エピソード11 Episode11 - 東洋のカルマと西洋の自我は一身同体のエネルギー?(その1)「デヴィッド・R・ホーキンズ<わたし> 700〜1000「悟り」の領域 - Amazon」

エピソード11 Episode11 - 東洋のカルマと西洋の自我は一身同体のエネルギー?(その1)「デヴィッド・R・ホーキンズ<わたし> 700〜1000「悟り」の領域 - Amazon」

(以下、リンクです)

https://www.amazon.co.jp/%E3%82%8F%E3%81%9F%E3%81%97-%E2%80%95%E7%9C%9F%E5%AE%9F%E3%81%A8%E4%B8%BB%E8%A6%B3%E6%80%A7-%E8%A6%9A%E9%86%92%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E3%83%87%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BBR%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%BA/dp/490382165X/ref=pd_sbs_d_sccl_2_7/355-9495384-8215044?pd_rd_w=qoKQw&content-id=amzn1.sym.2e3b388a-4d35-4ac5-b8d6-fcf3da7dd6b4&pf_rd_p=2e3b388a-4d35-4ac5-b8d6-fcf3da7dd6b4&pf_rd_r=WP6JPNZKCJH16TG7KBTA&pd_rd_wg=xvpKq&pd_rd_r=24a31b5a-739a-4370-93c8-0ebe52d83232&pd_rd_i=490382165X&psc=1

ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイドの方)という前提です。

一冊目の「パワーか、フォースか」では、世界人口の圧倒的大多数が占める意識レベル500台より下の世界に重点が置かれています。

紹介している書籍「わたし」は、700〜1000「悟り」の領域の内容です。

キッカケは、2025年の年末年始に、たまたまストリーミング配信で見た「火の鳥」を懐かしくもあるためカルマについて書きました。

「火の鳥」は子供の頃に漫画で見て記憶しています。答えがなく問題提起をしたままエンディングになる話です。

エヴァンゲリオンのアニメより前に当時の最先端を漫画に詰め込んでました。

そう言えば、「火の鳥」2004の当時アニメのオープニング映像は、皆既日食で表現してるが・・・

現在は、観測データからブラックホールに生命エネルギーが記録される仮説が、カルマと自我に関しては最も現実的で有力な説です。

でも現時点では、長い時間が必要で検証はできません。何かシンクロニシティがある?別の可能性もあります。一緒にみんなで探求しましょう。

カルマ?についても?「火の鳥」異形編は、2024年のスターウォーズの「アソーカ」や「反乱者たち」のエズラが迷い込む「時空のはざま」に似ている?けど名作リスペクトの意味から参考にしたかもしれません。

カルマとは関係ないけど「火の鳥」太陽編のテーマは、宮崎駿の「もののけ姫」にも取り入れられています。

カルマに関しては、テーラワーダ仏教にも大乗仏教にも数千年にも及ぶ大量のケーススタディーが、経典として記録されていますので・・・

自身のパワーレベルによって最適なケーススタディーを選べると思います。詳しくは、そちらを自身で探求、発見されたほうが、納得すると思うのでここでは書きません。

そのうち気が向いたら「その2」を書くかもしれません。

ブッダによると・・・女性はカルマが深いから悟りへ向かいにくい特性があると伝承から統計的に言い伝えられています。

「TED アンジャン・チャタジー:脳はどのように美しさを判定するか?」によると・・・

最近の研究によると顔のバランスが整った美人ほど悪女の素養があるらしい事が判明した!芸能関係や女優を公安の対象に入れてストーカーアルゴリズムで透明化することも正当化できそうだ。

美人は飽きるではなく悪女の素養がある。この根拠は、男尊女卑の根拠にもなる。

実は、プロセスがあって、まず君主制の場合、君主が、美人と言う皮を被った悪魔(悪女)を好む歴史的な傾向あり。
続いて、誰も君主の伴侶。つまり「無意識にバカな男達ね」とせせら笑っているのに悪女の戦略に踊らされて悪女を批判できなくなり君主が暴走する。

立憲君主制、民主主義がある場合、君主であっても批判は許容範囲なため回避できるメカニズムがある。

これが民主主義の歴史的な背景も考慮した良い面です。

このエピソードでは、「デヴィッド・R・ホーキンズ<わたし> 700〜1000「悟り」の領域 - Amazon」の書籍の内容の一部を「カルマ」に絞って抜粋だけします。

一神教では、「カルマ」をどのように観ているのか?ここでは、仏教とは、異なる現代の科学的視点をまじえて説明してます!!

ブッダの言う死後の世界と輪廻転生を含めた広義のカルマは、できる限り避けています。

この書籍では、仏教では「マーラ(邪悪なもの)」のみだけど、一神教からみるとルシファー的、サタン的なエネルギーと別々に分けて定義している?

ルシファー的なエネルギーの定義は、政治的イデオロギーの歪曲(ファクトチェックのない事実を伝えること)を行い、権力、支配、名声、利益を求めること。

これは、愛国心、平和運動、政治的理想主義といった「羊の皮」の下に隠れています。

サタン的なエネルギーの定義は、死と破壊の放出(破壊神とも多神教では呼ばれる。カイヨワも違う言葉で言ってます)

これは、ルシファー的なエネルギーのすぐ後に隠されます。厳しく指摘をして透明性を究極にして暴露することで予防できます。

一神教は、歴史的に分裂のカルマに囚われる傾向があるのかもしれません。

まずは、こちらからご覧下さい。

カルマは何も悪いカルマばかりではありません。私たちのカルマのパターンの中には蓄積した良いカルマもあり、テーラワーダ仏教では、「善徳」や「徳分」という概念です。

そのおかげでこの世に生を受けているからブッダは、人として生きているだけでも多大な幸運で、その機会を無にしてはならないと説きました。

デヴィッド・R・ホーキンズ. <わたし> (p.156)「第一部 プロセス」の「第五章 霊的真実」から

自我はカルマの中心であり、貯蔵庫でもあります。自我とカルマは、実は、同一の現象であると知ることが極めて重要です。

デヴィッド・R・ホーキンズ. <わたし> (p.159)「第一部 プロセス」の「第五章 霊的真実」から

神の意思は、宇宙全体のカルマの設計図です。

デヴィッド・R・ホーキンズ. <わたし> (p.289)「第三部 障害」の「第十二章 感情」から

後になって、これはブッダを「攻撃」した「悪魔(マーラ)」の類だったことがわかりました。

量子力学の言葉で表現すると・・・

悪魔(マーラ)は、悠久の時の中で意識に蓄積された、低い自我の集合的なエネルギーを象徴していました。

それはあたかも、基盤の大元を揺るがされた自我が猛烈に抵抗しているかのようで、生存が脅かされるとますます抵抗の手を強めます。

デヴィッド・R・ホーキンズ. <わたし> (p.351)「第三部 障害」の「第十五章 カルマ」

これに対する気づきとして・・・

この一部分は、不確定性原理?に似ている。

次は

キネシオロジーテストの際立った価値とは、それが今のところ、線形から非線形をまたぐことのできる唯一の目に見える媒体だということです。

というのも、この媒体は「生命」という、目に見えない本質的な現象を基盤に記録したり、反応したりするからです。

あらゆる科学機器や装置、概念は、どうしても生命そのものの本質とは無関係であり続けるほかありません。

科学は、生命の結果や形を対象とするからです。そこに「生命」が存在すると、心臓は脈打ち脳波が発生します。

逆に「生命」が不在であれば、こうした現象は停止します。

鼓動も脳波も、単に生命が存在することの結果にすぎません。それは生命そのものではないのです。

生命は、触れることも見ることもできません。

「生命」が肉体から去っても、生命エネルギーの生命は、途切れることなく、そのまま続くということを明確に示すことができます。

生命そのものが、死ぬことはありません。

肉体を去った後の生命エネルギーを追跡してみると、それが生前と同じ意識レベルを持っていることがわかります。

デヴィッド・R・ホーキンズ. <わたし> (pp.360-361)「第三部 障害」の「第十五章 カルマ」

死後も自我が支配的な場合は、魂は自らの意識レベルに合った特定の領域を「場所」だと思うでしょう。

魂は、独自のカルマの「浮力」を持っています。

デヴィッド・R・ホーキンズ. <わたし> (p.361)「第三部 障害」の「第十五章 カルマ」

これに対する気づきとして・・・

ブッダが言っている生前のカルマや行い。つまり、意識レベルによって死後に天国に行ったり地獄に行くということ?

一神教の表現で語っているけど。とても似ている。

「魔境」の危険性も警告している。

次は

悠久の時間を通じて、意識は「魂」として進化してきました。

魂は、数多くの生と肉体、あるいは別の表現をもって生まれ変わり、それらは、すべてカルマとして、意識の気づきのレベルに記録されています。

デヴィッド・R・ホーキンズ. <わたし> (p.369)「第三部 障害」の「第十六章 最後の戸口」

これに対する気づきとして・・・

やっぱり、大質量ブラックホールに記録されている?かもしれない。

次は

献身的な人ならば、無条件の愛に到達するために努力すればするほど、自らが目指している目的地とは、全く異なる要素を引き寄せることに驚かされます。

愛と平和は、自我にとって、最大の脅威であることを忘れてはなりません。

自我が無意識の奥に刻まれた立ち位置を持ち出し、すり替えることによって自らを防衛しようとします。

このような愛の要素は、人間の脳が受け継いだ生存の事だけを考える本能的な動物脳に由来します。

仏教では「マーラ」とも呼ばれます。

動物脳は、幼少期には活発ですが親や社会システムの圧力によって、無意識の奥に押し込まれます。

ここで働くのがよく知られている。抑圧、抑制、否認、反動形成、投影、合理化などの心理的な自我のメカニズムです。

このような利己的なメカニズムは、様々な副人格を形成すると同時に主要な自己のアイデンティティーになります。

そして、次に信念と感情が、社会システムや歴史、文化、仲間、教会。

そして、なんといっても、マスメディアの情報入力によってプログラミングされます。

他にもたくさんの要素がありますが、これ以上に広範囲に影響力を持っているのが、カルマの遺産ではないでしょうか?

自我を持った人間として生まれたこと自体が、既にカルマ的な出来事に他なりません。霊的なカルマはカルマが現前したものとして見ることができます。

したがって、自我の効力を最小化し、なくすことが、カルマをなくすことに等しいのです。

なぜなら、自我とカルマは、1つになって働いているからです。カルマという言葉に抵抗のある人は、これを無意識と置き換えても良いでしょう。

克服すべき課題は変わらないとしてもカルマ、あるいは、無意識の観点を持つ人とは、次の点で、それを持たない人とは異なってきます。

つまり、カルマの経緯をよく吟味する。

人間は、自己憐憫や嫌悪感、怒りから自由になり、人生の不公平さを嘆くことが最小化。もしくは、なくなります。

ブッダはヴィパッサナー瞑想法で克服できる方法を世界で初めて開発した最初の人物です。

デヴィッド・R・ホーキンズ. <わたし> (p.433-435)「第四部 超越」の「第十九章 ハートの道」

その他に

(あなたは「思考は、感情の段階的変化である」というのをご存じでしょうか?」)

意識レベル850を超えると、エゴは消滅します。

すなわち、エゴの属性であるマインド/メンタル/エモーション/カルマ/サイケもまた同時に消滅し、この世界でのコミュニケーションを必要とするなら、ボディ(身体)のみ生命の維持が図られることに。

そして、700レベルを超えると、個人のパーソナリティではなく叡智から情報は、発信されます。

これは、ホーキンズ博士の複数の著作で述べられています。「思考は、感情の段階的変化である」

これは、1984年にアメリカの研究者により、人類史上初めて明らかにされた事実。

このエゴの消滅について、あたかも意識そのものも、また消滅してしまうが如く「空/無/void」という概念は、大乗仏教を通じて広がってゆきました。

テーラワーダ仏教のアビダンマによると1000近いブッダなどの人達だけが、細かいカルマを解明して正確に説明できるようです。

われわれが、考えて悩むべき領域ではありません。

なのでブッダは、邪心が産まれるため、テーラワーダ仏教では、そのように考えることは禁止されています。

この本の内容で補足すると200未満の人は、カルマを理解するパワーがないためかもしれません。

(今、見ているものは幻)

今、この瞬間に認識している視覚からくる情報は身体の五感で直接的に感じていない限り・・・

すべて幻覚を強制的に見せられている!と言うことと同じ意味。顚倒夢想とも仏教では言われている。

だから、常にTV画面に対して否定的、悪意を込めて批判しつつTVやマスメディアを視聴すること。

プロパガンダ装置のTVやマスメディアは鵜呑みにせず具体的なファクトチェックが必要。

テクノロジーの進歩の負の面で、これがないTVの一方的な情報は完全に偽の情報の可能性は大です。

(どのような時に神を思う?)

これによるとブッダは、ヴェーダに記されてる古代インドの神々を敢えて語らずに・・・

しかも、十分理解していたにも関わらず極端に避けたそうです。

非線形の現象を数式も確立していない時代に言葉で表現するのは不可能だから。

現代で学校入学前の子供に話しても概念が理解できないのはこれが理由。

なお、神と仏(ほとけ)は違います。

ブッダの身分は、この時代、王族で現代でいう超裕福層でした。

(人類による神の証明は不可能)

2023年時点では、人類による神の証明は不可能ですが21世紀のテクノロジーが可能にできる兆しはあります。

非線形を数値化できる理論のため、ゲーデル、トポロジー

そして、量子コンピューター、量子重力理論、スーパーストリング理論は可能性があります。

西洋占星術の言う「風の時代」では慎重に定義を設計しないと人類を滅亡させる諸刃の剣にもなり得る。

昔からある議論をTED ニックボストロムも「黒い球」の例えで話してます。

中部経典から

ある時、ブッダがサヴァッティの東園に滞在していたときのこと。ガナカ・モツガラーナと言うバラモンの来訪を受けたことがある。

この男は理論家らしく、ブッダに向かってその教えが納得いくように説明を求めた。ブッダは懇切丁寧に教えを説いたところ。

「では、あなたの弟子は、皆それによって究極の目的である悟りの境地に至るのであろうかと尋ねた」

ブッダは「バラモンよ。私の弟子のあるものは至り、あるものは至らないこともある」と答えたところ。

「それはまたどうしたわけで」と問い返した。

そこでブッダは「バラモンよ。そなたはラジャーガハに行く道を知っているであろう。もし、そなたにある人がラジャーガハに行く道を尋ねたとする」

「そなたが、これがそこへ行く道であると言って道順をよく説明したとして、その人が確実にラジャーガハにたどりつくであろうか」

「同様に悟りの境地は確実に存在していて、私が弟子たちにその目的地を示したとしても。あるものはそれに到達し、あるものは到達しないかもしれない」

「バラモンよ。私はただ道を教えるだけなのである」

後は、その人の精進次第である(哲学や倫理限定で押し付けるものでなく自由です)

ブッダ生存当時の意識レベルは200未満であった時代に対して、現代では、世界中の精進の努力により200以上になっています。

(人生の幸も不幸もコンテクスト次第)

これによると意識レベル200、500、600と言う大きな臨界点で同じ言葉や表現でも人間が受け入れる認識が異なるそうです。

言葉を慎重に選んで相手とコミュニケーションを取らないと憎しみの連鎖に?

日本でも仏教の「五色(ごしき)」から「十人十色」とも呼ばれてます。

人間は、個人個人でレベルが異なる人達が、共通の時空間に電磁波みたいに共存している。

これが真実。場の量子論の数ある内の一つです。

レベルの階層は「パワーか?フォースか?」の本で計測可能に2023年時点でなっています。

(完璧?罪や恥の意識)

これによると、この世に完璧な人間は存在できない根拠は、もし、あなたが、完璧で完全なら・・・

輪廻転生のカルマから外れて人間として再生する道理はないからです。

あの世の人になって、この世からの旅立ちをしてしまいます。つまり、何らかの形で死をむかえます!

ので完璧で完全は無意味なので自分以外には押し付けず自己責任でどうぞ。

仏教では、解脱とも言われます。

ブッダも「ほどほど」を説いているのが何よりの証拠でほどほどに。

詳しくはアビダンマに書いてあります。

近代になると完璧で完全な死を迎えない機械が登場したため操る法人、国家が人間を滅亡、死に追いやるカイヨワも言うナショナリズムが出現します。

対策は、カントの書籍「永遠平和のために」思想も含めて国家や権力者は透明性を究極にして個人のプライバシーも考慮すること。

前提として、公人、有名人、俳優、著名人は知名度と言う概念での優越的地位の乱用を防止するため徹底追跡可能にしておくこと。

(仏教の解説)

これによると、800の数値を超えている真言宗の開祖、空海。700くらいの数値を示している禅宗の開祖、達磨大師だそうです。

大乗仏教経典の基盤を構築したシャンカラも近い値を示している。

当時、ブッダの根本的な教えは1000近くの数値を示していたが・・・

達磨大師、空海の時代にはこの数値になり、お寺の皆様の精進でありがたいことに日本では現在も維持され続けています。

アビダンマも高い数値を示します。

神仏習合により、日本全体が400近くの数値を示していることと無関係ではなさそうです。

そして

モルフォジェネティックフィールドと「キリング・ホライズンは量子の重ね合わせをデコヒーレンスする」から

モルフォジェネティックフィールドによって時空に波動性が記録されていく可能性があるなら

それなら強烈な波動性の感情も時空に記録される?梵天に?

つまり、銀河系の中心にある大質量ブラックホールに?

しかも、感情は形ある人間にしか発生しないので他の動物は共鳴しない仕組み?

ブッダの言うように人間の「パワーか?フォースか?」の本でのパワーレベルを上げて

自ら変わることで良い感情と共鳴しないと憎しみの連鎖も変わらない?終わらない?

(不道徳と道徳)

これによると、意識レベル700以上の人達が語られる内容はすべて普遍真理に関すること。

意識レベル600を超えると「エゴを取り上げて脳内でおしゃべりするマインド」は最小化して停止に近づいていきます。

その代わりに仏教で言う「無心」が機能し始めてくるそうですが・・・個人的にはアビダンマに書いてある「阿羅漢」の領域に近い感じです。

多神教である仏教はヴィパッサナー瞑想法で最下層レベルからでも到達できる方法をブッダが発見しています。

詳しくはアビダンマに書いてあります。しかし、実践は歴史あるお寺で聞いて学んで精進して下さい。

200未満の数値は、多神教では地獄の様々なレベル。一神教では低次元のアストラル領域。

200から240未満の数値は、多神教では人間界。一神教ではくつろげるアストラル領域(天国の入り口)

240から500未満の数値は、多神教では人間界。一神教では高次元のアストラル領域(天国が見え隠れする)

500から600未満の数値は、多神教では人間界。一神教では天国の持続的なアストラル領域。

600以上の数値は、多神教では天界。一神教では天国の高次元なアストラル領域(限界はない)

話は変わりますが、これによるとヨーロッパは紀元前2000年頃、同じシュメール文明と比較して小麦の収穫高が数十倍足らなくなる地政学的な不毛地帯。

つまり、世界の地域で唯一最も過酷な場所なため、その日暮らしの生活を強いられ、自らの心と向き合う時間もない状態。

人類でスピリチュアルに一番目覚めにくい地域がヨーロッパで「神学」という一神教の形でしか学ぶ余裕がない背景があるそうです。

個人的には、人間(じんかん)万事塞翁が馬?

自国の環境が過酷だからこそ、銀行や金融、貿易に頼り発展した可能性も?

何が幸福で、何が不幸か?この瞬間にはわかりませんが、ブッダも言うように善行為を貫けば人生何があるかわからないのも真実。

(クリシュナのヒンズー教、サッカーの数値について)

これによると、おおよそ一万年前、クリシュナの教えによって生まれたのがヒンズー教。バラモン教は前身。

ヴェーダ聖典群は、970の数値で計測されて、それは、ホーキンズ博士の著作群が登場するまで人類最高峰のレベルにありました。

個人的には、ホーキンズ博士の著作群が一つ増えたことで多神教圏だけでなく一神教圏からも悟りの道に到達できるようになりました。

これによると黄檗(おうばく)禅師は、晩年980の数値レベルに達しますが、著作は850の数値です。

スポーツの分野では・・・

サッカーそのものは、あらゆるスポーツの中で最高の450の数値を示し、サッカーワールドカップは490の数値を示します。

まさに、人類の理性の結晶です。

個人的には、サッカーワールドカップが開催すると世界中がオープンマインドな良い感覚に包まれるのも腑に落ちます。

良い感覚以外にもこのように深い理由があるのかもしれませんね。

(何もかも手放す? - エピソード8でも一部書いてます)

これによると、日本の神社の神域あたりは500から600の数値を示している。

神社から引き上げていただいた領域を離れると本人が本来持っている数値に落ちてしまうそうです。

日本の国会議事堂がパワーの高い場所にあるのは偶然ではない可能性は高いし、離れると不祥事を起こすのも偶然では無いのかもしれません。

500から600未満の数値は、多神教では人間界。一神教では天国の持続的なアストラル領域。

また、ホーキンズ博士は、人類全員を救うことは不可能と・・・

なぜなら、200未満(199以下)に埋没されている人達にはインスピレーションもイントゥイションも降りてこないから!

個人的には、自ら自立的に判断できないため社会システムのサポートに頼らざるを得なくなる?

ジョンロックも当時、似たような啓蒙思想を提案しています。

200 未満(199以下)の数値の人々は、無知で悪性な傾向に陥りやすいため、資本主義システムと言う目覚めさせる手段としての荒々しい教育的指導が必要?とも見える。

200以上の数値の人たちのように自らできれば良いが、人間は弱いもので・・・

カイヨワのいうようにシステム内で弱者に対する生贄を生み出す欠点もあるが・・・第二次大戦後は基本的人権も創設されて

自堕落な傾向を株式法人に属することで競争原理な仕事という形で善性に荒々しくも戦争を回避しつつ

ゆるやかに強制転換させる人類が考えだした知恵かもしれない。

200以上の数値の個人たちに関しては、国家や行政府が、もう一段上の特別な保護をし、年収保障も特別に保障することも含めてエピソード8へ。

(争いの無くならない理由、自分自身のインスピレーションのコントロール)

これによると、人類から争いのなくならない理由は意識レベルの違いで、意識マップの底辺からトップに至るまでの人々が同時に生きているためとホーキンズ博士は述べています。

200と500と600のアトラクターなエネルギーフィールドの数値の壁は、言い換えると、日々の常識は完全に違います。

常識は、意識レベルに応じて解釈が異なるため、争いは起きるといえます(法律で基準や定義を明文化すれば良い)

200 未満(199以下)に埋没している方々は、自分の利益を守るために言葉による誤魔化しは、日常的です。だから法律が創設されました。

200以上の方々は、嘘をつくと地獄界へ落ちることにうすうす気づいているため、200未満の方々とは、完全に常識の違う人生を送ります。

しかし、ジョンロックから人間は自然の中では一人では生きていけないので社会システム内でコミュニケーション対応する必要があります。

200 未満(199以下)の方々は、インスピレーションを受け取れないため、言葉による誤魔化しを平気で行えるし正当化するということ。

ゆえに、200 未満(199以下)の方々は、200以上の方々を疎んじ、その行動は「逃げる」か「争う」かのいずれかになり、仲睦まじく親交を温めるということは困難が伴います。

科学的なデータで共通言語の数値化ができるようになる1600年代まで、有史以来、人類はごく「わずかな期間」を除いて戦争で人を殺し続けてきました。

その「わずかな期間」とは、ホーキンズ博士によると、なんと飢餓や伝染病が地球全体に蔓延していたためだとか・・・。

そういう訳で、人は元気になると争う傾向に傾きやすくなります!だから、アダムスミスの資本主義システムで競争してもらい善性に転換させます。

人類の使命は、生きとし生けるあらゆるものとの共栄共存であるにもかかわらず、争いが絶えないのは、その「常識」の違いにより相互不信に陥るためということ。

世界三大宗教は、必ずそのスピリチュアルのベースとして共栄共存を説いているにもかかわらず、何故か、その反対の争いの種になっています。

あなたは、その理由をご存知でしょうか?

人類は、基本的に瞬間的にでも600の数値を超えなければ真偽を自ら見分けることが出来ないためです。

法律でサポートするも刑罰を与える一時的な解決で根源的な解決にはならないが、解決する場合も多々ある。

そのため、例えば1,000の数値に達したクリシュナ、ブッダ、イエス・キリストと、ゾロアスターの教えを、正確に理解出来ず、年月を重ねれば重ねるほど、次第に真実レベルを下げる結果となったためです。

特にゾロアスターの教えは、完全に失われています。

そのような人類の限界のある理性においても、ヴェーダ聖典など、一部のものはオリジナルのレベルを保ち今日まで受け継がれていることは、驚異的なことと言えるでしょう。

インドのカースト制度は、現代にそのオリジナルの教えを伝承するために必要不可欠なものであったと言わざるを得ないかと。

ブッダはカースト制度への反論として仏教を創始し、サンガで現在まで維持しています。詳しくは歴史あるお寺で聞いて下さい。

その後、バラモン教は、ヒンズー教になり仏教とも融合しています。

それから、瞬間的にでも500の数値以上で、人は初めてイントゥイション(直観)するパワーを持ちえます。

それはすなわち、物事の本質をデータや散漫な思考を用いずに・・・

先に直観で把握するパワーです(むやみに発言すると、バカにされる現実がありますのでご注意下さい。ロジカルシンキングでプロトコルを整理できる訓練が必要)

現代では、後からデータで直観の正しさを理解できます。

しかしながら、そのレベルに達している方々は、人類のわずか4パーセント。

この人達を現在の社会システム内に補助的に加えて・・・世間中央値の年収を生涯保障して

正当性がなくても権力トップへ特権的に優遇し自動的に引き上げる国家システムを創り上げた方がいい根拠にもなります。

自然の産み出した天然の選挙システムみたいなこと。弱者に対して尽力してくれる可能性は高い。

「(アトラクターなエネルギーフィールドによる)天網恢恢。疎にして漏らさず」とも言う。

ゆえに、残りの96パーセントの方々は、例えば、聖書を読み、仏教経典を読み、どこが間違いか、どこが嘘かにデータなしではすぐ気づけません。

ゆえに、熱心な信者は、聖書などは、政治的思惑で加えられたプロパガンダな箇所を鵜呑みに信じてしまうなら、当然意識レベルを上げられない状態に陥るということ。

愚民化政策の根拠?まさに、宗教の多くが、人々の救済に役立てなくなった理由は、そこにあります。だから、政教分離なのです。

まして、個人が、真偽を見極める能力は、瞬間的にでも600の数値を超えねば基本的に手に入りません。

現在はTEDボブサーマンの言うように善性情報のみを検索で抽出整理されたインターネットでサポートされ底上げされます。

Googleの初期の理念ですが2023年の現在では歪んでます。

さてキネシオロジーの真実レベルは、安定して605であることこそ、そのことを証明しています。

ゆえに、人類から争いはなくならないのであり、あなたは、常に謙虚であるべきなのです。

日本の神社の神域あたりは500から600の数値を示しているのも関係がありそうです。

最後に

現実との違いに戸惑い、子供の頃から理由も分からず毎日降ってくるインスピレーションのコントロールに苦労してましたが・・・

これらは社会に出て働き学び、己を磨いて苦心の末に自己流で編み出した独自の方法でコントロールが可能になりました。

(答えを即答?)

これによると検証されたノーベル賞級サイエンスの理性や論理の真髄は400付近の数値を示すそうです。

400の数値の壁を越え500の数値に至るには、ノーベル賞級を通じて基礎や土台にはするけど、真髄に固執しないようにすることも大切らしいです。

古代ギリシャや古代中国の諸子百家などの知の集積は400から600の数値の間にあるそうです。

小さい古典力学の真髄に固執せず量子力学の黎明期の物理学の巨人達も東洋哲学に注目していたし、ここに何かの糸口がありそうです。

数値を測定している再現性のあるキネシオロジーテストの真実レベルは、安定して605の数値になります。

(このユニバースで起きてること - エピソード10でも一部書いてます)

奇跡や偶然や突発的に見える出来事のように見えるすべての出来事は、アトラクターフィールドのエネルギーパターンの通りに展開します。

あなたがどのアトラクターフィールドのエネルギーパターンに選択し合わせるかで、すべてその先の出来事が展開していきます。

あなたの周囲の生物も瞬間ごとにいずれかのアトラクターフィールドのエネルギーパターンに選択し合わせていて

あらゆるレベルのカルマにも影響を与えているためだそうです。

カルマはあなた個人のみならず家族、親族、一族、友人、同僚、地域、仲間、親族、国家、民族、信仰など、あらゆる人間関係があるレベルに存在します。

例えば、あなたの目の前に偶然、腹の立てている人間が見えているなら、それはあなたそのもの。無意識に共感しています。

つまり、あなたを怒らせる人は存在せず、あなた自身が怒りのアトラクターフィールドと無意識に繋がり、怒りのエネルギーパターンと同調しているだけという普遍真理が目の前に存在するだけ。

ブッダによると、あなたがその人を引きつけているだけです。

エピソード10でも言ってるように「人間(じんかん)万事塞翁が馬」のたとえから・・・

現在のあなたの状況は「あなたの属している国家や人間のレベルが全てちょうど良い。死ぬ日もあなたにちょうど良い。全てがあなたにちょうど良い。」

ともブッダは優しく言い表しています。大蔵経の一部で観自在菩薩とも日本では言われています。

人間(じんかん)を通して仏(ほとけ)が目の前に瞬間、存在し具現化しただけ!です。

現代では、人間(じんかん)つまり、公助の国家システムが足りないのか?企む業である法人が企んで生じてるのか?個々の言動からくる自助なのか?

「人の悪口ばかり言っている人は、悪口ばかり言うちょうど良い友人が集まってきます。嬉しい、楽しい、幸せと言う人はそう言う人が集まってきます」

人間は、個人個人でレベルが異なる人達が、共通の時空間に電磁波みたいに共存している。

これが真実。場の量子論の数ある内の一つです。

レベルの階層は「パワーか?フォースか?」の本で計測可能に2023年時点でなっています。

(意識はあなたの身体の中にはない?)

これによると・・・

ディラック方程式は455の数値。

アインシュタインの物質とエネルギーは等価は455の数値。

ハイゼンベルグの不確定性原理は460の数値。

量子力学は460の数値。

シュレーディンガー方程式は455の数値。

シェルドレイクの形態形成場は455の数値。

ストリング理論は460の数値。

量子重力理論は460の数値。

を示しています。

個人的には

「この世」での定義で「あの世」と呼ばれている何かは数値化できないため

老子は「言葉で表現されてるタオは、普遍のタオではない!天と地が出現したのは、名づけ得ぬ何かだからだ!」

と言っていますし、創造的起源と言うべきか?存在しない「何か」はなんなのか?現代では科学的に定義が必要。

240から500未満の数値は、多神教では人間界。一神教では高次元のアストラル領域(天国が見え隠れする)

500から600未満の数値は、多神教では人間界。一神教では天国の持続的なアストラル領域。

600以上の数値は、多神教では天界。一神教では天国の高次元なアストラル領域(限界はない)

あの世までは数値化できないが、手前のサンスクリット語でいうパーラミター(彼岸領域)までだけど・・・

「パーラミター」は「波羅蜜多(はらみた)」とも言います。般若心経です。

アビダンマにも書いてあるように・・・

社会システム内では、良いカルマに導くため、警察が取り締まるのは、ある程度は良いカルマに繋がれば良い。医者も良いカルマに繋がれば良い。

しかし、地獄道や畜生道など不幸なところに入り生まれた生命が早く死ぬのは「良いカルマが入って早く死なせてしまう」とブッダは言います。

「天命が尽きる」「天に間引かれる」とも言われます。すべてを救うことは難しいけど、社会システムで生活を底上げすることは善性に沿います。

カイヨワも言うように、テロや無差別殺傷事件犯を差別的に生贄にする監視社会システムに問題があります。

それは警察が、隠蔽しない前提で、いくら合理的に科学的にアプローチしても説明のつかない事象は良いカルマが入り死なせてしまうから。

医者が、意図的な医療ミスをしない前提でいくら治療しても回復せず亡くなる事象もそうで「寿命」と古来から概念が多神教では確立しています。

ジョンロック?社会システムが無い状態での寿命を基準にして長い短いを判別すれば、現代人は長い方です。

子供を授かるのは悪いカルマ?警察が勝手な思い込みで判断する余計な介入の方が悪いカルマかもしれません。

あらゆる人々の過去のカルマは無量です。常識的に言えば、200未満(199以下)のパワー。つまり、悪いカルマの方が大半と観た方が良いのです。

人々は、やむなく不注意に生きてしまうことで、過去の悪いカルマを他人と共感したがる脳の思考プロセス上の構造も拍車をかける要素になりやすいことも原因の一つです。

もちろんワザと悪いカルマを自らけしかけて他人にもちかけても無駄と諌めています。ブッダの言うように「八正道」を根拠にした「中道」をどんな状況でも貫くことです。

因果応報。ブッダが解明した「本当の幸せ」にも関係して来ます。詳しくは、お寺のお坊さんに聞いて下さい、

アビダンマでは、「阿羅漢」が個人の最高段階なため、不善心なく良い思いのエネルギーで助けてあげれば、あなたに与えられる公徳(善業のエネルギーの強さ)が大きくなると語られています。

この書籍で言う「パワーレベルの高い人達を不善心なく良い思いのエネルギーで助けてあげる」とも解釈できます。

大乗仏教でも「徳の高い人にお布施をすると徳が高くなる」と言う表現をしています。

一神教中心の外国の世界では、ミレニアム以降の社会実験により、税金も社会システムへのお布施など・・・テーラワーダ仏教のお布施の概念に近づきつつあります。

また、お布施はお金だけでもありません。

「阿羅漢」「ブッダ」「正覚者」はすべて同じ意味です。

当然、二元論のフォースはびこる現代では・・・

逆に、「パワーレベルの高い人達を不善心で悪い思いのエネルギーで助けてあげない」とどうなるのか?気になりますよね。

それは「瞬間瞬間に悪いカルマが積み重なるだけ!」になります。

一神教では、地獄へ!多神教では、現世では人間界でも畜生界や地獄界に落ちてしまいますよ。

「天罰がくだる」とも。古今東西から伝承されてることです。

宗教くさいなら科学的に場の量子論で事象を説明すると・・・

良いカルマも悪いカルマも発信した波長や行動が、地球内で反響して時間をかけて発信者自らに跳ね返ってくるだけ!です。

たとえ他人にも発信せずだれも見てなくても自分が見てるから脳を経由して梵天に生命エネルギーや時空間単位で瞬間瞬間にアーカイブされていきます。

ここまで不善心なく良い思いのエネルギーで読んで頂いた読者には簡単にわかるたやすいことかと思います。

<提供>

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