話す仕事。
結婚式の司会からスタートし、その後イベント司会やCMナレーションの仕事をさせて頂くようになった。
人前で話す仕事なので、正しい言葉遣いはもちろん、その場にふさわしい言葉を選ぶ事が大切だ。と同時に、見た目の印象も大切だ。司会者は主役ではない。けれど人前に立つからには「人にどう見られるか?」を意識するようになり、姿勢をはじめとする立ち居振る舞いや表情にも気を配るようになった。この積み重ねが、現在の講師の仕事に活かされている。
司会デビューから3年が経ち少しずつ仕事の幅が広がり始めた頃、ラジオ番組のアシスタントの仕事を頂いた。スケジュールの兼ね合いで、たまたま私が担当する事になった。東京の制作会社からの依頼で、なんと1クール分の番組収録を一日で行うという。スタジオ収録時間は9時から21時。なんだか凄い仕事…と思いながらも、初めてのラジオの仕事は楽しみだった。地元の駅の改札口前で待ち合わせ。現れたのは、いかにも業界人という風貌の方達。事前に台本の1部は送られてきたけれど、ラジオ局までの移動のタクシーの中で番組や収録についての説明を受け、なんだかよく分からないまま収録スタート。地元在住の出演者達も初めてのラジオ収録で、はじめましての挨拶と説明から始まるので、収録スケジュールはどんどん押す…。食事する時間がもったいなくて、とにかく必死に収録を続ける。録っても録っても終わらない。でも私の声帯は悲鳴をあげる事なく順調に進んだが気付けば夕方。その日のうちに帰京するのを諦めた(さすがに無謀なスケジュールだったと思う)東京組は急きょホテルを手配し、軽食を取って続きの収録。予定していた収録が済んだのは23時過ぎだった。そんな第1回の収録で始まった番組は、その後19年続く長寿番組になった。当時を懐かしく振り返るたびに「あれをもう一回やれと言われたら無理。お互い若かった」と笑いあったものだ。
これが私のラジオの原点。ヘッドホンを通して自分の声を聴きながらする仕事が好きらしく、CMナレーションの仕事も好きな仕事だ。「小さくても良い。いつか自分のラジオ番組を持ちたい」と、思うようになった。そしてこの夢は、のちに地元のコミュニティFM局が立ち上がる事で叶う事になる。
時間が前後するけれど、地元TV局のリポーターをする事になったのは20代の終わり。事務所の先輩が活躍する姿を見て、チャンスがあればやってみたいと思っていた。縁あって実際にやってみると、向いていないと感じ辛かったけれど、取材先で貴重な体験をする事ができた。そして40歳を過ぎてから、思いがけずTVリポーターの仕事が舞い込む。年齢は重ねていたけれど経験がものを言った。昔は向いていないと思っていたTVの仕事を俯瞰で捉えられるようになり、楽しみながらできた。人生無駄がない。
話す仕事に携わるなかで、いろんな出会いがあった。結婚式をする新郎新婦との出会い。会場スタッフとの出会い。イベントスタッフや代理店、制作会社にTVにラジオ…人との出会い。仕事との出合い。出会いという縁が次の仕事に繋がった。24歳で話す仕事に就いてから20年余りが経った。好きな事を仕事にできている幸せを噛み締めつつ、ご縁の積み重ねで今の自分があると思う。
話す仕事は、何かを伝えられる仕事だ。地元の良さや魅力を。前向きになれるコツを。そして未来を描く方法を。
この仕事を通じて、私はこれからも伝え続けてゆく。