喜六庵の「あくびの稽古」にお付き合い下さい その五
78~80年のオレンジルーム(阪急ファイブ
喜六家清八こと山口識行と申します。「喜六庵のひとりごと『あくびの稽古』にお付き合いください その一」で、1981年の6月頃、かつての西武百貨店浜松店の販売促進課の担当者から、新しく開催されるイベントホール「西武City8」のイベントプロデューサーとしてお誘いをいただきました旨、お伝えしました。結果的に、土・日・祝日に限られたボランティアとして、浜松店の閉館まで12年間お手伝いをさせていただきました。
実は、このボランティアを申し出る前に、私が定期的に通っていた大阪市北区角田町(梅田)にある阪急ファイブ8Fの「オレンジルーム」で行われていた様々なイベントのスケジュール表を作成していました。そのスケジュール表は、私が79年から81年までの三年間分をまとめたもので、西武社内の企画会議で使用するために、チラシのコピーも提供しました。当時の西武百貨店池袋本店にも問い合わせ、指示を仰いでいましたが、結果として、浜松店での12年間のイベント企画、スケジュールは私がプレゼンした内容を参考にしていると思います。大阪・関西地区でも平日の昼間にイベントを開催しても集客が見込めなかったため、週末や祝日に「芝居を楽しむ会」「音楽を聞く会」「映画を見る会」「おれんじ寄席」「ニュース寄席」「新手漫才の会」「上方芸能ゼミナール」「日本ペンクラブ土曜セミナー」「ファッションショー」などのイベントが定期的に行われ、低料金で提供されていました。私も「上方芸能ゼミナール」の会員として参加していました。
おそらく、以前に私が西武に提出したプレゼン資料はどこにも存在していないはずです。しかし、当時のチラシと手書きの控えが私のコレクションに見つかり、それをExcel表にしました。ただし、データ量が多いため、一部の内容になっています。興味があればご覧ください。これはバブル期時代ではなく、バブル期前の活動です。「メセナ」といって、企業が89年から文化・芸術活動を支援するために資金提供を始めました。阪急や西武もその前から活動していました。この時代には携帯電話やスマートフォン、インターネット、SNSはありませんでした。
「西武City8」という場所は、1981年9月から1993年2月まで12年間、地域で文化情報を伝えたり発表する場所として活動していました。私はその間、関わりを持ち、現場で働く一員でした。当時の資料の一部を集めて保管しています。西武百貨店が閉店し、活動が停止してからも、私は浜松・遠州地区の文化活動に携わっています。そのため、この資料を公表します。もちろん、同じような活動や展開が再び行われることはないかもしれませんが、将来何かしようとする人たちに役立ててもらえれば幸いです。