オリジナルのかっこよさは永遠であり、それを伝えたい
平野選手:「僕がいなかった間、1年前くらいから、技術の面でまたぐいっと上がってきましたよね。ハーフパイプは(エアが)5発か6発か、ある程度技の回数が決まっている中で、どんどん技術(を磨くこと)が先行しています。
映像を見ていると、コースの上から下まで誰が一番多く、どれだけ(難易度の高い技を)回れてきれいに決められるかという流れが強いのかなと思っていて。
そこにはグラブ(板を手でつかむ技)の持ち替えや、エアの高さもあまり関係ない。だからひとりひとりの個性があまり見えなくなってきているんです。
『ショーン・ホワイト選手(五輪3大会金メダル)といえば高いエアだよね』とか、『○○選手といえば○○』とか、前はそういう『スタイル』がありましたけど、今はそれがなくなって、技を決めるか決めないかの勝負になっている。
スノーボーダーからしたらあまりおもしろくはないと思います。
選手ごとのスタイルや高さがなくなったシンプルな演技…オリンピックとかそうなりそうですよね。そういう世界になっているのが、ちょっと悲しい部分もあります」
めっちゃわかる。
グラブする位置にしても、回すことがメインになってるのでスタイルはない。みんな同じ。昔は飛んでる一瞬で誰だか分かったくらいスタイルがあった。だから、滑ってる自分らも、何回回すかと同じくらい、”誰になるか”は大事だったし、むしろ後者のほうが大事だった。
これはロードレースやMTBレースでも同じだと思う。ローテクは良いとかじゃなく、やはりその文化を作った瞬間っていうのは素晴らしくかっこいいんだと思うし、ぼくら70年代生まれはギリギリそういうことが多発した時代にネット時代がベースになって、さらにSNS時代まで接続されるタイミングに行きてきたと思うけど、10年代以降にはもうそういうことは一切起きてないのは残念でしかない。
音楽もそうで、正直もう今の音楽に興味がないのは、音楽って”みんな分かっちゃってる”からで、ヒットするパターンを数学で作れるわけでしょう?クラシックがすばらしいのはオリジナルだからだと思う。
競技の進歩なのか、進化なのか、いや、競技化してるってことでこれはこれなんだろうけど、これはスノボじゃないんだよなっていう気持ちはめっちゃ分かる。ショーンは今回も自分のスタイルをあまり崩してないと思うし、その上でオッサンなのに頑張って戦ってて、10歳にも満たなかったショーンがめっちゃ楽しそうに雪で遊んでることから観てるぼくにとって、もうなんかほんとすごいなという気持ちです。
R.P.M.は今観ても「かっけーーーーー!!!!」しかない。
冒頭のデッケネからすべていい。
当時は擦り切れるほど観たし、ジェイミーのシフティーをいつかやってやると思っていた。レイト180も死ぬほどかっこいいし、イグチの腕の使い方とかマジで死ねる。
13分以降のランケットのパウダーランはもちろん、ミトングラブも真似したし、ヘリから降りたあとに膝つく姿勢まで真似した。
とはいえ、とにかくジェイミーしかない。当時、自分が丸坊主にこだわったのも実はそれで、丸顔だし、サングラスまで真似してジェイミーに近づこうとした。今で言う”推し”ってやつですね。
90年代スノボと言えば、FLF。
RoadkilとRPMはバイブルである。
冒頭で流れるNOFXは今でも聴くし、メンツもやばい。ペニワイもいい。そんなのは当たり前だ。
イグチの腕の使い方にしびれる。トゥイークひとつでみんな違う。RoadkilにはMTBerも大好きなショーン・パーマーも出るし、レジェンドしかいない。もちろんテリエもいる。
懐かしんでいるだけかも知れないが、レジェンドとはそういうものだと思うし、文化が生まれた瞬間は尊い。
何回回したとか、自転車が何キロになったとか、エアロがどうとかじゃなく、そもそもそのスポーツを作った人たちがなぜ作ったのか、何を作ったのか、何のためにどういう気持ちで作ったのかを継承することが大事なのだと思う。
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