イメージは大事
お一人づつ、こう見えてる、こんなふうに受け止めて、こう思ってる…
を書き進めてますが、あくまで個人の見解です。
正しいわけでもなければ、事実なのかはあくまで見えてる部分だけでの判断です。
今回、お二人を取り上げて、それぞれ思う事を。
例えばフォルムだったり、出来る事が被ってる部分があったり、そう考えると置かれてる状況が正反対なのは、なかなか興味深いかもしれない。
お芝居がきっちり出来たり、舞台でのスキルをしっかり備えている。
舞台でもしっかり周りを見れていて、客席の空気も読み取れている。
笑いの部分も自分の基準とセンスで、しっかり準備できている。
でも、周到に用意しても、それが逆に受けるかは別の話。
それを、ちゃんとやってるのに、評価されないと不満に思うのか?
見ていて思うのは、ギャラがキツいから笑いづらいし、
芝居としても自然じゃなく感じるんですよね。
なんというか、愛嬌だったり親しみやすさを、プロ意識が掻き消してしまってるような。
私はこれだけ仕上げてますよ?出来てるでしょ?は見てる側が受け止めにくいです。
勿体無い話だけど、せっかくのスキルあっても求められてないと、
やっぱり主流から外れてしまうのかな?と。
スキルはそのままに、あなたのキャラに対しての客のニーズに応えられたら…
もう少し、新喜劇の中で存在感出せるようになる気がしますね。
もう一人の方は。
人間的には正反対、でもスキル面だったり、意識の高さは非常に似てる。
そして、圧倒的な親近感あるキャラで、新喜劇のど真ん中歩いてる。
キャラ的に誰からも愛されてるのも強みだし、
この方が出れば楽しい空気になるし、しっかり客を温めてくれる。
そりゃどの舞台にも呼ばれますよね。
この年代、キャリアで、スキルがあって持ちネタとキャラが確立されてて、
人気もあって、一人でも外に出ていける座員さんって、そう多くはいないんですよね。
だから、燻ってる座員さんは、この方を基準に自は比べた時にどうなのか…
絶好の参考資料になりますよね。
取り上げたお二人で比べても、大きく差がある。
出来る事に差がないのに、どこでその違いが出てくるのか…
新喜劇というコンテンツの性質上、明るさや柔らかさ…なんだろうな。
そして、それはその場で出るものではなく、積み上げられたものなんでしょうね。
それは、他のパターンも一緒、かな。
その場しのぎで言葉で補うことはできない、地道に継続して
信用、信頼を勝ち得てこそ、まとえる空気感なんだと思います。