初めて会って30秒で会話に必要な言語を精査して、20分で認知の度量に合わせた対話を完成させて、2時間で健全育成に必要な土台を言葉と道具で構築できるようになった。
毎度新年度を迎えると、思考の仕様を変えるようにしている。卒業する小さきもの達と同じように接してしまって半日位経ってから「なるほど!伝わらないわけだ!気がつくのが遅すぎる!」と自省するのがここ1、2年続いたのだけれど、今日はと言うと、初めて会って30秒で会話に必要な言語を精査して、20分で認知の度量に合わせた対話を完成させて、2時間で健全育成に必要な土台を言葉と道具で構築できるようになった。
言葉と道具の構築は、なかなか難易度が高くて最初は数週間かかったこともあったのを覚えている。
級や学年が上がるとコンクリフトの少ない緩やかな日常になる。それ自体は悪くない。全能感があるうちに心と身体が致死量にいたらない程度の失敗を積み上げる過程が必要だ。しかしながら、それが共同体として考えるとなると中々複雑だ。
共存する為のコンクリフトから逃げる癖は、成長してからだと頑なになり変更が効かなくなっていくる。柔軟なうちに自分のやったことを自分で受け止める。それはコンヴィヴィアル(自律共生)でコンヴィヴィアリティー(祝祭)な社会への一歩だ。