復刻版「贋作・ひとりごと」No.5
遠文連ニュース「はぴねす」No.208(1985.2.10発行)より
1985年の2月になりました。
先月、ということは、先月なのですが、京都への初詣を兼ねて、大阪まで行ってきました。あいかわらず、カルチャー・ショックを与えてくれたのは、大阪芸人のボケとツッコミの間合いとか、徹底したボケの小気味良さでした。幸か不幸か、この感性が東京系の人類に理解されない内は、密かな楽しみとしておこうと思っております。
そ~れから、地下2階から地上6階までのファッション・ブティック・ビルがあるんですが、これがすごいですねェー。限られたビル空間の中で、売り場面積をいかに広くするかよりも、顧客スペースを広くとることに英断を下した、インテリア・デザイナーと経営者の感覚はたいへんなことだと思うのです。しかも、決してスタッフ(店員)の方からは積極的にアプローチをしないというパターンなのです。地下にある人工の川のほとりのベンチに腰掛け、人工の青空を見上げている老夫婦、ヤングの中でまったく違和感を感じさせないのです。(売らんかな、がめつい‥‥)からはかけ離れた世界があるのです。浜松でも、こうしたビルができたらかなり状況は変わっていくと思うのですが‥やったもん勝ちの世界なのですから、がんばんなはれや、商売、商売‥。
遠文連ニュース「はぴねす」No.209(1985.3.10発行)より
「ニュー・プアー」という新造語があるんやそうです。直訳すると、「新・貧乏」になりますね。現在の20代から30代の一部の生活者たちは、生まれた時からテレビがあり、冷蔵庫があり、洗濯機があり、水道があり、車があるという生活を体験しているんやそうです。「貧乏」というのは、テレビドラマとか小説の世界でしか知らないという幸せな方がいてはるんやそうです。ですから、かえって、貧乏生活をすることが新鮮な感じがするということなんですね。現在の日本社会においては、普通に健康に働いていられれば「赤貧」という状況にはならないわけですからね。まぁ、一生プァーというのも嫌だけれども、2~3年、そういう生活をしてみたいという一種のぜいたくなのでございます。
考えてみたら、自分を一ランク下げてみるということも大切なことなのでございます。一億総中流階級といった世間のまやかしに乗せられて、使いもしない電子レンジやファンヒーターとか、レーザーディスクとかがありましても、心は満たされにないのでございます。上流階級や中流階級に、小指一本でしがみついて生活するよりも、自ら一ランク下げることによって、余裕というものが生まれてまいります。この余裕こそがハングリーとかアングリー、インターレスティングな心の欲求を生んでくれる原動力となると思うのでございます。‥一億総ざんげ‥‥合掌‥。
遠文連ニュース「はぴねす」No.211(1985.5.10発行)より
4月の人事異動の対象になりまして、職場が変わってしまいました。今までいろいろなことをしてきましたが、どうやら80%は活動ストップという状況になりそうです。コンサートの会場受付でチケットのもぎりをさせていただくことも、おそらくできないと思います。事実上の引退のようなものですが、引退できないことがあるんです。誕生以来かかわってきた「えんしゅう寄席」のことなんです。確かに、マンネリになっているとか、回数が減っているとか、問題はありますが、やめるということにも抵抗がありました。今回の状況ではシンドイですが、何とか続けていきたいと思っています。とりあえず、県内出身者の落語会を7月28日に企画しております。浜松出身の愛橋さんとか、磐田出身の新窓さんとか、島田出身の円菊さんとか、静岡県パワー全開で笑っていただこうというわけです。円楽さんが自費で寄席を造ったり、それぞれの師匠連が自宅で寄席を開いたりと、皆さん、なかなか苦労をしているようです。テレビに取り上げられているような共通の話題でも、知っていることがナウイことでないとは思います。しかし、一度その楽しみ方を知ると、これほどお金のかからない誰にも迷惑のかからない遊びは無いのではないでしょうか。今までに一度も聴いたことのない方、しかも生の体験をされたことの無いお方は是非、この機会をご利用下さいませ。
遠文連ニュース「はぴねす」No.222(1986.4.10発行)より
新しく社会人になられた皆様、そして遠文連会員になられた皆様、とりあえず、おめでとうございます。そして、これからよろしくお願いします‥と、無難な挨拶をさせていただきます。
さて、全く大変なアーチストたちが登場してきたものである。今年はリスナーにとつてはとても嬉しい年だが、今までの中途半端なタレントにとってはうかうかしていられない年となるだろう。その新人とは”渡辺美里”、”THE東南西北”、そして”小比類巻かほる”の三組である。この「はぴねす」が皆様の目にとまる頃には、テレビでは無理だとしてもFMさんで特集してくれているはずだと信じている。ファンの方には申し訳ないがマッチとかトシちゃんとかチェッカーズたちのようにつくられたウソっぽさが無いし、無垢な感性があふれていて、とことん魅力的なのだ。少しルックスが良かったりスタイルが良いだけで、歌手でありテレビ役者であり、ミュージカル役者であることにしてしまっているここ何年かの悪い風潮(マスコミの売り方)を彼らがきっと変えてくれるであろうと確信している。彼らは、テレビのベスト・テン番組にもテレビ局の新人賞にも登場しないかもしれないが、本物である。ありがとう、がんばれ‥。
遠文連ニュース「はぴねす」No.223(1986.5.10発行)より
一々書き出していては字数が足らないので、省くことにするが、一人のタレントをデビューさせるために映画をつくったり、テレビドラマをつくったり‥何と多いことでしょうか。本人はえぇ気持ちやし、その関係者にしても効率はえぇし、結構なことでしょうね。そやけど、脚本家とか演出家、共演者はどないなるんですか。いくらお金で解決してると言うてもですよ、やはり割り切れないものがあるんとちゃいますか。15~6の女の子に、何でそないにチヤホヤせなあかんのですか。今はボケたようなおっさんでも過去においては現在のタレントでも真似のできないような仕事をしてきているわけです。昔はこうだった、先代はこうだったという言い方をしてはいけないのですが、知っていた方が知らないでいるよりも自分自身を楽しくできるのではないでしょうか。やがて、好むと好まざるとにかかわらず高齢化社会がやってまいります。ご高齢のタレントさんをスタンディング・オベーションで迎えてあげるだけのマナーと知識を持っていきたいものです。
ところで、FM静岡さんの開局3周年記念番組(4月2日のウィ・ラブ・静岡)に出演させていただきまして、ありがとうございました。又、アルバム・セレクションで「THE東南西北」をとりあげていただきましたこともお礼申し上げます。
遠文連ニュース「はぴねす」No.224(1986.6.10発行)より
突然ですが、「えんしゅう寄席」がお休みしていて、申し訳ありません。これも、すべて私の責任でございます。
ところで、春風亭愛橋さんがFM静岡に月一回出演されていることはご存じでしょうか。平日の午後ですからお聴きになっている方は少ないと思いますが、番組表で確認してみて下さい、
先日、久しぶりに愛橋さんと同じ高座にあがったのですが、真打に一歩近づいているようです。お楽しみに。「落語」の代名詞であった「大衆芸能」というイメージが薄れつつあるこの頃、レコードとかテープで以前の噺を聴いていると、妙に新鮮な感じを受けるのです。私が落語を聴きはじめた頃は、仁鶴さんとか三枝さんがラジオのD・Jで売り出した頃です。その頃の噺を聴き直してみると、本当に今でも通用するギャグとかマクラが飛び出してくるのです。情報社会とか何とか言われて久しいのですが、落語に関しては何も残されなかったんだと思うのです。現在でも、落語評論とかレポーターでごはんを食べている方が何人かおられます。しかし、そうした方でも残す・伝えるという努力はしていないと思うのです。やはり、落語が好きならば、一人でも多くの方に、いろいろなバリエーションを知らせることをしてもらいたいのです。今後は、こうした噺そのもののプロデューサーが現れてほしいものです。期待しております。