
実際に彼の影響が存分にあったのだろうと思うので、それはそれでしかたなかったし、必要な通過点だったとも思います。
しかし、その“父を恨む儀式“のスタートになる症状自体が出てきにくくなったことで、これ以上父を恨む必要性がなくなったことにある日気が付きました。
抑うつ症状がなくて心地よく過ごせるなら、わざわざ過去に気持ちを戻す必要がなくなったのです。
沢山の心理関連の本を読んだり、カウンセリングに時間をかけたりしてきたけれども、この展開はなんだか拍子抜け。でも必要以上にネガティブな気持ちをながらえる必要がなくなるというのは、本当に自分がやりたいことにエネルギーが割けるということ。全く予想しなかった方向からやってきた「鬱寛解の可能性」に驚きつつも、今は海の底の気持ちよさを享受して、さらに心地よい時間を増やしていきたいと思っています。