謝れない病と謝罪乱用依存マウント病 謝罪論 〜謝れるオレはオトナでスゴイ〜基本全編無料投げ銭付き

謝罪を軽んじるべからず 謝れない病は社会的死にも繋がる病

失敗や失礼は誰でも体験するものでしょう。それがないと言う人は自覚がないだけかもしれません。社会で過ごし、人間関係に触れるならば避けては通れません。
時には失敗や失礼自体よりもその後の対応で炎上したりもします。
むしろこの不適切な謝罪などでの2次炎上の方が事態を深刻化させている節すらあります。
大企業や有名人が火に油を注ぐ悪い謝罪や開き直りをするのを見て、愚かだなと思った方も多いのではないでしょうか。

「ちゃんと謝れば済む話だったのだから簡単な筈なのに。」

こう考えて、頑なに自らの非を認めずに自ら首を絞める人々の事を「謝れない病」だとか表現し揶揄したり批判したりする風潮が一部にあります。
謝れない空気よりかは謝れる空気の方が好ましいかもしれません。

でも本当に安易に謝罪する事は解決になっているのでしょうか?
謝罪する事でマウントを取ってしまっている...謝罪乱用依存マウント病になっているのではないでしょうか?
別の問題が生まれてはいないでしょうか?

私は甚だ疑問です。

謝罪乱用依存マウント病の問題点

❶最終的に謝罪すれば良いと気が緩み、失敗や失礼の予防や再発防止対策を怠ってしまう場合がある
それによって問題の理解が出来ず、問題放置や悪化に繋がる。
❷それらによって不誠実で形骸化した謝罪の増加で、誠実で有意義な謝罪の価値が落ちてしまう
❸謝罪出来る事が偉いとする不毛なマウントに用いられたりしている(謝罪はマウントの道具ではない
❹謝罪する事は責任を認めることであり、謝罪を乱発すれば背負う事が出来ない量の罪になる。

謝れないよりは謝れた方が良いです。しかし、それは...
失敗や失礼の発生を予防する為に先に努力しつつ、それでも仕方なく発生してしまい、正しく謝罪し再発防止に努めた場合です。
謝罪は姑息で利己的な社会的制裁から逃れる誤魔化しの小賢しいテクニックではダメなのです(というか本人も周囲も最終的に不幸になる
社会を過ごし、関係を築く上で起こるトラブルを解決し、詫びる心を正しく伝える為の所作なのです。
回避出来た不要な失敗や失礼に対応せずに放置したり、引き起こしておいて、それで不誠実な謝罪で流し、繰り返すのは大勢から怒りを買う事になるでしょう。

謝罪はどこまで行っても苦痛です。もし快感になってしまったら意味がないのです。
私も辛いし嫌です。可能なら謝りたくはないです。恥ずかしいし。
それでも謝るべき時はあるし、正しい事を蔑ろにしてまで謝罪を拒否し続ける事は望みません。
貴方に心地よく楽しく甘い魅力的な声で誰かがささやいたとしても、その声に従って惑わされてはなりません。
正しく誤り、正しく謝り、正しく不当な謝罪要求は退け、現実的で健全な関係を皆で作り上げ過ごしましょう。

以下投げ銭ゾーン

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