not so long ago 4 ~あれからまだ13年~
教育を本気で語る会、ジョージです。
2011年3月、宮城県石巻市の海岸を目指しました。
海沿いの景色は驚愕の連続でした。
津波の威力を痛感しました。
同じような袋が大量に打ちあげられ
1箇所に集まってタンクも倒されて
一体ここで何が起こったのか
想像を絶する景色がまた始まりました。
どうやったら電柱が海に沈むのか。
元々ここには何があったのか。
どうやったらこんなことになるのか。
ビフォーアフターがさっぱり見えてきません。
分かるのは電柱が沈んで危険だということだけです。
ここには道路があったのかもしれませんが
原型が想像できません。
元の景色が思い浮かばない。
海岸沿いに来ると、そんなことが続きました。
ここにはきっと何かがあったんだと思います。
でも何があったのかすら分かりません。
分かるのは、瓦礫の山が流れついてしまう空き地ができてしまっていることだけです。
きっとここも生活の営みがあったはずです。
よく見ると、船の一部が流れ着いてます。
やっぱりここは港町です。
何も知らずに石巻に来て
地名の読み方すら知らなくて
どんな町があったのかも想像できなくて
申し訳なさが溢れてきました。
流された船を1隻見つけました。
港町にとって命綱の船がこんな無惨な状況になっているなんて
これかはこの町の人たちがどう生きていくのか
他人事に思えなくなりました。
この町の未来が思い描けません。
きっとここには町の人々の暮らしがあったはずです。
それを根こそぎ抜き取られたような感じがしました。
津波の威力は命も思い出も奪い取るほどの強さです。
もう何がなんだか分かりません。
元の姿を想像することも
歩き続けることもできなくなりました。
足を止めてただただ見入ってしまいました。
この日はとても天気が良かったです。
町は無惨で人も皆無で
でも空は晴れていました。
暗い気持ちとは真逆の天候に罪はありませんが、
町の景色も天気すらも信じられなくなりました。
色んなことが疑心暗鬼になりましたが、
少し休んで歩き出そうという気になりました。
喉が乾いたけどコンビニも自販機もない町で
もう現実から目をそらさないようにしようと決めました!
次回は漁港付近で見たものをまとめてみます!
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