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復刻版「よせあつめ瓦版・ランダム」その12(95.3.1~3.31)
1995年3月1日(水)
「上方芸能」第120号が送られてきた。
今号の特集は、「喝采のヒーローと世相‥テレビ時代劇の証言」として、これまでテレビが生んだ時代劇ヒーローを取り上げている。必殺シリーズのプロデューサーであった、山内久司氏が言っている。「考えてみると『今』を毒をもって表現できるのは時代劇しかないかもしれない。報道番組や情報系番組は中立でにければならないという原則がある。嘘はつけない。しかし嘘の中に最も現実を現わしている真実がある場合がある。表現の『毒』といってもよい。テレビで、現実に毒をもりながら表現するのにもっとも適しているのはドラマである。‥最近、人びとは怒らなくなった。大人たちはあきらめ、若者たちは冷笑する。ビートたけしの『冷笑の笑い』が象徴的である。単純明快な庶民の怒りは、ダサクなってきたのである。『怒』がなくなった時、必殺の時代は終演したとはっきり言える。」
このインタビューは昨年12月に行われたとのことだが、阪神大震災や地下鉄毒ガス事件への反応を冷静に考えてみると、確かに、『怒』は小さくなってきたように思える。
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1995年3月8日(水)
約一年前に、役者としてハリウッド映画に出演、今年のゴールデンウィークに日本公開という、ビートたけしが世界のたけしとしてスクリーンに登場する「JM」の原作を読む。
ウィリアム・ギブソン原案、テリー・ピッスン作の「記憶屋ジョニー」である(角川文庫)。近未来、大量の情報を自分の頭の中に直接収納し、自身で移送して、移送先でそのデータを取り出して回収する「記憶配達人」が出現する。ジョニーの機密任務は大量の機密情報を北京からニューヨークに運ぶこと。しかし、世界最強の犯罪組織ヤクザがジョニーの首を狙って動きだす。その、ヤクザの北アメリカ支部長に抜擢されたということらしい。もちろん、もちろん、バイク事故の前の顔でスクリーンに登場するので、今から楽しみにしている。
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1995年3月14日(火)
昨年11月28日に大阪・ロイヤルホテルで開催された、米朝事務所設立20周年記念パーティの引き出物の一つ、米朝一門会のCDを借りることができた。パーティに先駆けて、8月下旬に大阪サンケイホールで開催された一門会から収録している。米朝師の挨拶から始まり、南光師の「馬の田楽」、ざこば師の「鉄砲勇助」、枝雀師の「首提灯」、米朝師の「肝つぶし」、そして千秋楽での大喜利と盛り沢山の内容であった。非売品なので、言い間違いとか客席の様子とか、そのまま収録されているため、聞き慣れた噺でも雰囲気が違って愉しませてくれる。一つ、意外に思ったのは、一番番頭であろう、南光師の「馬の田楽」の子供が子供らしくないという印象であった。実際に見てみないと本当の事はわからないが、そんなものなのかもしれないと、考えさせられた。
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1995年3月14日(水)~17日(金)
WOWWOWで四夜にわたって、創立10周年を迎えた「ワハハ本舗」の10年間の秘蔵テープ(というより、家庭用ビデオに録画しておいた初期の舞台)を放映してくれた。鼻の穴が広がってなかった頃の梅垣義明、久本雅美と柴田理恵、渡辺信子の漫才、そして営業の仕事であろう、熱海の温泉旅館での「ふんどしカンカン」(もちろん、全員男性でした)には、ひっくり返って笑ってしまった。そして、「踊る座長」シリーズでの全裸立ち回りは、隠し方も、チョイ見せも絶品で、当時の観客は報復絶倒であったろうと思われた。結局、素人と玄人の違いは、不特定多数の前で裸になれるかどうかという事ではないかと思う。
1995年3月18日(土)
日本アカデミー賞の発表が、今年は平安遷都1200年記念とかで、京都での開催ということなので、少しは今までと変わったかと勝手に思って見てしまったが、やはり従来どおりの番組であった。各受賞者については、すでに報道されているので書かないが、不満を書きます。先ず、どうして高島兄弟がプレゼンターの大役を努められるのでしょうか。彼らは、これまで日本映画界で何か重要な仕事をしたのでしょうか。それぞれの部門の審査には、当然、審査員の個人的な意見が込められていると思いますが、実際に料金を払って映画館で見てきた人たちの意見はどこに反映されているのでしょうか。各受賞者、発表者たちの挨拶とかお礼の言葉は、どうして、しらじらしく、かっこ悪いのでしょうか。各受賞者、会場内の映画人たちの服装は、どうしてあんなにかっこ悪いのでしょうか。もうすぐ、アメリカのアカデミー賞の発表です。比較されると、よくおわかりになると思います。例えば、平安遷都記念なら、紋付き羽織袴とか振袖とかに統一すれば、イベント史上に残るイベントになったのではないかと、考えてしまいました。
1995年3月19日(日)
NHK教育テレビの「日本の話芸」で、笑福亭松之助師の「野崎詣り」を聴く。
現・春団治師の色気のあるイメージが強い噺だが、松之助師は、おそらくは春団治系ではない「野崎詣り」を演じてくれた。これまでレコードにも速記にもされていないので、今回の放送分は後世に、たいへんな資料となるであろう。私自身は、米朝師のネタを高座にかけさせていただいているが、一観客としては、実は、松之助師の大ファンなのです。先代・松鶴師の噺をそのままの形で伝えてくれたかと思うと、とんでもない発想のマクラで笑わせてくれたり、出会う機会が少ないだけに、その時々の印象が強烈に残っています。もう少し、歳とつたら、こんな豪快な噺家のマネもしてみたいな、と憧れています。
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1995年3月24日(金)
角川文庫から手塚治虫の初期傑作集が発行されている。
1950年代の手塚漫画をオール2色で当時の作品そのままに再現してくれている。今月は、「大洪水時代」と「シャリ河の秘密基地」の2冊を購入した。「大洪水時代」は現代のノアの箱舟を描いた物語である。童子収録の「38度線上の怪物」に興味をもった。少年画報1953年3月号の付録に掲載されたとあるから、当然、当時は読んでいない。縮小された人間が体内に入って、結核菌と白血球との戦いにまここまれるというSF漫画である。このアイデアは、1964年9月26日にテレビ放映された「鉄腕アトム」で、アトムとヒゲオヤジが縮小されて宇宙探検隊員の体の中に入るというストーリーに使われているという。20世紀フォックスの「ミクロの決死圏」は1966年なので、最近の「ライオンキング」同様、勝手にアイデアが使われていたという事も考えられる。
一部に手塚漫画での黒人の描き方に差別意識があるとの非難が生前より出ているが、だからといって手塚漫画の影響で黒人に対して特殊なイメージを持たされたとは、言えないのではないだろうか。当時の読者が毎月、出版される月刊漫画に夢中になり、近未来への夢や社会への目を向けさせた功績の方がはるかに大であったと、確信している。
1995年3月26日(日)
哲学者の福田定良氏の「落語としての哲学」(法政大学出版局)を購入したが、初版は22年前ということで、これまで全く知らなかった。
読み終えるまでに、かなりの時間を要する内容ではあるが、こんな文章がある。「テレビは、敗戦前のラジオのように、特殊の世界になってしまった寄席から落語を解放する条件になったはずである。だが、大師匠たちはテレビの視聴者との不自然な人間関係を活用することができなかった。林家三平に代表される若手落語家がテレビ落語という新分野を開拓しはじめたが、彼らの多くは人気に便乗した単なるテレビ・タレントでしかないようにみえる。むしろ、テレビ的な落語家の可能性が感じられるのは関西の若手落語家たちかもしれない。」
22年前の内容だが、案外、今日の状況を言い表しているようにも解釈できる。
1995年3月28日(火)
NHK・BSで、「第67回アカデミー賞スペシャル・ハイライト」を放映してくれた。各受賞者については、すでに公表されているので省くが、今回の授賞式も思わず拍手を送りたくなるほど素晴らしいイベントであったように思う。これまでBS放送で6年見続けてきたが、日本のマネのアカデミー賞と比較させていただくと、セレモニーに対する意識・マナー・エチケットといった、本来、スターたちが一番大切にすべき要素においてかなりの差があるように感じてきた。
受賞できた喜びやお礼を限られた時間に、いかに重みのある簡略な内容で伝えるかという意識と、それらに対する日常訓練の違いではないだろうか。日本映画の衰退については、様々なジャンルから様々な意見・提言が出ているが、やはり特定多数・不特定多数の観客に限られた時間にいかに自分の魅力を適切に伝えていく俳優不足にも起因していると思う。
1995年3月27日(月)~31日(金)
WOWWOWで、連続五夜にわたって「懐かしのヒーロー特集・第2弾」。今回は、27日「月光仮面」「まぼろし探偵」、28日「ナショナルキッド」「遊星王子」、29日「怪傑ハリマオ」「豹の眼」、30日「忍者部隊月光」「風小僧」、31日「恐怖のミイラ」「海底人8823」を放映してくれた。
実際には、昭和33年から37年にかけて放送された作品で、断片的には記憶があった。確か、テレビ愛知が開局した頃、放送できる番組が少なくて、この当時の番組を再放送してくれたので、夏休みに見ていた事を思い出した。
今回、感じたのは、国際時代と呼ばれている今日よりも35年前の方が、アジアや宇宙・海底・地底を活躍の場としていて、スケールの大きな内容ではなかったかと、いうことである。特に、「豹の眼」がモンゴルから始まっていた事は初めて知った。確か、「まぼろし探偵」「怪傑ハリマオ」「豹の眼」は、当時の漫画が復刻版で発行されているので、じつくり読んでみようと思っている。
1995年3月30日(木)
「東京かわら版」の4月号が届いた。
何と、あの春風亭鯉昇師匠が、ちょっと新しい形での独演会を都内で開催していくとか、原文そのまま、無断掲載します。
‥「ぼくは本格派と呼ばれたくない」と言っている鯉昇師匠、この独演会では古典落語を一つのテーマのもとに再構成して演じるのだそうです。ですから、「寝床」には「戦慄の拷問責め」、「長屋の花見」には「みんなで落ちていく大合唱」という惹句がついています。今のところ不定期で年に2回ぐらいの割合で開催するとのこと。‥
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ちなみに、次回の「本果寺寄席」は5月28日に予定しています。
それから、嬉しいことに、NHK教育テレビで毎週日曜日の夜11時45分からの放送だった「日本の話芸」が、4月7日の放送より、毎週金曜日10時からの放送になるということです。
2月下旬から3週連続の週末スキーで出かけてしまったため、映画館にも行けず、落語会にも足を運べませんでした。結果、こんなに紙面が余ってしまったので、これまでの一年間に書かなかった事を書かせていただきます。
フジテレビで、通常の放送だけでなく、ビデオ・料理のレシピ発売と強気になっている「料理の鉄人」ですが、関西地区では審査が不公平であるという意見が多いのをご存じだろうか。審査員の人選に問題があるというのである。甘い・辛い・熱い・冷たいの表現と、グルメ・ファンが喜びそうな慣用句や修飾語を事前に用意している人の感想など聞きたくはない。また、鉄人が挑戦者に対して無言で敗北を認めているのに、鉄人の勝ちにしないでほしい。「指定された素材よりも、それ以外の物が多すぎる」と批評するのなら、全部の素材を一緒にすべきではないのか。
藤本義一氏が阪神大震災後に「筑紫哲也ニュース23」で発言されていた。
‥関東のマスコミは、長期的に地震の原因や対策に取り組まれたいという要望が、いつのまにかサリンやオウム一辺倒になっている。マスコミがどう言い訳するのか、知りたいものである。‥
価格破壊とかディスカウントが流行りのようになっているが、ホンマかいな?という事も多い。例えば、豊橋ステーション・ビル地下のカレー・スタンドでは、普通のビーフ・カレーが380円なのだが、静岡駅アスティ内のカレー・スタンドでは620円している。他の飲食店も同様の値段である。これで、利益が増えて、駅構内が潤っていると自慢しているのである。