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復刻版「よせあつめ瓦版・ランダム」その10(95.1.1~1.31)

1995年1月3日(火)

 浜松・中央劇場2で、シュワルツェネッガー主演の「ジュニア」を観る。「ツインズ」でのコメディトリオ、ダニー・デビート、アイバン・ライトマン監督とのコメディ映画である。自ら新開発した流産予防薬の実験台となって、人類史上初めての男性妊娠出産を経験することとなった、シュワルツェネッカー。医学的には疑問点が多いと思うが、お腹の大きな女性に対するやさしさとかいたわりが全面に感じられた。卵子を無断で使用された女性と恋に落ちて、現実的に二人目の赤ちゃん誕生というハッピー・エンドで、まずは無難にまとめていたんではないでしょうか。

1995年1月10日(火)

 佐藤二雄著「テレビ・メディアと日本人」(すずさわ書店)を読む。
 視聴率万能主義により「質」ではなく、「量」で評価するようになってしまったテレビの40年間の歴史を評価しながらも、今後に期待できるのだろうか、という提言書である。オイル・ショック後に民放も含めて、放送時間の短縮が行われたことは、ご記憶にあると思う。この時、送り手であるテレビ局は視聴者からのクレームを予想していたが、ほとんど出なかった。この時からテレビの存在について「あれば付き合うけど、なければさようなら」という評価に変わってきたという。
 映画でも演劇でもない、コンサートでもない、寄席でもない、テレビの映画、テレビの演劇、テレビのコンサート、テレビの寄席‥。これら独自の世界が、どうせ、本物の娯楽があるところまで足を運ぶだけの熱意もなければ、時間もお金もないのだろうと、考えて制作している側の考え方も理解できるが、それらに拒否しようとしない視聴者もいるわけで、娯楽番組の刺激度はますます強烈になっていくのです。

1995年1月13日(金)

 豊橋駅前文化ホールでの豊橋三愛寄席で、「橘家鷹蔵独演会」。
 今年から会場予約の都合で、半年程、金曜寄席となってしまったとのことで、お客様は若干マイナスしているようである。二ツ目の噺家さん一人といっても、前売り1500円、当日2000円では、スポンサーからの支援があっても、50名では本当に大変なご苦労だと思います。ただし、浜松市内よりは関西の噺家さんも受け入れてくれるし、ネームバリューに関係なく、噺を聴いてやろうというお客様は潜在的に多いため、雰囲気は非常に良い落語会ではないでしょうか。
 当夜の演目は、前座の三代目愛知家大楽君が「火炎太鼓」、鷹蔵さんが「河豚鍋」「替り目」の二席とお座敷での踊りで楽しませてくれた。豊橋泊ということで、終車までお付き合いさせていただいたが、少し固めの口調が関西の噺家さんたちとの交流によって柔らかくなり、面白落語に近づいてきたような感じを受けた。

第122回 豊橋三愛寄席のチラシ

1995年1月14日(日)

 昨日、購入した上岡龍太郎の「私の上方芸能史‥上岡龍太郎かく語りき」(筑摩書房)を読む。
 漫画トリオ時代の誕生から解散までを軸にして、当時のお気に入りの芸人さんたちの想い出を語ってくれている。楽屋奇人伝として、浅草四郎の高座写真とエピソードが紹介されていた。岡八郎と一時、漫才コンビを組んでいたので、ご記憶の方も多いと思うが、私自身はもちろん高座は見たこともないのだが、花月からのTVで何度か見た記憶があり、非常にテンポのいい漫才で、印象に残っていた。
 この頃、政治風刺ネタが難しくなっているのは、お客さんの政治に対する知識・情報量が増えたために、生半可な扱い方では感心もしないし、手もたたかないという意識の違いによるという。量と速さについていけないというのは、芸人さんたちだけではないように思うが、やはり基礎的な意識が変わってきたということではないでしょうか。

1995年1月17日(火)

 山崎ハコのCDを15年ぶりに購入してしまった。実は、昨晩NHK・BSで放送された「フォーク・リクエスト大全集」へのゲスト出演で「望郷」を聴き、忘れかけていた声を思い出しCDを探したところ、一番新しいのが「十八番」(ビクター)であった。スタンダード・ソングのCDで、ライブハウスでは歌い続けてきた名曲の集大成ともいえる形になっていた。「アカシアの雨がやむとき」「今夜は踊ろう」「みんな夢の中」「上を向いて歩こう」「再会」「東京ブギウギ」「圭子の夢は夜ひらく」「さらば恋人」「本牧メルヘン」「時の過ゆくままに」。大切に歌われている、それぞれの歌に思い入れが感じられ、すばらしい作品になっている。これは、とんでもなく良いCDの買い物でした。

1994.9.21発売のCD「十八番」

1995年1月20日(金)

 浜松東映劇場でのムーンライトシアターで、「春にして君を想う」を観る。
 おそらくは、劇場用映画としては日本で初めてというアイスランドの映画です。ヨーロッパ各国ではロングランを続け、観る人に感動の輪を広げている秀作です。
 78歳のソウルゲイルおじいさんは娘夫婦のいる都会では、招かれざる客で、たちまち老人ホーム送りにされてしまう。だが、ここで問題老婦人に出会う。それが、幼馴染のステラおばあさんである。ホームの管理体質を嫌い、故郷アダルヴィクへの逃走を図っては、連れ戻されてきた。二人はスニーカーを購入し、口座を解約し、ジープを盗んで、故郷へ回帰する旅に出る。教会の建っている丘、空き別荘のある草原、地球に残されている最後の神の地とでも表現できそうな里で、二人は寄り添い、いくばくの幸せな時を過ごすが‥。
 二人は、きっと天国で幸せに暮らしていると思う。
 アメリカ映画好きな方には、物足りないかもしれませんが、てつまでも心の片隅に残っている映画です。機会がありましたら、ぜひどうぞ。

1995年1月21日(土)

 東京へ出かけたついでに、昨年10月にオープン以来、話題になっているYGP(恵比寿ガーデンプレイス)を見学してきた。ちょうど、雑誌「東京人」の2月号で「恵比寿」の特集をしていたので、購入、参考にしながら歩き回った。
 「東京人」によれば、奥様たちが四・五人連れで映画を観て、昼食して、三越でお買い物して帰るという、奥様たちのレジャー・センターになりつつあるという。確かに、映画館が2館、飲食店が31店、それにウェスティンホテルと恵比寿三越、タイユバン・ロブションという夢のような組み合わせですから、東京中の奥様が集まるのは、不思議ではないと思います。全国からの団体見学者で、土曜の夜のビア・ホールは予約なしでは2時間待ちとも3時間待ちともいわれているんだそうです。
 専門的な事はわかりませんが、文化施設と飲食店、ショッピングセンターの組み合わせで、再開発をすすめていけば、都心の緩和も可能になるとデータを集めているんだそうです。そういう意味では、都市開発・建設関係者は、ぜひ一度見学される事をお勧めします。
 噂には聞いていましたが、世界一の地ビール国、ベルギーのビールが2種類あって、飲んできました。申し訳ありませんが、日本のビールが飲めなくなりそうです。
 余分な事を書きます。怒らないで下さい。国産ビールの原料をご存じですか。あるブランドを覗いて、麦以外に多くの米、とうもろこし、さつまいも等を使っています。ラベルにはっきりと明記してあります。私は、なるべく麦だけのビールを飲むようにしています。これは、贅沢ではないと思います。

1995.2.3発行「東京人」

1995年1月24日(火)

 アサヒグラフ3793号の特集は、「松竹の百年」。
 松竹の社名の由来が、白井松次郎、大竹竹次郎兄弟の名前の一文字からという事を知ったのは、おそらく松竹新喜劇をTVで観ていた頃だから、25年位前になると思う。角座もなくなり、藤山寛美も亡くなり、松竹映画も「釣りバカ」に頼っている現状で、さびしくなっているが、歌舞伎はまだまだ健在、新派も水谷八重子襲名で息を吹き替えそうだし、まだまだ日本の演劇人は頑張っているんだと伝えてくれます。
 松竹歌舞伎の海外公演の写真を見ていたら、昭和3年の左団次公演を取り上げている。実は、この時の「仮名手本忠臣蔵」を観ていたエイゼンシュタインが、歌舞伎の演出の発想を見抜き、映画の話術としての「モンタージュ理論」を完成させた事は、あまりにも有名なエピソードの一つです。

1995年1月28日(土)

 浜松東映劇場でのムーンライトシアターで、「熊楠」復活祭イベント。南方熊楠の生涯をどう映像化してくれるか楽しみにしていた。そのパイロット版のVTR上映と山本政志監督のトーク、そして「ロビンソンの庭」の上映会であった。先ず、このイベントで「熊楠」映画への関心度を高め、製作費へのカンパという目的であったが、関心度は高まったものの、この入場者数ではカンパどころか、打上げのビール代にもならないだろうと、不安に思いながら、カンパをさせていただいた。
 今回の「ロビンソンの庭」は、製作費等の関係で、身の周りの出来事を描いているインディーズ系の映画の中では、よくできていたと思う。都会の真ん中に残された、持ち主の知れない豪邸と広大な緑の庭。そこに勝手に入り込んで生活していくフリーター。ところが、自分の感性が不足しているのかもしれないが、途中で映画館を出たくなった。あまりにも冗漫なのである。無理やり、起承転結を設定する必要はないと思うが、緊張と緩和の部分は絶対に必要だと思う。これまで、ムーンライトシアターのおかげで、配給先の少ない、アジア映画・東欧映画・弱小プロ作品など、たくさん観せていただいて感謝しているが、私の持論としての映画は、テーマを絞り込み、登場人物もなるべく少なくして、さらに編集で絞り込んで、緊張と緩和場面をはっきりさせて、監督やプロデューサーの伝えたい事は120分のうちの3分でもいいから、仕込みの部分をうまくもっていく‥、そんな映画が理想であると勝手に思い込んでいる。
 まだまだ、国内を含めて、世界中には素晴らしい映画が上映を待っているんだろうと、胸ワクワクで期待している。自分の身体が動くうちは、ビデオ・テープで観て、映画を観たような錯覚をしている人種には絶対に入りたくないものである。

1995年1月31日(火)

 文芸春秋社のすばやい対応によって、回収・廃刊となる「マルコポーロ」を購入、問題の「ナチ『ガス室』はソ連の捏造だった」を読む。著者の西岡医師のレポート内容は、自身がいわれる6年間の情報収集としては、かなりうまくまとめられ、理路整然としている。しかし、欧米ではすでに50年間も、ユダヤ人社会も含めて、事実関係の調査研究が続けられてきた史実に対しての疑問レポートは、安易に掲載すべきではなかったし、特に、この雑誌の読者は、このような内容を求めているんだろうかという単純な疑問を持った。
 この廃刊によって、消えてしまう企画も多いわけで、その責任はどうとっていくのか、問題は残されている。例えば、椎名誠と和田誠の「誠の話」(KADOKAWA)。無断掲載します。
「‥僕がカラオケ嫌だなと思うのには理由があるんです。ある時、新宿のバーで飲んでいたら、初老の紳士が十人くらい入ってきて、酔って、一斉に寮歌を歌いはじめたんです。旧制高校の同窓会だったんですね。独特の手拍子で、筋金入りだから上手くてね。かっこいいんです。だけど、じきにアホなホステスがマイク持っていったんです。そしたらマイク以外の人は黙っちゃって、もう味もそっけもないただのしじいのしわがれ声になっちゃって。ああ、これがカラオケなんだと思って、それですっかり嫌になったんです。(椎名誠)‥」

 1月分をまとめている時に、北村想主催のプロジェクト・ナビ(名古屋の劇団)から新作のご案内が届きました。北村氏の「阪神大震災と演劇」という一文が掲載されていたのですが、この内容に感動しておりますので、一部を無断掲載させていただきます。私は、北村作品、北村演劇のファンです。
「‥私の演劇の有効性とは、まさにこうである。被災地に焼け残ったボールが転がっている。身内を失った父と息子、あるいは母と娘でもいい。兄弟でもいい。そういう人がいる。家はないが空は重い。その時、子供がボールを拾う。父はこっちに投げろと合図する。子供が投げ、父が受け、キャッチボールが始まる。瓦礫の中で生き残った証のような、ひとつの演技が始まる。この人間の力を信ずることこそが、私の演劇であり、演劇の唯一の有効性なのだと。NHKアナウンサーが、特番の途中『私たちは単に死者の数を読み上げるだけですが、この四千幾百の方々には四千幾百の人生があったわけです。』と、言葉をつまらせて涙を流した。この言葉は思い出すたびに涙を誘う。私はこの言葉を心に深く刻んで残しておこうと思う。イロンナひとつひとつの人生を、私たちは明日からまた始めよう。」



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