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not so long ago

教育を本気で語る会、ベストファーザー賞教師部門受賞予定のジョージです。
東日本大震災発生直後の3月下旬に、
宮城県石巻市を訪れて気づいたこと、学んだことをお伝えします。

1 自分の目で見た石巻の現実

なぜ石巻に行くのかという明確な目的はありませんでした。
ただ、行かなければならないという想いだけは確かにありました。
あの時見た石巻の海辺の景色は今も脳裏に焼きついています。
自衛隊しかいない港町を見て周り、
全ての光景がまるで映画のセットのようで、
カメラを構えるとふいに涙がこぼれて、
雪が降る寒空のもと、瓦礫の周りを歩き続けました。
そして、仙台駅に着いてからずっと写真を撮り続けていると、
写真を撮ることに罪悪感を覚えていくようになりました。
こんなことをしていていいのだろうか…
写真を撮る目的は何なんだろうか…
目的は今もまだ明確に決められません。
ただ少なくとも、この記憶を伝えることは続けて行かなければならないと思っています。

2 おもかげ復元師の震災絵日記

津波で大きく損傷を受けた遺体を生前の姿に戻す。
納棺士の笹原さんが安置所でのエピソードをつづった絵本です。

「お母さんだ!!おかあさーん!」
復元後に対面してもらった時、娘さん達が大きな声で泣いた。
お母さんも娘さん達のために、きっと大きな声で泣いてるね。

「生後10日目の赤ちゃん…」
言葉が話せなくなったお父さんが、復元後のあなたを見て、
床に頭をつけて、大きな声で泣いたよ…。
「やっと泣けた…」そう言って、あなたに触れたね。

安置所で家族と再会できた遺族の方々の言葉を読むと胸が痛みます。
そして、瓦礫の上を歩いていた時に感じた恐怖を思い出しました。
もしかしら遺体の上を歩いていたのかもしれない
この看板を見たときにそう思いました。

自分が歩いていた瓦礫の上は捜索済ではなくて、
誰かが瓦礫の中にいたのかもしれない。
そんな思考が巡ると罪悪感に襲われました。
とんでもないことをしてしまっていたのではないか。
あの時に感じた迷いと恐怖を思い出しながら復元師の絵本を読みかえすと、
今でも涙が止まりません。

3 春を恨んだりはしない: 震災をめぐって考えたこと

 

2012年2月、池澤夏樹さんとの出会いや勤務校での講演をきっかけに、
この本を読み続けています。
そのなかで、大船渡の医師の山浦さんと患者さんとの対話がこのように綴られています。


昔からよく知っている老いた患者がやってきた。
診察しながら「生きててよかったな」と言うと、
「だけど俺より立派な人がたくさん死んだ」と言って泣く。
気づいてみると患者と手を取り合って泣いている、医者なのに。
それでも、たくさんの人の罹災の話を聞いたけれども、
「何で俺がこんな目に遭わなければならないのか?」
という恨みの言葉にはついに出会わなかった。
日本人は、東北人は、気仙人は、あっぱれであると山浦さんは言う。

池澤さんは色んな人と出会い「堂々巡りをしているかもしれない」とおっしゃっていました。
それはあの時の自分の感情に似ていました。
無鉄砲に被災地に赴き、
何もできずにその光景だけを目に焼き付けて、
果たしてこれででいいのだろうか。ずっと迷っていました。
その迷いは今も続いています。
悩みばかりが堂々巡りをしていますが、
池澤さんがあっぱれと言った東北人のようになりたい。
その手段は何か。伝えていくことだと思っています。

4 湘南わくわくピクニック


原発の影響で外で遊べなくなった子どもたちに、
藤沢や湘南、江ノ島で思いっきり遊んでもらいたい。

そんな想いから始まったこの企画の代表者は「あおいけあ」の加藤さんです。
仕事で行くことが多かった藤沢は辛いイメージの方が多かったのですが、
湘南わくわくピクニックのおかげで藤沢のイメージが明るくなりました!
明るく照らしてくれたのは子どもたちのキラキラした笑顔です!
一緒に遊んで、一緒に笑って、福島まで一緒に帰る。
日常の当たり前がこんなにも幸せなんだと、気づかせてもらえました。
あの時、小学生だった福島の参加者は今はもう大学生です。
その中の1人から年賀状をいただき、
改めてこのピクニックに参加して良かったと思えました。
湘南わくわくピクニックも東日本大震災も、そんなに昔の話ではない。
まだまだこれからにもつなげていきたいです。

震災から12年。まだ12年です。

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