299 「私の時間」について
「ライフタイム」との関係
昨日まで4回にわたってアドリブで書いてきた「私の時間」。小説として別にマガジンを作っておいた。これは、その前に書いていた「ライフタイム」の続きでもある。どちらも、私が実際に体験したことを使って、まったく新たなストーリーをのせて描いている。そもそもこの「微睡みの中で恋をして」は、オートフィクションとして、実体験と重ねつつちょこちょことフィクションを入れ込んで書いているものなので、その中に「小説」をわざわざ入れるのもどうかと思うけれど、明らかにテイストの違う、その部分だけは一貫性のある文章についてはあえて小説だ、と括ってみるのもいいかもしれないと思った。
さて「私の時間」である。「ライフタイム」は突然亡くなっていく人たちを軸に書き記すことをメインとしてだいたい80年代後半の記憶とともに描いている。当時、私の前から姿を消していった人たちへのオマージュである。
その意味では、「私の時間」も書き始めは国際経済評論家のT氏の死について書くつもりでいた。90年代の話である。少なくとも2話まではそのつもりだった。ところが3話になって、これはいまは死なないとわかってしまい、同時に編集のKを登場させたことで話はだいぶ最初に思っていたのとは違ってきた。
つまり恋愛である。
「ライフタイム」では主人公はまだ駆け出しの若造だけど、「私の時間」ではフリーランスでも仕事が多少はできるぐらいになっている。いろいろな人から頼られてさえいるようだ。あてにされている。
そんな主人公が失恋を期にフリーランスから会社員になろうとする。経済的な安定を求めたのだ。たまたま失恋の原因が、もろに経済だったからだ。彼女の父親はいわば成功者で、その父親に拒絶されないためには最低限、生活を安定させなければならない。当時はフリーランスは弱すぎた。
そのいわば転職の狭間に起きたことを4話まで書いた。
このあとも続くのか?
4話で終わらせるつもりだった。しかし、神野守さんから「続きはどこで読めますか? まさかここで終わりなのでしょうか?」とコメントをいただいて、ああ、終わってないか、やっぱり、と思った。
だから、続きをいつか書く。
私自身は、実際は会社員として出版関係の仕事を12年ほどやってからフリーランスになって結婚し、娘のこともあるので一時的に会社員に戻ったりもしていたが、その後はトータルでフリーの方が長い。ちょっとだけ会社員をやって失業するのでそのたびに職安へ行っていた。5回ぐらいか。雇用保険を受給したのは1回ぐらいだけど。たいがい待機の間に仕事が決まっていたから。
T氏のモデルは存在しないが、私の中では思い描いている数人の人を合成しつつ、まったく違うオリジナルを加えている。
Kはまったくの創作だ。文中に主人公が語っているように、私自身、同業者と恋愛したことはない。する気にもなれない、と言えば語弊もあるけれど、できるだけ関係のない人と付き合いたかったし、結婚することにもなった。だけど、小説の主人公はそう言いながらもKに魅了されていることが明らかだ。「こいつ、なにやってんだ」と思いつつ、主人公の行方には私も興味がある。
とはいえ、それは恋愛世界になっていくから、神野守さんのような男女の話を得意とされている方に比べると、どうも自信がない。
ああ、このあとは恋愛になるなあ、と思っていても、肝心の作者の方にそのための気持ちの整理がついていない。実は、かつてカクヨムに「倫々爛々」という不倫の恋愛コメディを書いた。すべてにおいて、うまく書けたとは思っていないけれど、これはこれでいいと当時は判断したものの、その後、その線の話を書いていない。
いまの作者の心情からすると、もっと奇妙な話になっていく気がしてならない。そのあたり、ふつふつと湧いてくる登場人物たちの声や気持ちがくみ取れるようになったら、再開しよう。