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大和神社と桧原神社②

大和おおやまと神社を堪能させていただいた後は、車で大神おおみわ神社まで移動して、本殿で大国主様にまたまたサクっとご挨拶。
月2回ペースでお詣りさせていただいております。

そこから、狭井神社方面から、山辺の道へ入ります。
このルートを通るのは2回目ですが、ずいぶん慣れてきて、大神おおみわ神社内を庭のように楽しませていただいております笑

狭井神社の手前で道が別れます

龗神おかみのかみ神社(八大竜王弁財天)へ行く途中でみたこの看板。
「この先にも神社があるんだ、次回は行ってみたいな。」と思って行っただけだったんですが、後で調べてわかったんですが、先ほど行ったばかりの大和おおやまと神社と不思議なご縁がある神社だったんです。

桧原ひはら神社を目指し、山辺の道をサクサクと、足取り軽く進みます。
シニア世代の方が多かったように思います。
みんなにこやかに「こんにちは」と挨拶しながらすれ違います。

途中でこんな看板を見つけちゃって、行こうかどうしようか迷っていると、黄色い蝶々がひらひらと飛んできて、こっちだよーと誘います。
黄色い蝶々は、黄色いお船に乗ってやってきた玉依姫様の遣いかしら??

「辰」&「滝」とはなかなか気になる

遠いのかな?とちょっと進むと、今度は白い蝶々が飛んできて、ひらひら。
これは遠くても進まねばばなりますまい。

三輪山の途中にあったのと同じような磐座が、そこいらにごろごろ。

三輪山登拝を思い出すぜ

小さな祠の中に、2匹の白蛇が絡まって祀られていた菊龍大神。

この祠の中に白蛇さんがいました

ここでまたこんどはオレンジと黒の大きな大きな蝶々がひ〜らひら♪
蝶がどんどんサイズアップしてきてます??
何のサインだろ?

道はどんどん細くなり、だーれもいなくなりました。
そしてトートツにのぼり祭り♪

奥までずら〜っと、結構な数でした

そして、お狐さまがお出迎え。
ちょっとこわーい。

なんも怖いことあらへんがな。

それなりに古そうですが、隅々まで手入れが行き届いていて、拝殿内は幻想的な雰囲気でした。

のれんや提灯の色使いが粋。

御由緒などの詳細は不明とのことですが、あの「淀屋橋」を架けたとされる江戸元禄時代の大阪の豪商「淀屋」の5代目・辰五郎が祀られているのではないかとのこと。

辰五郎は1705(宝永2)年に、「町人の身分に過ぎた振る舞いがあった」という理由で、財産没収の闕所けつしょ処分で知られる人物だそうです。
1年半の間に100億豪遊で使ったとかなんとか・・・?

なんぼなんでもやりすぎでんがな
たいがいにしなはれ

全財産を没収された後は江戸に潜伏し、30歳の若さで(35歳説もあり)この世を去り、現在は石清水八幡さんにお墓があるとのこと。

でも、こののぼりの数と言い、狐さんには新しそうな手編みの前掛けと言い、隅々まで人の手が入ったお社と言い、篤く信仰されている様子が伺えます。

ここら辺の土地と何かしらのご縁があったのか?
かつて辰五郎さんにさんざん奢ってもらったどこかの富豪が祀ったのか?

辰五郎さんの豪快な豪商っぷりを崇めることで、金運や商売繁盛のご利益があると、説明しているサイトもありました。

辰五郎さんのお社の手前右側にはお茶屋さんのようなものが。
この突き当たり奥の階段を降りてみると、滝行ができるようになっていました。

着替えをするところか?
この日は閉まってました。
誰でもいつでもご自由に♪とのこと。
貸切露天風呂みたいなシステム?

すごく細い滝でしたが、何と言っても三輪山のご神水での禊ですので、かなり浄化されそうです。
白蛇信仰と川(滝でも可)と言えば、お金の禊をすることで金運上昇のご利益もあるという説もありますし、豪商も祀られてますし、もしかしたらなかなかの隠れパワースポットかも?と思ったのですがいかがでしょう?笑

辰五郎大明神で行き止まりのため、もと来た山辺の道まで戻ります。
0.8kmほどの距離を黙々と歩きます。

途中グレーの細身のへびを見つけて思わず叫んでしまいました。
あちらも大変驚いて、きらりと体を光らせながらさささーっと逃げて行きました。

驚かしてごめんやっしゃ
(写ってないけど)

途中の石畳の道に、白壁がすてきな庵がありました。

中は撮影禁止でした。
ふむふむ
これだけではよくわからん。

玄賓げんびさんは、平安時代の僧都そうずで、法相宗の高徳六人の内のお一人なんだそうです。
10歳で出家し、叔父である道鏡さんを反面教師にしたのか、僧侶が官位栄進に腐心するのを憂い、興福寺を離れ三輪山の麓に隠れ住み、ひたすら仏の道を求めたんだそうです。

叔父である道鏡さんは、「道鏡が皇位に就くべし」との神託を受けたとか言っちゃって、大胆にも天皇位を得ようとしたそうで、日本史三大悪人とか呼ばれちゃってますもんね。

「叔父さん、まじ有り得んわ〜。」と相当恥じ入ったんでしょう。
桓武天皇や嵯峨天皇に、請われ召喚を命じられますが、栄達を求めず辞退し、隠棲の道を歩まれ、鴨長明や良寛が憧れてやまなかった、ストイックなお方だったようです。

かと思えば、能の登場人物として、謡曲の『三輪』にも登場される玄賓さん。

謡曲『三輪』あらすじ

 大和やまとの国、三輪みわの山に住む玄賓僧都の庵に毎日、仏に供える花と水を持ってくる里の女がいました。
不思議に思った玄賓は、女がやって来たら素性を問うつもりでいます。今日も訪れた女は、秋も夜寒になったので衣ころもがほしいと玄賓に願い出ます。玄賓が衣を与え、住み家を尋ねると、女は三輪の里、山のふもとに近い所に住んでおり、「我が庵は、三輪の山もと恋しくは」という歌にも詠まれていると答えます。
そして不審に思うならば「杉立てる門かど」を目印に訪ねて来なさいと言い残し、かき消すように消え失せてしまいました。

 三輪大明神に参詣した里の男が神木の杉に衣が掛かっているのを見つけます。それを聞いた玄賓は庵を出て、杉の枝に先ほどの女に与えたはずの衣を見つけます。
しかも衣の褄つまには「三みつの輪は清きよく浄きよきぞ唐衣からころも、来ると思ふな、取ると思はじ」という神の歌が金色の文字で記されていました。
すると杉の木陰より神の声が響き、三輪明神が姿を現し、神代かみよの昔物語を語り舞い始めます。さらに三輪明神は、天照あまてらす大神おおみかみが天の岩戸いわとに隠れ、世の中が暗闇になった時に、神々が岩戸の前で舞った神楽かぐらを再現して舞います。やがて、天照大神が岩戸を押し開いた様子を再現してみせ、夜明けと共に姿を隠しました。

能サポさんHPより

ん?三輪明神って?
大神さんの御祭神は大物主大神であって、天照大神、なんか関係あったっけ?
それとも、すぐそこの桧原ひはら神社にいらっしゃる天照大神様のことかしら?

重要文化財である木造の不動明王坐像が見られたり、確かお池もあったし、龍神様も祀られていたような?記憶があります。
シンプルな庵でしたが、ところ狭しと見所いっぱいでしたので、一見の価値ありでした。

桧原ひはら神社はもう目前ですが、長くなったので③に続きます。
今日も最後まで読んでくれて、本当にありがとう♡







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