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りばいばる#020 しあわせのかたち
これは2016年9月28日にAmebloに投稿した記事の"りばいばる"です。
海外移住を閃くと、今までのものの見方がグルンと180°回転したような感覚になりました。
妻はオーストラリア留学時代のホームステイ先の家族と今でも交流があり、一人は現在東京にファッション系デザイナーの夢を抱きながら仕事をしていて、その家族は3年程前に来日し、妻の実家に泊まり、また別のオーストラリア友人夫婦は神戸に3年間住みながらインターナショナルスクールで教師をし、その家族も来日し妻の実家に滞在。一緒にUSJに行ったり、泉州のだんじり祭りを観に行ったりしました。
その夫婦は次はスイスへ行くと日本を旅立って、長期休暇中に生まれたばかりの長男を連れ、また日本へやって来て、妻の実家に数泊したり、友人に会ったりと日本を満喫してまた帰って行きました。次はフランスに住もうかという話が出ているそうです。
僕が妻と結婚した当初、そんなオーストラリアの友人夫婦のライフスタイルに対して、30歳越えて定職に付かず家も持たず、自分のことは棚に上げてw、大丈夫なの?と思っていたのですが、海外移住の閃きに至る時に、今まで自分が思い描いていた、安定した仕事に就き、狭いけど持ち家を持つという幸せの定義は、一つのかたち(価値観)でしかなく、その友人夫婦のような世界を飛び回る生き方もまたかけがえのない幸せのかたちの一つなんだと気付くことが出来ました。
ええ年こいてフラフラして・・・と言われるバンドマン時代には耳の痛いこのフレーズも、少しやり方や見方を変えると、希少な人生の選択肢となることに気が付きました。
フリーターでお金を貯めては海外放浪の旅に出てまたお金を貯めてを繰り返す。そんな生き方も素晴らしい!
昔、30歳過ぎてからも定職に付かず演劇に打ち込む舞台役者の同級生に、何やってんねん!と偉そうに説教じみたことを言ってしまったことがあるのですが、あの頃は自分の狭い価値観を押し付けていました。ごめん!
うちの団塊世代の両親の様に大学卒業後から定年退職まで同じ仕事一筋で終えるということも、今の時代やろうと思ってもなかなか出来ることではありません。
(そもそもそんな高度成長期の終身雇用自体が歴史上珍しい期間だったのも後から分かるのですが。)
それはそれで素晴らしい生き方ですし、それがあったから今の自分が存在し得るのです。
ですが、何かの記事で見たことがあるのですが、人が死ぬ時に大抵思うことが
「もっと冒険してみれば良かった」
やった後悔よりやらなかった後悔の方が断然大きいのです。
やりたいバンドも、フリーターも、やりたかった仕事も、正社員も、契約社員も、ブラック企業も経験出来たし、死ぬかと思うほどがむしゃらに働いた時期もある。
一度きりの人生、自分が思う様にやったろうじゃないの!
自分が辿って来た道や、見て来た物や、経験などがどうしても基準になりがちなのですが、世界は広く、あらゆる価値観が存在し得るのを、インターネットの登場で認識することができたことで、常に自分の常識は他人の非常識と意識する毎日ですw