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本音、という名の建前、かもしれない。

Google Photoを眺めていたら、一年前の今日の写真が出てきた。
そっか去年の今日は、友達と洋服を買いに行ったのか、なんて懐かしくなりながら、その時の感情まで思い出していた。
どうやら私は、この一年でだいぶ変わったらしい。

ずっと着てみたかったボーイッシュな服。ストリート系の、今まで私が来ていた清楚な服とは全く雰囲気が違う服。
こんなの着てみたいんだよね、と友達に話したら、洋服なんてすぐ買いに行けるしすぐ着れるよ、と返され、翌日には一緒に出掛けて購入していた。
今ではそんな服ばかり着ていて、地に足ついた感じが心地よい。

その日は帰ってから大学の留学資料を書き上げた。
紆余曲折あって希望の留学先とは違うところに行くことになるのだけど、その留学期間が今年の約半分を占めている。
結果的にはそこに決まって良かったと思っているし、おかげで今もまだ日本での生活に適応できずにいる。

その頃住んでいた、私の人生を大きく変えるきっかけとなった寮は、今年の春に退寮して実家に帰った。
人間関係はガラッと変わり、寮に住んでいた間はあまり距離の近くなかった大学同期と仲良くなり始めた。出てから寮の仲間にはほとんど会っていない。
文字通り24時間濃密な時間を過ごしていた生活から、きちんと濃淡のある、それでいて静かな日常へ戻った。今では、あの頃はよくあんなにフル稼働できていたなと感嘆するまである。

留学をきっかけに、それまで太い綱で繋がっていると信じて疑わなかった人との間の関係性が途切れた。
物理的な分離がもつ力の大きさはすさまじい。

一時的に滞在する国での人間関係はどうしても一時的なものにならざるを得なくて、その間にどうやら私は人との関わり方を忘れてしまったらしい。
あんなに「人が好きなんですね」と初対面の人からも言われていた私の中から、すっぽりと「人」の要素が抜け落ちてしまった。

よくいえば、自立した。人に執着しなくなった。
わるくいえば、なんだ?愛が減った、んだろうか。
なんだか、私の人間性から深みが減ったような気がする。

バイト先できゃっきゃたのしそうに話す後輩を横目に、イヤホンを耳に突っ込み外へ出る。
若いな、私も歳をとったな、なんて、特に何の感情も抱かないままに思う。

足を踏み出したその先の世界は、残酷なほどに前へ進むことを求めてくる。
成長だの昇進だの、私はもう頑張ることに疲れたよ。

東京の満員電車で見かける人は皆日々を一生懸命生きているように見えて、そんな人たちから圧を感じて逃げるように窓の外を見ると、そこに現れる広告、高層ビル、行き交う人々。
別に言われなければ私は私なりにがんばるのにな、なんて親に怒られた小学生みたいに拗ねて、でもそれじゃ生きていけないからせき立てられるようにまた頑張ってみて。

最近、結婚したいなと思う。
そんな唐突になぜか、なんて私にもわからない。
ただ、横にいる人とこれから先死ぬまで一緒にいるんですか、なんて、22年しか生きていない私にはわからない。
人への執着があまりなくなった今そんなことを思うなんて、どういう風の吹き回しなんだろうか。

この感じも、別に悪くはない。
ただ、日々が単調で、彩りがない。

この一年はあまりにも変化が大きすぎて、時に置いて行かれてしまったような感覚がある。

ねえ、私は何を時の隙間に落としてきたの。
今の私に欠けているものは、
いや、
そもそも何か欠けているものがあるのかな。

どうかこの一年が終わるまでには、全身でどっぷり浸かりたくなるようなあたたかいものが、戻ってきていますように。

今年の冬はなんだかあたたかいね。

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