復刻版「贋作・ひとりごと」No.2
遠文連ニュース「はぴねす」No.186(1983.4.10発行)より
先日、仕事の関係で月曜日の倉敷に行ってきました。別に珍しいことでもないのですが、大原美術館をはじめ、各商店が月曜休みなのですよ。
それでもギャルがチラホラ美観地区やアイビー・スクエアを散策しておりました。そこで気付いたのは、前にはやはり人が必要だということです。どんなステキな建物であろうと、美しい建造物であろうと、その中で生活している、又は呼吸をしている人がいなければ廃墟にすぎないのです。
ところが、この人というのも質的な問題もあると思うのです。所は違いますが、日曜・祭日のデパート通りの人を見ると、もう、うんざりして気持ちが悪くなってしまうのです。自分の意志とは無関係に、まるで動く歩道に乗っているような集団移動、こんな表現があてはまると思いませんか。
前々から言われていることですが、浜松の中心部はたむろできる場所がありませんね。駅前広場もオープンしたし、高層ビルも多くなって、まさに50万都市の面目躍如といったところだと思います。でも、建物がからみあっているという街というイメージもあります。人と建物がマッチした街づくり、それには人づくりを優先させなければ、と考えてしまいました。(選挙に出るつもりではありませんので、あしからず)
遠文連ニュース「はぴねす」No.188(1983.6.10発行)より
この号が貴方の手に届いている頃には、きっとベスト・テンに入っていると思うのですが、上田正樹の「悲しい色やね」って知っていますか。レコード盤に針を下した途端に、久しぶりに胸をおどらせてしまった歌なのです。最近のヒット曲のように、コマーシャルソングにも使われていないし、マスコミの力を借りて売っているわけでもありません。「うた」そのものの存在感で売っているのです。たった一言、「名曲」だと思います。これを「名曲」だと思わない人は、ミーハー人間か、音楽に不干感性になっている人です。個人的にでも、浜松で上田正樹コンサートを実現させたいと思っています。電話でもハガキでも、チケットの裏にでもかまいません。プレッシャーをかけて下さい。ご協力をお願いします。
個人的な趣味で、他5人のアーティストと「名曲」を紹介させていただきます。
エディ藩 「横浜ホンキィ・トンク・ブルース」
CHIBO「ロンリー・レイニーディ・ブルース」
デイヴ平尾「ジョー・ジャコミン」
「ゴールデン・カップス」は、今の音を作り出しているのです。「横浜R&B」を聴いてみて下さい。
遠文連ニュース「はぴねす」No.189(1983.7.10発行)より
最近、このコーナーの内容がマジになってきたとか、ネクラになってきたというご意見をいただきました。それだけ読んでいただいているのかという、自分勝手な解釈で、これからも続けていいかな‥‥‥(いいとも)
ところで、今月分の意見ていうかボヤキなんですが、一頃のロックンローラーに代表されるツッパリ青年たちはどこへ行ってしまったんでしょうね。マリファナ問題で小さくなっているという声も聞いています。でも根本的には、もともとツッパリでも何でもなかったんでしょうね。時代に合わせてツッパリぶりっ子をしてたんではないでしょうか。あえて名前は書きませんが、ツッパリのトップにいたグループが総理大臣に招かれて酒を飲んでいるんですよ。学歴無用、大学解体、落ちこぼれ救済をスローガンにしていた人に限って一流大学を出て、第一線で働いているんですよ。
そこで、ツッパリぶりっ子している人たちに一言。政治でも経済でも芸能でも、何のジャンルに対してでも言えることだけど、コツコツと取り組んでいる人たちをダサイとかオジンとかいう言葉をぶつけて逃げないで下さい。本当のツッパリとは、ツッパル相手のことを勉強していなければ、ツッパレないのですよ。自分自身が拒否して逃げるのは勝手だけど、まともに立ち向かっている人にまで攻撃しないで下さい。
遠文連ニュース「はぴねす」No.190(1983.8.10発行)より
どんな場合でも所詮は氷山の一角なんだろうけれど、トラブルが表面化する時はタイミングが一致するらしい。新聞の三面記事にしても芸能人のスキャンダルにしても、うまいことスケジューリングされてしまうもんです。そない思いませんか。月曜日は蒸発してしもた嫁さん探し、火曜日は誰それの離婚話、水曜日はマリファナを教材にした精神訓話‥こんなぐあいにうまいことできてますけど、誰が企画しまんのやろな、こんなこと。よっぽど、ゆがんでなかったらできまへんで。
前にも一度書いたけど、レポーターたらいうあってもなくてもかまわん、どっちかいうたら無いほうがええ遊び人いてまっしゃろ。いかにも一般大衆が喜びそうなワン・パターン・フレーズで詰問してますけど、世間さわがしてんのは、アンタやで。アンタがあることないこと言いふらすよってに、自殺したり会社クビになったり、ノイローゼになってしまう気の弱い(それが普通ですわな)人がいてまんのやで。どこまで事実でどこから誇張なのか判らない人の方が多いんですよ。どない考えてんねん。
今回は「おじさんは怒ってるんだぞ!」といったフンイキでお届けしました。おつかれさまでした。
遠文連ニュース「はぴねす」No.191(1983.9.10発行)より
暑い陽射、台風騒ぎから一段落、いかがお過ごしですか。楽しかった夏の経験を思い出して、夜中に一人ウフッ!なんてしないように。
私は、三ヶ月ぶりに戸隠高原、そして一年ぶりの山田牧場まで行ってきました。青空の下で昼寝をしたり、星明りの下で酒を飲みながら、何でもない話を夜遅くまでしたり、ホンマにええもんです。こんな生活してたら、いつまでたっても独身発展途上者やなぁと考えこんでいる今日この頃です。
ところで、この夏にはうれしい出会いがありました。浜松市内の二つのアマチュア劇団の発表会のことです。一つは東京キッドの作品、もう一つはソーントン・ワイルダーの作品でした。これだけで、おわかりになる方はおわかりになると思いまするおわかりにならない方はおわかりにならないと思います。確かに二つの劇団とも声は出ていないし、演技はよくないし、大道具類も無理がありました。しかし、そういった欠点を忘れさせてしまうパッションが、ひたむきさが、若さが時間を忘れさせてくれたのです。プライベートな時間をほとんど練習に打ち込んで、自己満足かもしれないけれど自己主張していく。浜松にもねこんなステキな人たちがいたのかと、久しぶりに感動しました。ガンバッテクダサイ。
遠文連ニュース「はぴねす」No.192(1983.10.10発行)より
先日、ある噺家さんと雑談をしたのです。
現在の寄席の木戸銭、噺家の出演料がいかに安いかというボヤキにおつきあいしたのですが、彼が言うのには、
「噺家っていうのは、リハーサルもないし、音合わせもいらないし、主催者側の時間、プログラムにその場で合わせられるし、それも笑いながらやっちゃうから軽くみられるんじゃないのかな。」
まさにプロフェッショナルな職業なのですよ。あらかじめ、アレとコレが無かったらできないてなことは言わないし、出した物は必ず食べてくれるし、手がかかりませんねぇ。やはり、あっても無くてもえぇ商売という自覚があるんですね。
それにひきかえて、いなくっても無くてもえぇタレントのなんと多いことでしょうか。テレビのクイズ番組やスペシャル番組に、ただ座っているだけのマイクを握ってニコニコしているジャリタレが、よういてまっしゃろ。スポンサーとプロダクションとの間に何や関係があるのかもしれへんけど、どないかなりまへんのか。同じタレント救済番組をつくるのやったら、可能性のあるタレントを使うてやってもせいたいんです。東京にも大阪にも、まだまだマスコミに取り上げられてないタレントがいてるんです。