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not so long ago 5 ~あれからまだ13年〜

教育を本気で語る会、ジョージです。
2011年3月、宮城県石巻市の海岸沿いを歩き、
漁港に辿り着きました。
向き合った現実を伝え続けていきます。

工場の中はもぬけの殻で、全てが流されていました。
何も残されていません。

この建物は横から見て初めて元の姿が分かりました。
もとの姿を想像できたのはここが初めてです。

とデカいトマト缶が打ち上げられていました。

色々なタンクがあちこちに流れ着いてます。

保安林に打ち上げられた車や残骸が多数ありました。

これも近づいてみてやっと車だって分かりました。
ハンドルが見えなかったら元々の形が想像できません。

会社名だけが残っています。
中には何も残っていません。

たくさんの車があってはいけない場所にあってはいけない形で残ってしまっています。

トラックやコンテナ、フォークリフトがあちこちに流されて、
写真左側に見える「安全第一」の看板がとても虚しく感じました。

漁港を歩いて初めて見つけた赤い水の塊。
この赤が何を意味するのか、ずっと考えました。
この日は天気も良く、皮肉にも青空が赤に映えていました。
この漁港で一体何が起こったのか、考えて考えて考え続けました。
考えるほど心が痛みました…

ここから漁港から日和山に向けて歩きました。
その道中に自衛隊の方が置いていた看板に
涙が溢れました。

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