山が紡ぐ記憶ー 父と、わたしと。
子供の頃、よく山に連れてってもらった。
夏休みになれば決まって2週間ぐらい家を空けて、旅行してた。山でキャンプして、三重のおばあちゃん家に帰省してそのままみんなで海へ行ったりして。
当時は、早く近所の友達と遊びたいから帰りたいなぁ〜とか思ってたけど、なんと贅沢な休暇を過ごさせてもらえてたんだと今ならわかる。
あのとき父とはそんなに仲は悪くなかったはず。
だんだん思春期になり、なぜか似たモノ同士の私たちは何かの拍子に口を聞かなくなり、そのまま膠着状態がしばらく続いてしまった。何年もなかなかまともな会話をしていなかったから、いざ実家に帰っても話すことがなく、というよりほぼ会話ゼロ。
それでも昔から父は寡黙だったわけではなかった気がする。何を話したらよいか分からない父に、言葉を噤ませた「私」という存在は大きいかもしれない。
父は昔から自然が大好きで週末に一人でバイクや車で出掛けてはキャンプをしていたり、昔はよく山に登っていたりした。今でこそアウトドアブームとかで、何だかお洒落な趣味のようなカテゴリーにみえるが、ハタチそこそこだった私には理解できなかった。むしろ週末に家を空けてのびのびと過ごせる嬉しさしかなかった。
ただ段々と歳を重ねるにつれ、昔遊びに連れてってくれたような自然のある場所を欲している自分がいて、そのたびに父のことを思うようになった。
特に早朝に鳥の鳴き声を聞きながら歩いた上高地は、子供ながらにも良い印象だったようで、何十年ぶりに訪れたりした。
34歳になった今。
自然を求め、まだ使い慣れていない新米の登山ギアが、私のクローゼットの面積を占め始めている。
山登りにワクワクしている自分がいるのは、
確実に父の影響だろう。
だからこそ、今年2022年は、意を決して誘ってみようと思う。
「一緒に山登ろう」と。
きっと驚いた顔をするかもしれないけど
どこか照れくさそうにしている父の様子が目に浮かぶ。
まだまだ山の魅力を語るほどの経験はないし
登山の心得なんてものはよく知らない。
けれど、子供のときの記憶が自分の意識にしっかりと宿っていて、大人になった私をワクワクさせる原動力になっていることは間違いない。
そして
父との心の距離を一歩ずつ近づけてくれる
大切なきっかけを与えてくれることを願ってー
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