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復刻版「よせあつめ瓦版・ランダム」その18(1995.9.1~9.30)
1995年9月1日(金)
ネーネーズの最新CD「夏-うりずん-」を購入。
NHK・BSのアジア・ポップス番組や沖縄ポップス特集では、頻繁に登場するようになってきた、沖縄の新しい顔である。いわゆる沖縄民謡からポップス・ジャズまで幅広くレパートリーを広げ、活躍している。おそらくは半分以上は現地でも普通に会話としては使われなくなっている言葉もあるだろうが、歌の世界では、見事なイメージを伝えてくれている。共通語と和製英語の歌詞よりは、すばらしい歌の世界であると思う。
例えば、沖縄本島の民謡「かいさーれー」の一節、
月ん照りまてい 宿に居らりらん どぅしび押し連りてぃ ジントーヨー 遊びに行ってくるわ」という意味ですが、どうでしょうか。
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1995年9月3日(日)
浜松・中央2劇場で「EAST MEETS WEST」を観る。
幕末、咸臨丸で太平洋を渡った、真田広之のサムライと竹中直人のニンジャが軍用金三千両を追って、西部の荒野で繰り広げる、サムライ・ウエスタンである。
岡本喜八監督の脚本も制作費用も充分で、楽しめる娯楽映画となっていたのだが、何といっても、この映画の魅力は、一人芝居にしてしまった竹中直人の演技力と存在感に因るものであると思う。これからも竹中直人と競演する俳優は主役を奪われて困ると思う。
同時上映が「トムとジェリーの大冒険」で、あのテレビ番組の劇場版を期待していたのだが、日本語吹き替え、日本語のイメージ・ソングによる、日本の子供向けに、日本で編集された映画であったため、期待外れであった。
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1995年9月4日(月)
扶桑社文庫から昭和38年当時の漫画「8マン」が復刻されていた。解説によれば、TVアニメは昭和38年11月7日から39年12月24日まで放映され、最高視聴率は35.3%であったというから、その爆発的人気の凄さがわかる。
SF作家の平井和正による原作は、それまでに存在しなかった「8マン」という生命体をこの世に送り出してくれた。30年以上も前の画がこんなに新鮮に再登場してくるとは、原作・漫画双方の素晴らしさに感動させられた。
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1995年9月7日(木)
ヴァイオリニストの松野弘明の4枚目のCDが発売されていた。(東芝EMI「Nuovo Cinema Paradiso」)2歳からヴァイオリンを始め、ニューイングランド室内管弦楽団のソリスト、帰国後は新日本フィルハーモニー、東京フィルハーモニー、母校の桐朋学園オーケストラ、東京交響楽団などと共演、世界的な才能を発揮している若い力の一人である。クラシックの「難しい作品」からユーミンまで幅広く自身の音楽活動に取り入れ、ファンを増やしているという。
今回のCDは、80年代後半から90年代にかけて、日本ではミニ・シアターで公開されたヨーロッパ映画の主題曲14曲を巧みに編成した珠玉の映画音楽集といえようか。「ラマン・愛人」「眺めのいい部屋」「ベティ・ブルー」「これからの人生」「マルセルの夏」「ニュー・シネマ・パラダイス」など、すべてミニ・シアターで実際に観た状況を思い浮かべることができて、至福の時を過ごすことができた。
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1995年9月9日(土)
第35回本果寺寄席は、「鯉昇の残暑お見舞い落語会」。
今回は事前にお断りをさせていただいて、一席目に鯉昇師匠の「まんじゅうこわい」。そして二席目に私が長講40分の「質屋蔵」をネタおろしさせていただいた。前座噺の持ちネタも乏しくなってきたし、残暑も控えめで、こんな人情噺もええやろと勝手に判断しての大ネタでした。ご常連のお客様の前ということで何とか、20年来の宿題を終えたような気持ちでした。これからも、お許し願えるなら、一年に一席は大ネタを稽古させていただこうと、記憶力の減退にもめげす頑張ります。そして、三席目は鯉昇師匠の「こんにゃく問答」で、本果寺寄席の開始以来、112席目の噺を聴いていただけました。次回も、お楽しみに。
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1995年9月10日(日)
「蒲郡落語を聴く会」の第110回例会は、春風亭鯉昇独演会として、「ちりとてちん」「妾馬」「寝床」の三席。さすがに昨日のお疲れからか、楽屋では、単なるオジさんの姿で芸人の姿ではありませんでした。浜松から東海道線で蒲郡駅まで移動して、駅から会場まで徒歩で10分という非常に健康的な会場入りで、受付で待っていた常連さんも気づかなかったというくらいでした。
当日は、運営費を捻出するため二年に一度開催されている、落語関係グッズのオークションの日で、「寄席あつめの会」から、鯉昇真打昇進時に「蒲郡落語を聴く会」主催の橘右太治師に書いていただいた寄席文字による祝儀木札を提供、5000円までの値がついた。私は、「一期一会」の木札、当夜の「ミニめくり」をどちらも2000円で落とすことが出来、大満足の一夜でした。
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1995年9月15日(金)
豊橋駅前文化ホールで、毎月開催されている「豊橋三愛寄席」の第129回例会は、扇橋門下の入船亭扇治独演会。
今年から金曜寄席とにってしまったので、前座の途中に入場、扇治師の二席を聴いた。一席目は創作落語の「猫肌の湯」、そして二席目は「二番煎じ」と無難にまとめてくれた。三愛寄席には五回目の出演なので、ご常連のお客様も多いらしく、アットホームな雰囲気の落語会であった。敬老の日ということで、寄席文字による木札のプレゼントもあり、好評であった。ただ、主催者のご都合により、打上げが無くなってしまったので、スタッフやご常連さんたちと、いつもの居酒屋で自主打上げということになり、(結局、これまでと変わらないのですが)帰りは終電車となってしまった。
ところで、前座の噺の時間を使って(失礼)、ヤマト楽器店で落語のCDを探したところ、昨年12月に発売されていた、「米朝珍品集その六」(東芝EMI)を購入できた。このシリーズは、上方では演じられなくなった噺とか、珍しい噺の復活に取り組んでおられる米朝師の労作です。
今回は、「ためし酒」「あくびの稽古」「古手買」の三席。ほとんどネタおろしに近く、これからも手を加えていくという師の取組に期待している。それにしても気になるのは、最近、こうした落語の解説書に「このレコードの内容は伝承古典落語につき、現社会では実しません」という記述がされている事です。
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1995年9月16日(土)
浜松市内の居酒屋「とし平」で年4~5回続けられている「とし平落語会」に久しぶりにおじゃました。春風亭鯉昇の個人的な付き合いから始められたこの会は、30人で満席という状況で、開演中はオーダーストップ、飲食禁止という苛酷なルールのもとに続けられている貴重な地域寄席の一つです。当夜の演目は「こんにゃく問答」でした。
実は、浜松ジャズを聴く会で年一回、鯉昇の落語を聴く会を企画しようとの話がもちあがり、今夜、鯉昇を交えての第一回打ち合わせ。来年の6月の予定ということなので、具体的には来年に決定します。
1995年9月22日(金)
ばこう書店(金原亭馬好師の古書店)から、注文しておいた落語関係の古書3冊が届いた。この書店からは年に一度、ワープロで作成された古書目録が郵送されてくる。
今回は、5冊申し込んで、そのうち3冊を入手出来た。昭和31年8月発行の「週間娯楽よみうり・臨時増刊‥涼風寄席読本」。昭和32年1月発行の「特集文芸‥新春落語講談名作全集」。そして、昭和43年1月発行の昔々亭桃太郎・口演「裸か落語パーテー」である。
当時は、こうした落語・講談の速記物を掲載すれば、かなり読者が増えたようで、安易な内容も多いが「週間娯楽よみきり」の内容は豪華であった。
一龍齋貞鳳「茶碗屋敷の由来」、三升家小勝「素人易者」、春風亭柳枝「刀屋」、桂小文治「十日前」、邑井貞吉「太閤と曾呂利」、林家正蔵「品川心中」など36席、これは掘り出し物でした。
1995年9月24日(日)
浜松東映劇場でのムーンライトシアター。今回は特別上映という事で、昼11時30分から、乙羽信子の遺作となった、新藤兼人監督「午後の遺言状」を観る。
まさに、女優・杉村春子を主役に、女優という一つの人生を選択した人間と、老いていく今日から、人生の最後にもう一度、力を出し切ろうとする人間たちのある季節を描いた秀作であると思う。遺作となってから(乙羽さんが亡くなってから)語られた事実は映画以上のドラマであったらしい。
肝臓ガンと宣告されて余命一年半、映画の撮影開始が七か月後、そして撮影終了が半年後、もう余命あと幾日という段階で、スタッフだけの試写を観て亡くなられたという。
サライ9月21日のインタビューで、監督は「夫婦は、いかに言葉を交わし合うかです。語り尽くせば、先立つ方も残った方も不幸じゃない。僕と乙羽さんもそうでした。」と語っていた。映画を観ながら、思い出して泣いてしまつた。
1995年9月24日(日)
浜松宝塚劇場で、伊丹十三監督「静かな生活」を観る。
今日は、映画のハシゴです。
ノーベル賞受賞以来、さまざまなジャンルで取り上げられ出した大江作品だが、個人的にはヒロインとなるマーちゃん役の佐伯日菜子に注目している。金子修介監督「毎日が夏休み」のヒロインとして、昨日までの普通の高校生から映画女優となった、佐伯日菜子嬢。オーラを発している清潔感と明るさ、絶対にチンピラ映画やヤクザ映画には登場させないで、大切に育てていただきたい女優の一人である。
ところで、伊丹作品だが、原作に忠実に描こうとして暴行未遂シーンまで登場させたのは、行き過ぎかもしれないが、身障者の生活や内面を描く事ができたのは、さすがと言うべきでした。
1995年9月26日(火)
高校生時代、夢中になっていた「週刊漫画アクション」に連載されていた、バロン吉元の「柔侠伝」が笠原漫画文庫として復刻された。
明治の文明開化の中で講道館柔道の敵となってしまう柔術。主人公・柳勘九郎の柔道との闘いを主軸にして、日露戦争・民権運動・文明開化の名の下に取り残される庶民‥。時代の大きなうねりを、その武闘とともにイメージさせてくれる。四半世紀前の作品だが、全く新鮮で一頁ごとにわくわくさせてくれた当時と全く変わっていなかった。これから続々と復刻されるようなので、楽しみである。
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1995年9月30日(土)
名古屋市芸術創造センターで、北村想の作・演出によるプロジェクト・ナビ「けんじの大じけん」を観る。
10年前に、北村氏の「寿歌」に感動し、「寄席あつめの会」主催で、本果寺の本堂をお借りして、浜松の「劇団テクノポリス」に上演していただいた。その時からの北村想ファンで、名古屋市内て新作発表の時は都合をつけて観に行くようにしている。
今回の「けんじの大じけん」は、前作「けんじのじけん」の改訂版で、「けんじ」は宮沢賢治の賢治です。
「どんぐりと山猫むや「セロ弾きのゴーシュ」を劇中劇として使いながら、賢治を科学を使って理想郷と営利を同時に画策する悪人として誤読してみようという作品です。北村氏自身はカトリックですが、賢治の信仰していた法華経と科学、そした「修羅」となることによっての自由と理想についての演劇となっています。
ちょうど、全マスコミがオウムを取り上げている風潮の中で、賢治作品を使いながら、オウム真理に反論しているようで、たいへん興味深い芝居であった。
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