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[追悼] クリス・クリストフアーソン・カントリーミュージック㉛

毎日投稿69日目

おこしやす~~いらっしゃいませ~~(^^♪

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「クリスクリストフアーソン」追悼
私は特に詳しいわけでなくいくつかの曲を知っている程度で
ございます。
映画出演もしているので
映画は観たことがありますたい!
男っぽい渋い雰囲気で素敵でした!


【訃報】

[以下情報、you tubeウィキペディアから引用させていただきました]

スーパースター兼俳優クリス・クリストファーソン
ソウルフルなカントリーミュージックのスーパースター、
クリス・クリストファーソンが亡くなった。88歳だった。

カントリーミュージックのスーパースター兼俳優
クリストファーソンは『ミー・アンド・ボビー・マギー』
や『ヘルプ・ミー・メイク・イット・スルー・ザ・ナイト』を作曲。
スーパーグループ “ハイウェイメン “とも共演。
俳優としては『アリスの恋』や『スター誕生』
で観客を魅了した。
直近では『PLANET OF THE APES/猿の惑星』にも出演。
クリストファーソンは土曜日、
ハワイのマウイ島の自宅で亡くなったと家族が発表した。
「私たちは皆、彼と過ごした時間をとても幸せに思っています。
虹が見えたら、彼が私たちを見下ろして微笑んでいると思ってください」。9/30(月) 14:53配信されたものから。(現地メディア)



クリス・クリストファーソン
(ウィキペディアから)

英語: Kris Kristofferson
1936年6月22日 - 2024年9月28日
アメリカ合衆国テキサス州ブラウンズビル出身の
カントリー音楽のシンガーソングライター。
映画やTVなどでの俳優としての活躍も知られ
父は空軍の元将軍。
父方の祖父母はスウェーデン出身、
母方はスコットランド系アイルランドの血を引く。
大学時代は作曲の腕を磨き、
カリフォルニアの名門私立ポモナ大学卒業後は
ローズ奨学生としてオックスフォード大学に留学。
卒業後は米国陸軍に入隊して
ヘリコプターパイロットになり西ドイツに赴任。
ベトナム戦争に従軍を志願するも士官学校の
ウェストポイント陸軍士官学校の教官に
任命されて教鞭を執ることになる。
しかし、その頃すでに妻子もあったクリストファーソンは
幼い頃からのカントリー歌手になる夢を捨てきれず、
大尉の階級で陸軍を辞め全てを賭けて
ナッシュビルに向かう。
コロムビア・レコードの清掃夫として
働きながら音楽活動を始めたものの
母親に勘当され妻には離婚されるなど
道のりは険しかった。
清掃夫時代にジョニー・キャッシュの妻で
シンガーのジューン・カーターに
デモテープを渡すも聴いてもらえず、
当時同じく勤務していたヘリコプター会社の
ヘリコプターをジョニー・キャッシュの
自宅の庭に着陸させてテープを渡したエピソードは有名。
1960年代後半から数多くのヒット曲を作り出し、
1970年代には大御所ウィリー・ネルソンや
ジョニー・キャッシュらと並び称されるまでになった。
アメリカではスタンダードとなっている楽曲も
複数生み出した作曲能力に加えて、
ストーリー性のある詞も評価されている。
彼自身のデビュー・アルバムに収録された
「ミー・アンド・ボビー・マギー」は、
ジャニス・ジョプリンが『パール』で取り上げて、
全米1位のヒットとなっている。
一方、ニューシネマの到来の波に
乗って映画界にも進出。
1971年の『ラスト・ムービー』を皮切りに、
サム・ペキンパー監督に見出されて
数多くの作品に出演。
なかでも1973年の『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』では、
素朴ながらも荒削りな役作りで、
特に酒を実際に飲みながら台詞を話す
というリアリティを追求した。
1976年の『スター誕生』で
ゴールデングローブ賞の主演男優賞を受賞した。
日本でもヒットした1978年の『コンボイ
でも主役を務めたが、1980年代以降は
作品に恵まれなかった。
それでも俳優活動は継続して行い、
TVドラマなどで渋味のある役を演じ、
大作映画では存在感を示し、
悪役や個性的なキャラクターを多く演じている。
1980年代半ば、いずれもカントリー界の
重鎮であるジョニー・キャッシュ、
ウェイロン・ジェニングス、ウィリー・ネルソン
とともにスーパーバンド「ハイウェイマン (The Highwaymen)」
を結成してレコーディングおよびコンサート・ツアーを行ない、
1985年『四人の男達 (Highwaymen)』、
1990年『Highwaymen 2』、
1995年『The Road Goes on Forever』を発表した。
アルバム、シングルともにチャート1位を
独占するなど人気を博した。
その後もミュージシャンと俳優の
二足の草鞋を履き、
晩年は記憶障害に悩まされたものの
2020年まで現役を続けた。
私生活では、
これまでに3度結婚しており8児の父親である。
1960年に高校時代の同級生と結婚して
2児をもうけるが1969年に離婚。

以下の画像「リタクーリッジ」

1973年に再婚した2人目の妻である
歌手リタ・クーリッジとの間に
1児をもうけるが彼のアルコール使用障害
のため1980年に離婚。
(リタクーリッジのこの曲、有名ですよね、)

1983年に再々婚した3人目の妻との間に
もうけた5児のうちジェシーは
日本人女優の春名愛海(Ami Haruna)と2010年に婚約した
(※2024年現在この情報の裏付けは見当たらない)。
同じく息子のジョディはギャレット・ディランなどの
リングネームで活動した
元WWE所属のプロレスラーであった。
1974年には、当時の妻であるリタ・クーリッジと
ともに来日してコンサートツアーを行った。
その一環で福島県郡山市にて開催された
大規模な音楽イベント
「ワンステップフェスティバル」にも出演した。
2024年9月28日、
ハワイ州マウイ島の自宅で死去。88歳没。(ウィキペディア)

個性、特徴

(ウィキペディア)
ヒゲと長髪がトレードマークとして定着している。
またヒゲの形を変えたり時には全て剃り落としたりして

個性やキャラクターを演じ分けている。

日本では、エイブラハム・リンカーン大統領の

肖像に似ていると指摘されたことがある。

政治的な言動が目立ち、1970年代以降は左翼的な発言によってナッシュビルでもバッシングを浴びることがあった。

主な楽曲

(ウィキペディア)

スタジオ・アルバム

  • 『クリストファーソン』 - Kristofferson (1970年、Monument) ※旧邦題『クリストファーソンの魂』

  • 『クリス・アゲイン〜詩と真実の世界』 - The Silver Tongued Devil and I (1971年、Monument)

  • 『クリストファーソンの歌/ボーダー・ロード』 - Border Lord (1972年、Monument)

  • 『山羊座のジーザス』 - Jesus Was a Capricorn (1972年、Monument)

  • 『フル・ムーン』 - Full Moon (1973年、A&M) ※with リタ・クーリッジ

  • 『スプーキー・レイディーズ・サイドショウ』 - Spooky Lady's Sideshow (1974年、Monument)

  • 『ブレイクアウェイ (解放)』 - Breakaway (1974年、Monument) ※with リタ・クーリッジ

  • 『愛と怒り』 - Who's to Bless and Who's to Blame (1975年、Monument)

  • 『シュールリアルなもの』 - Surreal Thing (1976年、Monument)

  • 『スター誕生』 - A Star Is Born (1976年、Columbia)

  • ※映画『スター誕生』サウンドトラック with バーブラ・ストライサンド

  • 『イースター島』 - Easter Island (1978年、Monument)

  • 『ナチュラル・アクト』 - Natural Act (1978年、A&M) ※with リタ・クーリッジ

  • 『男たちの唄』 - Shake Hands with the Devil (1979年、Monument)

  • To the Bone (1981年、Monument)

  • The Winning Hand (1982年、Monument)

  • ※with ドリー・パートンウィリーネルソン、

(you tube からの情報引用させていただきました)

最近、亡くなられたのは残念ですが
心に沁みる音楽を沢山、残されました。

最後まで読んでいただきありがとうございました(*- -)

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