『救い』
結局残業して今帰りました。毎日児童との戦いで心が荒んでいる私です。
最近は、統制を取ることにばかり注力して、こんなことやりたいんじゃない、でも気を配る部分が多くてままならないっ…!そんな気持ちでいっぱいです。
そんな中、今日の放課後は参観日の教材研究のために学年長と教材室へ足を運んだのでした。
職員室へ帰る途中、学年長からこう言われました。
「うちのクラスのMくん、すごい良い子だよね。昨年度は梵先生のクラスだったでしょ。」
そう、とても良い子なんです。
そうですね、と彼の笑顔を思い浮かべて、心がほんのりと温かくなる思いをしていると学年長が一言。
「先生(我)が育てたんだよ。」
ふわっ、と心がすくいあげられる感覚がしました。
そして、ふと昨年度の自分を思い出しました。
初任はしんどかったです。校内初任者担当とは合わないし研修日誌も面倒だし、まずもって何がなんだかわからない、何がわらがないかもわからない。見通しも持てないし書類も何を捨てて何を保管すべきかわからない。机はいつも泥棒が荒らした跡のよう。
だけど。
今のように気張ってリーダーシップを発揮していませんでした。クラスをまとめることよりも、ただただ児童の良いところを見つけようと奔走していました。その方が楽しくて生きている世界も優しくて、悪いことばかりではありませんでした。
今はどうだろう。
高学年というプレッシャーから統率ばかり気にして彼らの中身なんて見れていません。いつも切迫感を感じているため、彼らとの時間を心から楽しみ彼らの喜びを純粋に自分の喜びに変えることなどできなくなっているのです。
にこにことした心の温かいつながりは、どこへ消えたのでしょうか。ナメられないように虚勢をはること。優しさを見せれば試し行動をされて崩壊に繋がるかも、と厳しく接すること。児童の目線に立つと友達だと勘違いされるかもしれないと恐れること。反抗する児童に負けまいと学校の決まりを振りかざすこと。駄目な理由を教えるにも理論でバッサリと切り捨てること。本来の自分はこんなに意地悪ではないはずです。何も知らぬ初任のほうが、よほど何にも汚されることなく純粋に児童を人として接していたと感じます。
Mくんの顔とせんせぇってクネクネしながら迫ってくる姿を思い出し、Mくんの声で脳内再生されるのです。
「大丈夫ですよ!先生、何とかなりますって。」