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再生と和解-丁稚のお祭り体験記-


GWも終わり5月病にかかりそうな今日この頃、皆さま如何お過ごしでしょうか?
月2回、第一・第三木曜日に更新しております、たべるば公式note、今回は丁稚の私情回(長めver.)となります。
皆さま、お時間の許す限りどうぞお付き合いのほど。

少し前の話しになるのですが、丁稚の故郷では4月前半にとあるお祭りがあり、丁稚も娘と参加する機会を頂きました。
このお祭りは、家体(やたい)が出るのですが、この家体を曳くことやその中でお囃子を奉納することが、丁稚の夢の一つでした。
なぜ同じ地域に居ながら、お祭りへの参加が長らく「夢」であったのかと言いますと、この家体、町会ごとに出るため、当時、家体を持たない町会はお囃子やその他のお役目としてお祭りに参加することが出来なかったから。それが20年以上ぶりに子連れで故郷に出戻ったところ、なんと少子化の煽りを受けて、もはや町会の縛りはほぼ無いも同然とのことではありませんか!憧れ続けて35年、家族の伝手を辿り今年、ある町会さんにお邪魔させて頂くことになりました。

一言で言えば、夢みたいな体験でした。
ずっとずっと憧れて、羨ましくて、でも当時のシステム上どうにもならないから諦めることしかできない。物心ついてから15年くらい、毎年毎年なんとも言えない気持ちを抱えながら、家の前から家体の列を眺めることしかできなかった。それが今年、40歳にしてとうとう参加が叶った。まさに「生きていてよかった」としか言いようの無い体験でした。
同時に、ずっと見ているだけだった光景の中に、当たり前のように我が子がいることに、涙が出るような思い(実際、出た)でした。
また、当時の自分が抱えた寂しさや諦めを、我が子には味わせないで済んだこと、その幸運に深く感謝しました。

さて、このお祭りの特徴のひとつに「喧嘩」があります。
(実際は特定の固有名詞があるのですが、それを書くとどこの何であるかがバレてしまうので割愛します(笑))
お祭りのスケジュールは基本的には時間で組まれているのですが、一度この喧嘩が起きると収まるまでお祭りはストップとなります。ゆえに、丁稚が小さいころはほんとに真夜中までやっている感覚がありました。夜中、ほの暗い街灯の下で煌々と燃える家体提灯の灯り、その中で延々と繰り返される喧嘩(「喧嘩」自体にも独特のしきたりや収め方があります)、幼心にも幽玄を感じる不思議な時間は丁稚の原体験でもあります。
そんな「喧嘩」ですが、近年は以前ほど(そもそもが1200年前からやっている古いお祭り)夜中まで及ぶような「喧嘩」はなく、今年も数時間おくれという割とスムーズな進行となりました。オールドファッションな地元民としては、久しぶりのお祭りだし、もう少し喧嘩があってもいいのにな、と、思うと同時に子連れ参加である身としては、娘の体力の途切れないうちに「別れ」ができて良かったな、という気持ちもありました。
そんな相反する思いの中、生粋の地元民である方が、「喧嘩」への想いを話してくださいました。
曰く、「喧嘩は収まるから成り立つ。喧嘩があまりできなくなったということは、収めることができなくなっているということでもある。喧嘩して、収めて、それで皆また日常に戻っていく。これが出来なくなりつつあることを寂しく思うとともに、危機感を覚えてしまう」
前述したように、このお祭りの喧嘩はむやみやたらに起こるのではなく、喧嘩のきっかけ(これをすると喧嘩になる、ということ)や喧嘩の仕方、収め方が基本的に決まっています。逆にいえば、突発的に起こる「もめごと」が「喧嘩」として成立するかの線引きが明確にあり、その為「喧嘩」になった時点で「どちらが悪いか」は基本的にはっきりしている、そしてそれを「収める」道筋も儀礼的に定められているものなのです。
儀礼的に、と言いましたが端的に言えば、お互い上が出てきて話をつける。
つまり、「喧嘩」をするもの同士の横の関係性と、お互いの上との上下の関係性、そして上同士の横の関係性、各セルの関係性が円滑に往来することでコミュニティ全体としての関係性が活性化される、この仕組みが「喧嘩」であり、その「喧嘩」が少なくなっているということはコミュニティ全体の関わり合いが少なくなってきている、ひいてはコミュニティ自身の弱体化ということに繋がってしまうのではないだろうか?という懸念をその方は提示してくださったのです。
一方、わたし自身としては、このお祭りに関して長年「参加」ではなく「観覧」していた立場なので、今年とそれまでを比べることは出来ないのですが、確実にコミュニティとしての絆の強さ、また、その再形成の場であるという感覚を得ました。
そもそも「祭り」というものの役割にはコミュニティとしての「治療」並びに「再形成」があります。(他にもたくさんある。祭りの役割や民俗学的考察はとても面白いのでぜひ関連書籍を読んでみて下さい。)コミュニティの規範から外れてしまった者を、祭りを通して呼び戻したり、また、コミュニティ内に溜まった不満や鬱憤の開放の場となったり、「祭り」には非日常を通して日常を再形成、リスタートさせるという機能がベースとしてあります。
今回参加させてい頂いたお祭りに際しても、年明けすぐから「練習」があり、メインとされている本祭りにたどりつくまで複数日に渡り様々な祭りが執り行われ、最終日の本祭りとなるのです。
真冬の一番寒い時期から春にかけての、夜が長い時期を共にすごすことで共有されていくコミュニティとしての固有の空気が、確実にそこにあると感じました。

丁稚個人としても、長年自分が抱いていた寂寥のようなものを、祭りを通じて外から眺めるとともに、その思いが理不尽ではなかったこと、しかしながら、どうしようもなかったことを再確認するとともに、幼少期の自分を連れて歩くことで癒すことが出来ました。
同時に、ひとりで子どもを育てている身としては、我が子が地域のお姉ちゃん、お兄ちゃんに手を引かれながら揃いの装束を着てあるいている姿は、余分な寂しさを一つ消すことができたという安堵感を抱きました。

コロナ禍も明け、各地でお祭りが再開されつつあります。
再開されたお祭りは、それまでとはどこか違うものであるかもしれません。
しかしながら、そこには確実に「待っていた」人がいて、その場に集うことで何らかの想いが昇華されるとともに、天災により絶えかけた寄る辺を復興していく機会になることを、心から願っています。

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