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熱意がなくても売れるものは作れる

「神は細部に宿る」という言葉が本当にそうすぎる。

簡単にいうと「細かいところにこだわりが詰め込まれた作品は神が宿るかの如く素晴らしい魅力がある」という意味の言葉。初出は諸説あるらしいけど200年前のフランスの小説家が最初だとか、150年前のドイツの建築家がよく言ってたとか。

創作において「売れるものを作ろう」という切り口と「魂を込めよう(気持ちを込めて作品を作ろう)」という切り口は全く別だと思っている。昔はそれがトレードオフの関係にあると思ってたんだけど、そもそもベクトルが違いすぎてよっぽど魂の部分が「細部」から溢れて氾濫しない限り無関係なんじゃないかと今は思ってる。「気持ちのこもった熱い作品が売れる」なんてのは嘘だ。あまり関係がない。

音楽や映画などエンタメ分野の良し悪しは体験する人の趣味や価値観に依存するものだからわかりにくいけど、例えば電化製品や洗剤など正確に比較すれば良し悪しが明確に出やすいものですら、最も機能的に優れたものが一番売れるとは限らない。僕は電化製品も洗剤もプロではないし、いちいち調べてる暇もないから日々研究してる製造メーカーの方には申し訳ないけれどなんとなくで選んでいる。

要するに、売れる勘所を抑えてて運に恵まれたものが売れてるだけであって実は商業的な成功と製品の良し悪しは直接関係ないってことなのだ。

だから、エンタメで商業として売れようと思ったら今の流行りを捉えて、似たようなものが作れたり演じれたりする人を集めて、スケジュールを立てて計画的に作っていけばそれである程度達成されるような気がする。それだってノウハウや戦略、センス、さらには運が必要だし、言うが易しで誰でもできることではない。

ただ、売れるだけなら「商業的によくできてる」必要はあるけれど、作品に神を宿す必要がない。

作品に宿る「神」の正体は何かを伝えようとする作り手の意志であり、心のエネルギーでありエゴだと僕は思っている。これが宿っている作品には細部に強烈な違和感や無駄や非合理性がある。何か特別な理由がなければそうはならない正しくなさがある。音楽で言ったら、セオリーと違う謎のコードが使われていたり、突然不思議なリズムパターンが挟まれたり、ありきたりなワードリストから逸脱した言葉が歌詞に入っていたり。

売れるかどうかはさておいて、人に鮮烈な影響を与えるのはそういった「神」が宿った作品なんだと思う。いくらでも代わりが効くようなその時だけの消耗品ではなく、数年後も忘れられずずっと誰かの心に残り続けるものはおそらく神が宿っている。

誰かの人生を変えるような作品を作ろうと思うなら、どこにその作品を必要とする人がいるかわからないから広く拡散しないといけないので商業的な成功は必要だし、そればかりに囚われて空っぽの作品を作ることなくしっかりと命削って魂を込めないといけない。

今でこそ仕事柄意識的に作家のエゴみたいなものを感じられるようにはなったけど10代の頃はそんなのわからなかった訳で、それでも無意識に救われてきた音楽があってそのおかげで今の自分がいるから僕も誰かにそれを繋いでいきたいと思って仕事してる。割に合わないこともするし、うちの仲間たちにそれに付き合わせて申し訳ないと思うこともある。その代わり仲間の誰かのエゴにはできるだけ付き合う覚悟でいる。

周りの作家さんたちが商業的なわかりやすさも維持しながらなんとかエゴのある作品を作るよう足掻いていると仲間に会えたようで勝手に嬉しくなる。そういう仲間に沢山会いたい。

自分のところの演者さんたちが魂入ったいいライブやってるのを見てもすごく嬉しい。自分の意志でステージに立つこと。そういうのは見てればわかる。

ライブ中、パッと見は演者しか見えないかもしれないけど、演者だけでなく、音楽作家さん、エンジニアさん、振付師さん、衣装さん、音響さん、照明さん、制作さん、沢山の人の魂が乗っかってるステージは本当に楽しいし美しい。誰かの人生に刺さって抜けない衝撃を与えられるようなものを作りたい。

これってコスパ悪くてすごく疲れるんだけど、願わくば10年後もそういうチームでやっていきたいなぁ。

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