大丈夫の重石
秋ってほんとうに予告なしに現れるし、
近年は滞在時間もめちゃくちゃ短いなと思う。
秋服って単語ももはや質感と色味でカテゴリ分けしたよ!というだけで季節とリンクする暇を与えられてない気がする。それでもかわいいけどすこし寂しい。
秋って私みたいな人には待ち望まれて歓迎されるけど、拒否反応を起こす人もおるようなちょっと特殊な季節やったりもすると思う。
弟は毎年体調が悪くなりがちで出席日数が減っちゃうし、率直に寂しくなるから嫌いって感じてる友達もおったし。
昔見た自殺者数の年間推移も、一年のなかで最後に増加しとったんが9月やった(、気がする)。はっきり覚えてないけど新学期が始まること以外にも要因があったりするんちゃうかなーって考えたりしていた。
私も私で、なんで好きかって聞かれると四季のなかでいちばん匂いが好きやから!としかいえない。春の匂いも大好きやけどあれは焦燥感もつれてくるので偏に好きとはいえない、、、
だからとにかくとっても五感に感性に訴えかけてくる季節なんやろうなぁと思ったりしている。
そんな秋に、私はずっと「大丈夫」について考えていた。
祈りで、呪いで、未来の祝福の言葉。
というのも。最近再放送されとった「家族だから愛したんじゃなくて愛したのが家族だった」が最終話を迎えたり、「大丈夫俱楽部」が完結したり。
きっかけは完全に外的要因やったけど、「大丈夫」ってそもそも私が言葉の処方に悩みながらも結局頻繁に使ってきたなって思ったので一度立ち止まってみた。
相手に対して使う(:他者から受け取る)には素敵な言葉なんやと思う。
それこそ今まで頑張ってきたことの、何かしらの本番前とかやったら、他人から客観的な目線で大丈夫って言ってもらえたらそれは十分心の補修になると思う。つまり、とくに、わけもなく不安なときとかなんちゃうかな。。
実際自分も、入試直前の友達とかには「大丈夫やから全力出せますように!って応援しとる!」みたいなことを言っとった。わかりにくぅー、、、
でもそんな状況の友達にはあれ以上に頑張ってほしいわけがなかったし、自分自身も(やれることがそのまま出来たら受かる)って思えてたおかげで資格試験と受験全部受かってきたし、そう思えとるときの本番ってダンス、スピーチ、軽音、コンペなんかにしても全然緊張せんかったから
そういうマインドの補強に、信頼しとる人から贈ってもらうにはすごい意味のある言葉では!ないだろうか!
そして自分に対して使う(:言いきかせる)ときってどうやろう。
自分の場合、わりと無理しとることが多い。これは、かぞかぞ見とって気付いたこと。。。。こんなんやからずっと他人に心配かけるんよな、あんまり治りそうにないけど、、、、
(ここから微ネタバレかもなので気にする人は避けてね)
かぞかぞの最終話?かな、で、七実が大丈夫な人と大丈夫じゃない人の話しとって
自分、これは大丈夫じゃない側の人間だな!と思った
昔からうまいことずるい逃げ方をするのが得意じゃなくて、まっすぐなやり方で正面から失敗するなどしてきた私ですが。
私のような人の場合、無意識のうちに無茶の方向に突っ走っていることが多いのでは、ないだろうか。
で、そんなときに自分自身に向かって「大丈夫!」と言い続けてしまうと、破滅への道をたどることになります。
(経験談)
そんなことになってしまった場合、大丈夫は呪いの言葉に姿を変えてしまう気がしています。中身が大丈夫じゃないから。
大丈夫倶楽部は、途中で大丈夫、じゃなーい!っていう場面があっ(た気がし)て、私に必要なのはそれな気がする。気がしてばっかりで不確かだな、!!
私や七実やひとみさんのような人がほんとうに大丈夫になるには自分に、というか自分のコンディションを正しく解っていないといけない。(こうやって固める行為も悪かったりするので難しいな、できる筋肉ないのに眉間にしわがよりそう)
大丈夫な人に比べて意識的に自分の大丈夫を疑い、過敏になり、自分を守っていかないとなぁと思うわけです。そう考え始めると大層で深刻やわぁ。
でもその分自分以外の大丈夫じゃないにも敏感なんじゃないかなぁと思うんです。それはそれで大変なこともある、けど活かしていけそうではないでしょうか!もちろん私のコンフォートゾーンのなかで。
季節だけじゃないけど、大丈夫が揺らぐ状況とか出来事っていっぱいあって
その時に自分を守れる処方箋をなるべく確実に持っておくべきやと思うし、
そのなかで言葉もうまく引き出せる大人になりたい、ですねー!