[ コラム ] マルコ・カノラの引退と自転車ロードレースにある問題について
マルコ・カノラが引退
気持ちだけでも応援したいです。「今後の別の場所でのご活躍を願います」という、受け取った方にはなんとも距離感のあるような言い方しかできませんが、あの、宇都宮で魅せてくれた強烈なパンチ力とスピードは、ぼくらの記憶の中にいまもあります。
ぼくは自転車のチームと選手との契約について、あるいは選手の物語について、実はサッカーよりも知らないことが多いんですね。ぼくだけじゃないと思いますが。なぜなら、書く人が少ないからで、なおかつ書き手が深堀りしたがらないからですね。だから、もっと面白い側面があるのに、”いい話”しか上がってこない。だから、サッカーやF1のような奥深さは、日本国内の自転車レース関連報道にはないのだと思います。
実力だけではない世界
そもそも”枠がない問題”は、自転車ロードレースの場合には深刻そうですね。これを読んでいる方の中に、どのくらい自転車レース、あるいはツール・ド・フランスに詳しい方がいるのかわかりませんから書いておくと、”ツール”は、いや自転車ロードレースというものは、実力があれば出場できるものではありません。すべてのレースがそうであり、特にはツールがそういったものの象徴的存在です。
甲子園や箱根駅伝でも、恣意的ななにかはチラホラ目にしますし、それらについて報じられた際には、批判の的になります。しかし、少なくとも予選や選考が競技として開催される時点でだいぶマシです。自転車ロードレースにはそういうものはありません。どのチームを出場させるか、それは主催者が決めます。ランキング上位チームなどを招待しないといけないというUCIによるルール決めはあります。しかし、そのルールが無ければ、まったく恣意的に決められていたというものです。F1は政治的なスポーツの圧倒的な頂点といえるます。それにちょっと似ているとはいえ、その匙加減でのエゴは自転車ロードレースほどではないと思います。
歴史の長さという功罪
自転車ロードレースの本場はたしかに欧州(西欧)です。確固たる長い歴史があります。しかし、歴史とはむずかしいもので、危険なものです。歴史の長さは覆せない。だから、権威として利用されてします。そして、それは絶対に逆転できません。しかし、この現代において、彼らだけが実力において秀でている状態を維持できるとしたら、それはおかしいのではないかと考えます。実際、その牙城を崩そうと勇猛果敢に挑んだのがランス・アームストロング要するアメリカのチームでした。彼は今ではドーピングを象徴する悪の存在として有名ですが、彼らはかつて西欧が牛耳っているロードレース界に対して真っ向から立ち向かいました。そして、その様が日本での人気も呼びました。また、ロードレーサーをロードバイクに変え、世界中にそのマーケットを拡大する役割や機動力となったのは、アメリカとアジアです。ランスが選択した方法や過程、あるいは手段については、同意できない部分は大いにあるわけですが、その行動の意味は大きなものでした。最終的には彼の排除という西欧側にとって都合の良い結果となりました。カリフォルニアで開催されるレースがワールドツアーに組み込まれたものの、それほどまでにリスペクトは感じません。また、日本に対してもそうでしょう。
サッカーワールドカップ2022年カタール大会でも、中東勢やアジア勢は過去の大会よりやや目立って活躍しています。また、2026年大会では出場チームが増え、さらに面白い大会へと変化しようとしています。また、ドイツ代表による”手で口を塞ぐポーズ”に関して、日本では一瞬しか話題にならず、むしろそれを見た日本の大衆は、そのアクションに同意した西側と同じ立場で考えてしまったようにみえましたが、東側の国の多くはそれに大きく反発しました。また、西欧の大国に対するブーイングは、過去の大会でもありましたが、それらと比較して明らかに顕著であり、全アラブはモロッコを応援していたようにみえました。
ツールに出る意味
日本では「ツール・ド・フランスを目指して」という名目でチームが立ち上がったりしていますが、それは言わないほうがいいのでは?と思います。なぜなら、どう考えても無理だと思うからです。JCLというリーグを利用し、その中で強く育った選手がより強いリーグへ移籍できる可能性を考えることは、サッカーなどでもあるわけですし、そのためのJリーグでありJCLなわけですが、”チームごと”登録先を変えたり、上に上がっていくという構想には無理がありすぎます。先程申し上げたように、実力だけで上に行ける世界ではありません。9年後に欧州ツアー優勝、12年後にワールドツアーに昇格しツール出場というのは、夢物語が過ぎるのではないかと思います。
今現在のマルコが現役を続けられるだけの実力がどうであるのか、それはぼくにはわかりません。しかし、強い選手だろうと思います。JCLでなら、優勝することは容易でしょう。しかし、そのマルコですら契約を獲得できない。それなのに…。
スポーツにおける西と東の間のギャップ
ロシアやベラルーシ籍のチームをサクッと排除したスポーツ界にはたいへんガッカリしました。むしろ、ロードレースでは真っ先にそのような対応をしたように思います。他のスポーツでは、ロシア人選手も活動できているケースがありますが、ロードレースでは一切見られなくなりました。もちろん、オリンピックでのロシアの国主導による組織的ドーピングが影響してはいますが、戦争というタイミングに乗っかりすぎではないでしょうか。
また昨今は、西欧によるスポーツに於いての東側へのカウンターが顕著に思います。最近のリベラル界隈での自然破壊、ジェンダー、あるいは気候変動やそれらの文化に対する盛り上がりが、東側の歴史や文化や人びとを部分的に否定する要素となってしまっているからではないかと思いますす、対立や分断が深まっているようにもみえます。
ロードレースでも、UAEとバーレーンに対する反発はあるようにみえますし、それに関しての状況的証拠となるいくつかのケースが、日本以外のロードレース関連報道ではみることができます。サッカーやF1では、ここ10数年くらいずっとそんな感じですから、お互いに鬱積している何かはありそうな気がしますし、それが起きてもまったく不思議なことではないでしょう。
選手を育て、そして守りたい
その余波をネガティブに負うのは結局は選手であり、末端の人びとです。ぼくはそれがとても残念です。特に自転車ロードレースでは、いつも選手が割りを食ってきました。尻尾切りのような目ににあってきました。
ぼくはそのような西欧の自転車ロードレース文化を、その歴史や伝統を重視し、”本場である”というばかりでなく、その中で改善すべき点を刷新し、むしろJCLをアジアや東側の国と地域のための自転車ロードレースのメジャーなリーグへの成長させることこそが目指すべきところであり、日本で自転車ロードレースが取り上げられるために必要なことだと思います。きっと、新城幸也が5人いて、そのすべてが欧州で走るようになったとしても、何も変わらないと思います。
むしろ、欧州が本場であると礼賛し続けることは、日本人や日本やアジアが自転車ロードレースにおいて大きくなっていくことの助けにはなっていないのではないでしょうか。メリダが50年以上の歴史を持ちながら、なぜ自転車ロードレース界にはここ数年しか関わろうとしなかったのか、それもまた”本場西欧”との関わりを象徴していることの一つでしょう。
マルコ・カノラさんの今後の活躍を期待しています。
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