復刻版「よせあつめ瓦版・ランダム」その19(1955.10.1~10.31)
1995年10月1日(日)
ピチカート・ファイブの最新CD「ROMANTIQUE96」を購入。このところ、マスコミに顔を出してきたヴォーカルの野宮真貴は、NHK教育の渋谷系ミュージック・レポート番組に出演、これまでの活動と今回のCDについて語っていた。これまでのピチカートのヴォーカリストとしては、三代目の野宮は、継続できた理由として、作詞や作曲の分野まで踏み込まないで、ヴォーカリストとしての自分の位置だけ確立して、グループ活動してきたからと言っていた。小西康陽の詞も曲もかなり難しいのに、難なく歌いこなしている野宮の力もなかなかのものですよ。
1995年10月13日(金)
13日の金曜日は、厄落としということで、豊橋駅前文化ホールでの第130回例会「豊橋三愛寄席」に出かける。今夜は春風亭小朝門下の優等生・春風亭茶々丸の独演会でした。「居酒屋」「小言念仏」「らくだ」のたっぷり三席で、制限時間ぎりぎりまでの熱演でした。来春には真打昇進、改名とのことで楽しみな若手の一人に成長していると感じた。ただ、「らくだ」を演じるには適当だが、眼がきつくなる瞬間があり、損をしている噺もあるのではと、心配してしまった。今夜はどうしたわけか、色紙の抽選に当たってしまい、「蛙へそ無い、力無い、私ゃその上銭が無い」という名文句をいただいてしまった。打ち上げは、「蒲郡・落語を聴く会」のスタッフと一緒に終電まで、お疲れさまでした。
1995年10月14日(土)
浜松東映劇場でのムーンライトシアターは、11日から22日まで「中国電影祭」。93、94年に製作・封切りされた中国・香港・台湾映画から6作品を上映してくれた。このうち、初日の「哀戀花火」は数日前にNHB・BSで放映してくれたので、映画館まで足を運ばなかった。今夜は、香港映画の「紅粉(べにおしろい)」を観る。世界の映画市場で今、最も注目を集めている中国の女性監督(リー・シャオオン)の最新作である。
水の都・蘇州を舞台に、1950年、人民政府が成立して娼婦改造計画運動が大々的に実施される。突然、閉館された娼館・喜紅楼から労働改造所に送られる。娼婦チウイーと妹分シォオ。同じ青年に恋をするが、男が全身全霊で愛してくれることを望むチウイーと人に頼らないと生きていけないシャオ。激動の時代に生きた二人の女の愛・哀‥。今の日本映画やTVドラマでは表現できないであろう極限の愛を描いている作品である。。それにしても、観客が30人に満たないという状況は恥ずかしくありませんか。(浜松市民は)
会場で、「哀戀花火」のパンフレットを購入できたため、帰宅してから画面を思い出しながら、ストーリー展開してみた。清朝末期、黄河のほとりで爆竹を作ってきた老舗の若い女主人と行きずりの絵師の恋愛、それをはばむ中国社会の因習と封建制。やがて、婿選びの爆竹合戦による二人の命をかけた一騎打ち、合戦には敗れるが、その絵師の子を宿した女主人の自立と因習とのたたかい‥。これは、実に無理なく描かれ出した劇映画であり、これからの中国映画の展開とマーケットの拡大を考えると、小品ながら記念碑的に残されていく映画の一本のような気がしている。男装がよく似合っていたヒロインのニン・チンはオーラを発しているような美人だが、ナシ族と漢族のハーフとのことで、この容姿は今後、どんな素晴らしい作品に登場してくるか楽しみな一人です。
1995年10月18日(水)
10年間、浜松西武百貨店の小ホール「シティ8」で、イベント企画・運営に携わってきた、現ラップランドの飯田君がアクトシティの「ガレリアコンサート」で頑張っている。今年の4月から毎週日曜日の午後に、30分二回のステージを浜松市内のアマチュアバンドのために企画・運営してきたが、来年3月までの出演枠が埋まり、嬉しい悲鳴をあげているという。
私も、この「シティ8」の企画・運営には12年ほど関わっていたこともあって、シティ8閉館後は新しい仕事の話など、二ヶ月に一度は会って情報交換を続けてきた。アクト・ホールの企画段階から浜松市の音楽振興関係のスタッフとして、クラシックやオペラ・カンツォーネに偏向している音楽行政を批判してきた彼が、このような形で本当の意味での「音楽の街づくり」が実践され、市の関係者でなく、観客から声援がおくられるようになってきた事に、心から「おめでとう!」と言います。
それにしても、ファースト・フードやレトルト食品しか食べたことのない人に、いきなり、フォアグラやキャビアを食べさせるようなイベントをいつまで続けるのですか?
1995年10月19日(木)
浜松東映劇場でのムーンライトシアターで、台湾映画「愛情萬歳」を観る。
94年ヴェネチア国際映画祭でグランプリを受賞した、台湾の新鋭監督ツァイ・ミンリァンの最新作である。
台北のマンションで出会う二人の男と一人の女。コンクリートの箱を舞台にして、登場人物たちの空っぽの部屋を対峙させながら、荒れ果てていく現代人を三人の姿で描いているようだった。せりふを徹底的に切り詰めて、現実音(足音や呼吸音、ブザーや車の音)を使って、音楽を使わないという、社宝を使っている。ストーリー性はともかく、外国での評価が高いのは、逆にわかりやすいからではないのか。
一つ、初めて知ったのだが、台湾のニュー・ビジネスとして、納骨堂の分譲の仕事があるということだ。
1995年10月21日(土)
矢野顕子の最新CD「PIANO NIGHTLY」を購入する。
全編ピアノの弾き語りで、薬師丸ひろ子の「星の王子さま」、鈴木祥子の「夏のまぼろし」、アグネス・チャンの「想い出の散歩道」、友部正人の「愛について」、大貫妙子の「突然の贈り物」、高野寛の「いつのまにか晴れ」など15曲。カラオケにはさまれてない曲が殆どなので、知る人ぞ知るといった名曲の固まりです。しばらく前にニュー・ミュージックのジャンルで呼ばれた人達がこんなに大切に日本語による詩をたくさん書いていたひとに改めて気づき、驚いている。今まで、食わず嫌いだった方、この矢野顕子を聴いてみて下さい。凄いアーティストだったんだと、感じさせてくれます。
1995年10月22日(日)
浜松市教育文化会館で、奥山方広寺青年部の30周年記念講演会。
ポスターの大部分は藤本義一氏の名前だったが、小さな文字で、浜松出身の春風亭鯉昇師の出演もあります、と書かれていたので期待して出かける。
鯉昇師匠は、「二番煎じ」を熱演30分で、前夜のお疲れが(実は、「とし平落語会」がありましたとさ‥)そのまま出ていた一席でした。なお、当夜は青年部の打上げに付き合い、明日は浜北市内で、昼間はロータリークラブで講演、夜は浜北市内のお寺で一席という、とんでもない勤労壮年になっておりました。
さて、藤本義一氏の講演ですが、期待どおりにたいへんに面白い、密度の濃い内容でした。例えば、カラオケはますますマイクに頼るようになってきたので、声を出さないため、ストレスの発散にもならないし、機械を相手の自己満足だけで、歌とはいえない。‥日本人は虚の使い分けがヘタなので、怒らせなくてもよい事まで怒らせてしまう。これは、特に共通語しか話せない人に多い。‥これまで欧米一辺倒だったが、アジアの人達が今、何を考え、何を思っているか理解できない日本人が多すぎる。‥阪神淡路大震災を体験したから言えることだが、先ず、生きていくために何かすることより、余計な事を先にしでかして、自分の人生を自分で駄目にしたり、他人を嫌な気にさせる事のなんと多いことか‥。
1995年10月27日(金)
いつも「本果寺寄席」で会場をお借りしているため、年に一度の「第6回 馬琴の話芸を楽しむ会」のお手伝い。
今回から寄席文字の青山君にポスター・チケットの文字を依頼、ご住職の文字よりも雰囲気が良くなった、と好評であった。週末ということと演題が「吉宗」ということもあって、230名近くで本堂は超満員。まずは、おめでとうございました。
1995年10月28日(土)
浜松・中央3劇場で、大林宣彦監督の「あした」を観る。
赤川次郎の「午前0時の忘れ物」の原作に、冬の尾道を舞台にした新・尾道三部作の第2弾である。海難事故で亡くなってしまった最愛の恋人・家族から届けられたメッセージ。それを信じた人達が午前0時、約束の地に集合する。原作を読んでいないので申し訳ないのだが、どうも登場人物に余分なキャラクターが加えられているようで気になった。大林監督の意思なのか、スポンサーサイドの強制なのか、わからないが、せっかくの大林作品が薄められて味気ない作品になってしまっている。ヌードシーンを出さなくても、原田知世を特別出演させなくても充分表現できるし、おもしろい作品になったはずである。せっかく良い素材があっても結局つまらなくしてしまうのは、スポンサーサイドによる出演者の水増しや余分な挿入歌が起因しているのではないだろうか。この映画も「RANPO」のように別バージョンで再編集してもらえないだろうか。
1995年10月29日(日)
「蒲郡落語を聴く会」の第111回例会で、柳家さん喬師の噺を聴く。
前座として、岐阜経済大学落語研究会の経大亭勝笑くんが登場した。豊橋三愛寄席でも何度か聴いてきたし、卒業後はプロの噺家に入門するとかで、確かに素人の中では時間をつなぐことが出来る実力を持っていると思う。しかし、今夜の噺は、珍しい「たけのこ」を演じた。確かに、へたではないが、プロの会の前座に使うネタではない。さん喬師は登場して、一言・二言の世間話だけで、この素人前座が存在しなかったかのように雰囲気を変えてみせたのは見事であったと思う。1席目の「短命」は、まったくスタンダードに演じることによって、この噺が実に奥行きのある、素人には手を出せない難しい噺であると教えてくれた。二席目の「天狗裁き」、この噺は私も「本果寺寄席」でネタおろしして、お客様まお陰で何とか演じることができた難しい噺である。それを何とも軽く演じて、途中でサゲがわかってしまうのに、それでもサゲで大笑いしてしまうという、何とも小気味よい瞬間であった。
そして、三席目の「幾世餅」である。これまで何人もの演者によるこの噺を聴いてきたが、一番心に残ったような気がしている。
さん喬師の三席には、後でずしっと心に疲れが残って正直言って愉しみの部分が減ってしまう欠点があるが、それでも、こんな素敵な一夜に立ち会えた喜びでいっぱいであった。
1995年10月30日(月)
93年カンヌ映画祭のグランプリ受賞、昨年、日本国内でも驚異的なロングラン・ヒットとなった(浜松では、殆どの人が観ていなかったと思いますが)
香港映画「覇王別姫」の原作が日本語訳されて早川書房から出版されていた。(500円)
中国・台湾・香港、三地域の映画人によって製作された映画の内容はもちろん素晴らしかったが、この原作は二倍も三倍も凄い内容である。日中戦争から、国内内戦、共産政権樹立、文化大革命‥と、その余波に至る激動の中国史である。特に、映画では描くことのできない文化大革命当時の葛藤は、この原作本で読むまで理解はできなかった。香港が中国に返還された後の中国人としての"自由"と"存在感"。そこまでも考えさせられる、この原作本は全くたいした存在でした。
それにしても、アメリカ人によって英訳された原作本から日本語訳するしかない現状はどこか間違っているような気がするのだが‥。この「覇王別姫」は、今後、フランス、ドイツ、オランダ、イタリアで、それぞれ翻訳出版されるとのことで、近い将来、この映画を観ていない日本人が海外で悪く言われる日が一日も早く来ることを期待しています。