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61 読んで書いて読む

『本は読めないものだから心配するな』(管啓次郎)を読み始めた

 『本は読めないものだから心配するな』(管啓次郎)を読み始めた。これはクーリエ・ジャポンの記事「作家の本棚をのぞいてみたら 吉本ばななが考える「もっと海外の人に読んでほしい日本の作家」を読んだから。
 それにしても、本を読める人は、圧倒的な速度で読んでいくものだと気付かされる。前にも少し記したが、確かに仕事として本を読んでいたときは、1日に3冊ぐらい読まないと追いつかないこともあったので、どんどん読んでいた。
 いまは、そうした読み方をやめた結果、同時並行で複数の本をちょっとずつ読んでいるわけで。『トラウマにふれる』(宮地尚子著)はまだ序盤のままだが、PTSDについては、読んでいても苦しくなる。『新ジュスティーヌ』(マルキ・ド・サド著、澁澤龍彦訳)はだいぶ飽きてきたので、飛ばして読めばいいのだが、飛ばし読みもけっこう体力のいる作業だから、なかなか終わらない。『ほどける骨折り球子』(長井短著、2022年文藝秋季号)は読み終えた。
 『トラウマにふれる』(宮地尚子著)では、被害者側から見たときの恐怖を社会で共有できるのか、法律そのものからすでに加害者から見た被害者になっているのではないか、といった疑問を感じた。『ほどける骨折り球子』(長井短著、2022年文藝秋季号)では、優しさは、相手の弱さの上に成り立つものなのか。相手を弱い者として固定した上での優しさは、暴力よりも悪いかもしれない、といった視点に気づかされた。

小説を書いてみた

 このマガジン「微睡みの中で恋をして」は、そもそもニセ日記的なフィクションの混じった作品になっているのだが、その中で、あえて「小説」と見出しに入れてフィクションを書いてみた。小説は別にマガジンを独立させたが、マガジン「微睡みの中で恋をして」にも入れたままにしておこう。そうだ、「カクヨム」にも掲載するかもしれない。まだ、はっきりしていないけど。
 小説「ライフタイム」は、作品中に登場するある人物が雑誌『タイム』や『ライフ』に憧れてジャーナリストを目指そうとする話がほんのわずかに登場する。ある時期、『タイム』や『ライフ』は、いまの『タイム』や『ライフ』の何百倍も輝いていた。古書店でもバックナンバーがたくさん置かれ、古い号を買う人も多かった。
 タイムとライフを並べて、ライフタイムとなり、直訳すると「一生」みたいな意味になるよね、と感じて、それをタイトルにした。
 この作品の動機は、遙か昔の頃に、仕事で関わった人の中で、いまはすでにこの世にいない人たちがけっこういる、という事実をなにかの作品の中に入れてみたくなったからだ。
 ある人は自殺した。ある人は行方不明になった。ある人は自宅で突然死していた。ある人は病気であっけなく亡くなった……。
 とくに、その中でもお世話になった人たちのことを、モデルにすることなく(モデル小説ではない、あくまでフィクション、架空の話)描くことはできるだろうか。
 オートフィクションは、私小説というより、「もしかするとあり得たかもしれない架空の話」と捉えることもできる。モデルが特定されると、それはもうプライバシーの侵害にもなり得ることなので、私小説を成立させるためには登場者の許可が必要になるかもしれないぐらい、面倒なことが発生しそうだ。
 だったら、やっぱりフィクションである。これは架空の話。主人公は私のようで私ではない。年齢も外観も違う。名前ももちろん違うのだが、とりあえずは、名無しで通している。舞台となる業界紙も特定されないように場所を移し、なんの業界なのかも書かない。ただ、自分が体験した地域のことは、そのまま書いている。
 しかし、けっきょく、作品の中で、人を殺せなかった。それでも私にとってはそこに死者の面影がある。登場した人物の誰がその後亡くなったのかは、また別の話になるだろう。
 当初は時代も曖昧にしようとしたのだが、最終的に「あ、これは1985年の話だな」とわかってしまったので、最後にはそれを明記した。このため、時代考証がやや甘い気もするのだが、記憶と資料を合わせて、バブル崩壊前の雰囲気を少しは取り入れることができたのではないだろうか。
 それにしても1985年は、いまにつながる事件がいくつかあった年なので、調べていてどうりで印象的だったな、と思い出したりもする。
 なんといっても、経済ではプラザ合意のあった年で、急激に円高へと進むことになるのだが、小説はそれよりも少し前の設定だ。1984年から続いている「グリコ森永事件」。豊田商事事件、さらにその会長刺殺事件。そして作品にも少し触れたが阪神タイガースが優勝し、日本一にもなった年だ。
 また、この年に通信自由化がはじまり、このあとポケベルの普及、そして携帯電話へと進むのに、十年はかかる。
 1985年、昭和60年に自分がなにをしていたのか、実はかなり曖昧で、履歴書に残っている職歴と記憶から類推するしかない。それでも小説を書いているうちに「そういえばこんなこともあったな」と思い出したこともある。
 というわけで、小説「ライフタイム2」があるかどうか。
 ちなみに、小説とは関係ないが、1985年にリアルタイムで見た映画は以下の通り。
『ボディ・ダブル』『コットンクラブ』『デューン/砂の惑星』『スターマン/愛・宇宙はるかに』『ビバリーヒルズ・コップ』『ターミネーター』『乱』『フェノミナ』『刑事ジョン・ブック 目撃者』『マッドマックス/サンダードーム』『ポリスアカデミー2』『007 美しき獲物たち』『ランボー/怒りの脱出』『スペースバンパイア』『フレッチ/殺人方程式』『コードネームはファルコン』『タンポポ』『バック・トゥ・ザ・フューチャー』『コクーン』『コーラスライン』『ハメット』など。
 
 
 

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