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好きなのに蛙化。
これはきっと私のトラウマか何かなんだと思う。
私はずっと男の人を好きになれないと思っていたけれど、
どうやらそうではないのではないかと思えてきた。
人並みに、その人のことを考えて、会いたいなと思って、
ここ一緒に行きたいな、とかそんなことを当たり前のように思ったことがある。
会えたら嬉しいし、帰る時間が惜しい、時間が経つのが早い、
私にもまだちゃんとこういう感情があるんだと最近になって知った。
だけどどうしても乗り越えられないことがある。
それが、性行為。
性欲がないとかそういうことではなく、性行為がどうしてもできなかった。
いや、厳密にはできるんだけど、凄く、嫌だ。
性欲を私に向けられるということ自体に嫌悪感が芽生えてしまう。
どんなに好きでも、性欲を向けられたり、
応えないわけにはいかないと思って応じてしまうと、
俗に言う蛙化現象が起きてしまう。一気に冷めてしまうのだ。
恋愛は、性と向き合わなければいけないと思っていた。
向き合えない私は、恋愛ができないんだと思っていた。
こんなこと、誰にも言えないと思ってたし、いろんな嘘をついた。
嘘が嘘なのか、何が本当なのかもわからなくなっていた。
でも30を超えて、いろんな考え方を知ったり多様性と言われる時代になり、
改めて自分と向き合った時に、
自分のこの感覚も、別に間違いではないんじゃないかと思えてきた。
きっと、少数なのかもしれないけれど、
何処かに同じ悩みを抱えている人はいるかもしれない。
私にはこれを解決する術はまだない。
ただ、自分のことを受け入れることができた、と言うことだけ。
受け入れられるかどうかでも、かなり違うんじゃないかな。
“自分を受け入れる”なんて何の意味があるんだと思ってた。
だって自分は自分しかいないし、
受け入れるも何も、受け入れるしかないじゃんって思ってたから。
だけど、自分としっかり向き合って、咀嚼して飲み込む。
それが受け入れるってことなのかなあと。
受け入れられた時に、自分のことまたちょっとだけ好きになれたりする。
恋愛と性。私にとっては別物であり、繋がらない。
でも、誰かのこと、ちゃんと好きになります。
応えられないからって、好きじゃないわけじゃない。
それを理解してくれ、受け入れてくれ、とは言わない。
価値観の違いだ。私はそれも否定しない。
あぁ、お腹空いたな。ご飯でも食べよう。