
おやつ。
子どもが生まれてからおやつが作れるお母さんに憧れて、作り出した。
市販のお菓子は何かとよろしくないと思い込んでいたし。
今でもそんなに買わないけれど。
実は子どものころから、お菓子作りに憧れを抱いていた。
専門学校に通ったこともある。
だけどそのころの製菓業界がブラックな働き場所だとわかっていたのかいないのか、なぜか就職をする気にはならなかった。
今は、あのときやっぱり就職しなくてよかったななんて思っている。
学校を卒業してからは、興味関心がさまざまになり製菓とは違う仕事をしながら、生活の中にほぼお菓子作りはなくなっていた。
でも今は必ずおやつを作る。
子どものおかげでお菓子作りを暮らしに溶けこませることができた。
おやつを作れるおかあさん。
ケーキを作れるおかあさん。
あこがれのおかあさんになれたのは子どものおかげ。
子どもたちが小さい頃は砂糖を控えて、いわゆる「やさしい味」のおやつばかり作った。今でもわりにそうだけど。
でも、それでもこのごろは世間一般的にもおいしいだろうと思えるお菓子を作れるようになった。
それは砂糖は控えめにしても、ほかの材料に対する義務感が少し自分の中でやわらいで、自分の作りたいお菓子を作ることが多くなったからかなと思う。
そして当の本人が食べて、おいしい!と幸せになっている。子どもたちにもおいしい!と言ってもらえるとまたうれしい。
わたしはなんでお菓子作りにあこがれたのか、職業にしなかったけど人に食べてもらったときとても喜んでもらえたことがあって忘れられない。
夢のようなケーキの写真を見て、こんなクリームのデコレーションをしたい、こんな素敵なケーキを作れるひとになりたい、ワンホール一人で食べたい。
なんとなく自分が思っていたことをだんだん思い出して、以前にまして楽しく作れることがふえた。
少し余裕ができてきて、欲が出てきたのかしら。
いや、自分のやりたいことをやるのは当たり前ですよね。
それが楽しいのは当たり前。
自分の気持ちを無視することに慣れている人は、好きなことをやっていても何か満たされない、場合によっては苦痛さえ感じることがある。
それかなんだか気分がぼんやりしていたり。
好きなことのはずなのに、やらなければならないことになっている。
「好きなことをやっている」のは贅沢だとか、仕事なら嫌なことだとしてもやるのが当然だ、みたいな意識のあったころじゃ生きにくかったことにも合点がいく。
今やっと、そんなことをしても効率も悪ければからだにも悪いしまわりの空気感も悪くしていると気づきはじめた時代のながれ?を感じて、わたしはすでにまあまあな歳だけどこれからいろいろできるのではとうきうきしている。
楽しい時代がやってきたのかも!と肌でかんじる。
少なくとも、つらいなということばかりの仕事を無理にすることはないと思う大人は増えたように思うし、人が楽しい気分で幸せを感じていると伝染して周囲の三人まで幸せな気分になるというデータがあって、自分にとって楽しいことをしてうきうきすることは社会貢献だ、という人だっている。
どうせなら楽しい気分になりましょうよと思う。
絶対に食べたいものを妥協せず必ず食べると決めることだけでも幸せにつながる。
一日に一回でも自分をよろこばせると決めて自分との約束を守る。
楽しいので守れる。
ちなみに奥の手として、誰かを喜ばせる、というのがかなり自分の幸せにつながるんだそうです。
これはわかる気がしますよね。
自分がしたちょっとしたことで誰かが本当に感謝してくれたり、涙が出るほど喜んでくれたりしたことがわかったときのあの独特の幸福感。
そうそうあることではありません。
自分と他の誰か、もちろんどちらでもいいんですが、わたしはこれから欲張ってどっちも毎日喜ばせようと決めました。
そして昨日のおやつはわたしが食べたいと思ったコーヒー味の焼き菓子にしました。(撮らずにたべました。画像は以前つくったもの)
出来ないときは無理にやらないとして、自分を喜ばせること、みなさんもぜひ。