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【読書感想】もし明日が来ないとしたら、私はなにを後悔するだろう?

このページを訪問してくださり、ありがとうございます。

この本の著者は、浄土真宗の住職である浦上哲也さんです。

浦上さんは、宗派を越えた仏教死生観研究会という団体の代表でもあり、「死の体験旅行」というワークショップを主宰されています。

このワークショップは、現在自分が大切だと思っているヒト(人物)、モノ(所有物)、コト(思い出)、ユメ(行為、目標)をそれぞれ5枚ずつ、20枚のカードに書き出したうえで、自分が死の病を宣告されたことを想定し、これらのカードを、最後の1枚になるまで徐々に手放していくというものだそうです。

自らが命を終えていくまでのプロセスを擬似体験し、どのような喪失感を味わうことになるのか、そして、悲しみ、苦しみを感じることになるのかを体感することにより、自分自身の本当の想いと向き合う、というものです。

この本では、死の体験旅行の参加者のエピソードが複数紹介されているのですが、その中でも特に印象に残ったのは、以下の、若い女性のエピソードでした。

「私はママととても仲がよくて、友だちみたいな親子なんです。ママのことが誰よりもいちばん大事だと思っていました。けれど最後の1枚のカードを見て、私はその大事な人に、自分の子どもが死ぬ姿を見せてしまっているという情景が目に浮かんだんです。ママがいちばん大事だと言いながら、それよりも自分の方が大事だっていうエゴがあることに気がつきました」

浦上哲也著/もし明日が来ないとしたら、私は何を後悔するだろう?

これに対し、浦上さんは、仏教的な観点から、以下のように応答します。

 仏教では「自我を捨てて無我の境地に至れ」と説きます。現代ふうに言い換えると、「自分が持っている自己中心性に気づき、あらゆる苦悩の原因が自我に執着することであると知り、それを手放す努力をしなさい」という意味になります。…

 彼女は無我になったわけではなく、その手前の自我に気付いただけです。でも、「気づく」ことは「変わる」ことの入口です。その後の彼女の生き方は、おのずと変化していったのではないかと思います。

浦上哲也著/もし明日が来ないとしたら、私は何を後悔するだろう?

「死」を見つめることにより、今この瞬間の「生」が変わる、ということが実感されます。

ところで、浦上さんは、自らの死生観につき、以下のようにも告白されています。

 死生観について考える機会は普通の人より多いはずですが、そこでわかったのは、どこまで考えても「死を理解した」なんて境地はない、ということです。…

 私が共感できるのは、…臨済宗の僧侶で、江戸時代後期に生きた仙厓というお坊さんです。
 宗教活動のかたわら、あらゆる階層の人々の求めに応じて筆を振るった禅画の名人ですが、亡くなる直前、彼を慕う人々の求めに応じて辞世の言葉を書いたと言います。

 で、そこには、「死にとうない」と書かれていた。
 さすがにそれでは格好がつかないからと、もう一度、書を求めると、仙厓さんはこう書いたそうです。
「ほんまに死にとうない」と。
 このエピソードは、「死」がどんなものなのか、如実に私たちに示しているように思えます。

浦上哲也著/もし明日が来ないとしたら、私は何を後悔するだろう?

私自身、これまで、本当の死の恐怖を経験したことがないので、どうしても、

「間違いなく、明日を迎えることはできるだろう。」

と、どこかで思ってしまう自分がいることに気付きます。

とは言いつつ、この本を読み、あらためて、

「自分のできる限りにおいては、『死』を意識することにより、今、この瞬間の『生』をできるだけ充実させたい」

と思った次第です。

とても読みやすい本であり、皆さんにとっても何かの参考になるかもしれないと思いましたので、ご紹介させていただきます。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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