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復刻版「よせあつめ瓦版・ランダム」その16(1995.7.1~7.31)

1995年7月9日(日)

 浜松・宝塚劇場で、「学校の怪談」を観る。
 企画段階から興味を持っていたのだが、なかなかどうしてしっかりできている映画であった。野村宏伸の教師らしくない教師役もいし、恐怖や驚きの演技を身につけていない子役たちの表情も自然でよかった。こわい映画のはずなのに明るく楽しくて、愉快で、この映画こそはテレビ映画鑑賞やレンタルビデオでなく、家族で映画館で観ていただきたい。きっと、その後、楽しい食事や会話ができると思う。SFXの妖怪よりも、ワハハ本舗の踊る座長の存在感に圧倒されて、あっという間の出来事のような感じもしている。とにかく、銃撃やヌードや暴走族・チンピラを出さなくても、テーマによっては、こんなに面白い映画ができるのだから、日本映画もまだまだといったところです。
 ところで、集英社文庫より小説版が発行されていて、こちらもなかなか読ませてくれました。

1995年7月10日(月)

 大阪から「上方芸能」第121号が届く。
 今回の特集は、「よくわかる上方舞」。現有14流儀の起源・特色・人脈をまさに総覧している。実は、17年前に大阪まで、殆ど毎月、「上方芸能ゼミナール」に通っていたことがある。
 その第一回目が、この「上方舞」で、当時の資料を見ると、山村流の山村久子とあり、総覧の紹介記事には山村流の舞の名手とある。この時生まれて初めて生で舞を観たのだが、感動して帰りの新幹線に乗車したことを思い出した。主に花柳界で「座敷舞」として発達したため、動よりも静、能の舞を取り入れて、小さな動きにいかに内面を表現できるかといった、抑制の芸術といえます。とにかく、美しい舞台なので、機会があったら生で観ていただきたい。
 又、1月20日から4月15日まで、「文化は復興のために何をしたか」と題して、芸人・芸能人・演劇人・アーティストたちのチャリティ・ボランティア活動を細かく掲載している。コンサートや演劇も多いが、大阪の芸人を中心としたお笑いの慰問が各地域で行われていた事がよくわかった。確かに、笑える余裕があれば復興のための大きなエネルギーとなると思う。

1978.7.23 第一回/1978.8.13 第二回のご案内ハガキ
1995.7.10 発行「上方芸能」第121号

1995年7月11日(火) 

 日本出版社から発行された古今亭菊千代著「古今亭菊千代、噺家です。」(1300円) を読む。
 平成5年に、三遊亭歌る多と共に女流初の真打昇進、いろいろと問題になった噺家の一人である。実は、お二人とも昭和62年11月に、「浜松西武シティ8寄席」に出演していただいたことがあり、色もの的に使われていたことを思い出した。当時は、どうしたも一本調子が変に芝居がかっていたような記憶がある。もともと、男社会の噺家たちが300年という歴史の中で、言葉を選んでつくりあげてきた古典落語は女性には無理な所が多く、単におしゃべり上手な芸人というイメージになってしまう。話題づくりのための真打昇進というウワサもあるが、やはりご自身の力を信じたい。
 この本を読んで一番よかったのは、菊千代師がバーボンが大好きで、しかもジョニー・ドラムスというクセのある鮭が好きだという、根っからのドランカーであることがわかったことです。ジョニー・ドラムスは確かに大したバーボンですよ。

1995.6.30 発行「古今亭菊千代、噺家です。」(日本出版社)

1995年7月14日(火)

 浜松市福祉文化会館で、「立川談志独演会」。
 喉の調子が悪いらしく、一席は椅子に腰掛けての漫談で、もう一席がお得意の「小猿七之助」。オウムに関するネタが受けて、休憩時間には直接の短冊がよく売れていた。その文面は、「毒ガス、七月、八月」‥おわかりでしょうか。前座の志加吾は浜松出身という事で、特別出演して、まるっきり棒読みの「道灌」。さして、談春の「三年目」、志らくの「火炎太鼓」は二人会としても通用するなかなかの出来でした。談志師匠も確かに若くはないから仕方のない事なんだろうが、もえ少しお客の平均年齢が若いと、もっともっと辛口の噺が聴けるのにと、少し残念であった。

1995年7月15日(水)

 浜松市福祉文化会館で、阪神大震災のためのチャリティ・コンサート「ゴスペルフェスタ95」で、ゴスペルソングを聴く。神戸市内でのチャリティ・コンサートのために海外から自費で参加したアーティストたちのゴスペルソングを聴くことができた。主催は東京都出身のマレの浜松地区での後援会ということであったが、キリスト協会関係者の協力もあり、700名近い参加者であった。仏教でいう説教のコーナーもあって面食らったが、チャリティー募金の使途がはっきりしていたので、「新居・寄席あつろの会」として1万円を寄付させていただいた。

1995年7月17日(月)

 WOWOWで映画100周年企画として、「激突!日本の特撮映画」。17日は、1967年松竹の「大怪獣ギララ」。17日は、1967年日活の「大怪獣ガッパ」19日は、1956年大映東京の「宇宙人東京に現る」。20日は、1966年東映京都の「怪竜大決戦」。そして、21日は、1957年東宝の「地球防衛軍」と邦画各社の特色を比較できて面白かった。特に、「地球防衛軍」に登場する科学兵器のデザインは小松崎茂氏(プラモデルのパッケージ画でもお馴染み)で、今でも充分通用する内容であると思う。
 ギララとガッパは、劇場公開以来でストーリーの記憶は殆どなかったが、意外に特撮場面がしっかりしていて、リメイクしてもなかなかの作品になるのではないかと、思っている。
 ゴジラやガメラ以外の怪獣・特撮映画もなかなか本格的で楽しめるものです。

パイオニアLDC  LD 「宇宙大怪獣ギララ」ジャケット

1995年7月19日(水)

パイオニアLDC LD 「地球防衛軍」ジャケット

1995年7月19日(水)
 14日の「立川談志独演会」の会場で購入した、談志著「新釈落語咄」(中央公論社・1500円)を読む。当日は、きげんが良かったとみえて、すべてサイン入りであった。 「中央公論」に93年11月号から95年6月号まで連載されていた落語エッセイの単行本である。20編の落語を紹介していたが、内容はすべて談志落語のマクラそのものであり、お好きな方は実際に生で聴かれている、あのマクラです。これで、おわかりにならない方のために、‥落語てなぁ、常識でまとめられない部分、つまり非常識と世間一般にいわれている行為、思考を肯定し、それを語ることを売り物にしながら、その奥にある人間にとって何だかワカラナイもの、落語のフレーズでいうと、「夢でオナラを踏んづけたような」もの、つまり、フワフワして渾沌として、辻褄の合わないような部分にまで入り込んでくる。‥こんな調子で続いている。

1995.7.7 発行「新釈落語咄」 (中央公論社)

1995年7月30日(日)

 浜松市・中央3で、「アポロ13」を観る。
 アメリカ国内では、地球への帰還が成功した場面で、スタンディング・オベージョンになるという。その気持ちは充分理解できる。確か、高校の文化祭の時に少年サンデーに載っていた月面写真と月面着陸船の図解から、月面と着陸船の模型を作って得意げに月面着陸の様子を再現していた事を思い出した。当時、写真撮影してなかったが、母船と着陸船がモーターと電池を使って降りたり、昇ったりできるようにした大作であった。大学で初めて電子計算機(コンピュータ)の授業があった時に、このアポロ計画には何台のコンピュータほ積載するかを統計的手法で算出して2台にしたが、こうした統計数値によって当時のビッグ・プロジェクトが行われた事も断片的に思い出されて、非常に興味深い映画であった。片や、スーパーマンとかバットマンといったヒーローが登場するアメリカ映画界だが、生身のヒーローも立派に登場してくるアメリカ社会の凄さに感心している。

パイオニアLDC LD 「APOLLO 13」ジャケット

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