Laboの男49
Labの男49
生い茂った樹々の間から漂う霧
また明けきっていない朝もやの
シーズンオフのスキー場
まだ雪のないゲレンデに素足の2人
上下黄色黒ラインのジャージの男に
ノーブラタンクトップにジーンズの女
まずは朝の瞑想からスタート。
樹々のいぶきを吸い込み細胞へと拡散
体の隅まで生気を行きわたらせ
しばらく息を止める。
ふぅ〜〜っ無心で体に意識を合わせ
肺にある空気を吐き出せるだけ吐ききる。
手のひらは表向きに深呼吸の姿勢をキープ
瞳を閉じたまま、ただそれだけを繰り返す。
どうやら、モウレツ来栖のしごき教室は
本日が最終日になるようだ。
「ジョン!よくぞこの短期間で
これほどまでに
仕上がったと我ながら驚いてるよ。
ここまで器用貧乏な奴も珍しいな」
「来栖さんの的確な指導の賜物です!
ありがとうございました」
「今日は最後に私との組み手で
どれほど身になったかを確かめてやる。
私史上、お前は最も運動オンチだが、
伸びしろに驚くべきモノがあった。
これからも日々鍛錬していくといい」
「では、いくぞ!」
来栖は腕を組んだ状態から軽く脚を開き
目の前に指を軽く開いた状態で
右腕をゆるく伸ばすその先には万次郎
対角線上に開いた状態の手を伸ばし
来栖の手の甲に当たるか当たらないかで
手首辺りでクロスする。
始まりは阿吽の呼吸 はっ!
動いたのは万次郎
そのまま手を伸ばし右手のひら
相手の顔を覆い隠すように
来栖に見えない様に視界を遮る
「はっはは、いぃ〜ねぇ」悠長に笑う来栖
そのまま空いた左手を瞬時に走らせ
ボディーにねじ込もうとする万次郎
常人ならキレイにボディーをもらったであろうが
なんなく、来栖はしっかりと空いた手で受け止め
不敵にも拳をギリギリと握り締めている。
「痛いいたい痛いっ!」と言いつつも
目隠ししていた手を折りたたみ瞬時に
来栖のこめかみへ最短距離を
サイドから肘鉄をお見舞いする万次郎。
それも肘鉄で軽くいなす来栖
ギリギリギリ万次郎の拳が悲鳴を上げている。
不意に握り締めていた拳を放し来栖は
ゆっくりと輪をつくった中指が目前に
万次郎の鼻をビシッ コンパチ
のけぞったところに合わせる
来栖の左ハイキック。
万次郎は、かわされた肘鉄をなんとか
右頭まで持ってくる。
ガードしてるはずの腕が鉄パイプで殴られた様な
衝撃と共に身体ごとブッ飛ぶ万次郎。
ズサァーーッ 左脚は上がったままの強烈な体感
不機嫌な唇は含み笑いを浮かべ
「いい〜センスだな」
ご満悦のアイアン来栖
「次行くぞ」
大胆に上がったままの脚を地面にゆっくり下ろし
手のひらを上に人差し指でこいこい。
体制を立て直して再び互いの右手をクロスする。
ふと目線を上空に向ける万次郎
ん?来栖が目線の先を見たのを確認して
不意を突いて右のミドルキック
それに合わせて左脚を曲げてガードする来栖
「不意打ちが効くのは1回だけだぞ」
そのまま右脚を抱えて
万次郎の軸足を刈ろうとする。
察してジャンプいちばん万次郎は
軸足で来栖の顔面めがけて蹴るが
難なく来栖はスウェー
引いた顎先をかすった頃には体重を左方向へ
右脚をガッチリホールド掴んだまま左へ
勢いをつけて振り回す。
ジャイアントスウィング
1回転半180度反対方向へほり投げる。
ズサァーーッ
来栖は首をかしげたまま人差し指をクイックイッ
姑息な不意打ちもなんのその
万次郎は体制を立て直して再び来栖の前に立つ。
構えの右手を差し出す。間髪入れずに万次郎は
クロスした右手をそのまま真っ直ぐに
顔めがけてストレート
かわされてすぐさまに切り替え右手で
ジャブをワンツーこれは囮【デコイ】だ
空いてる左手を来栖のボディーにあてがうように
中国拳法の寸徑【すんけい】の要領
脚でしっかり大地を掴みノーモーションの
超至近距離からの拳に体重を乗せ
脱力からの背中全体で瞬時に押し出す。
ドン
見事、来栖のボディーにヒット
驚きを隠せない表情
珍しく少し足が後ずさっている。
「ジョンは、独特のリズムを持っているな。
これがモノになったらいい武器になる」
「まさかそんな洒落たパンチ放ってくるとは
面喰らったな。コレは一本取られた。
火力はまだまだだが、ヤルじゃないの!」
「知ってたのか!」『ワンインチパンチ』
中国武術では視覚で捉えがたい妙技を
「無影」と形容する。
ごく接近した距離から僅かな動作で放たれる寸勁
まさに目には見えない
察知不能の無影打法といえる。
今だに動画サイトなど映像で見ることが可能な
デモンストレーションにより
一躍有名となった
ブルース・リーの代名詞とも言われる
「ワンインチパンチ」
わずか拳一つ分、空けた状態より
拳を加速させる距離なくして相手に効かせる
「寸勁」は、中国武術をはじめとした
多くの武術が養成し用いる力の運用法の一環
であり古くから考案され伝えられてきた
必倒の「近接戦闘術」である。
必要なものを取り入れ、不要なものを捨て去る
ジークンドー創始者ブルース・リーの理念を
象徴したような技だ。
トレーニング、指導なしの
感覚だけでやってのけた万次郎
ブルース・リーがやっていた古い映像イメージ
そのまま偶然やれた。
髪を後ろにほり投げるように払い笑顔の来栖
「足技が大味の割に手先は器用みたいだな。
寸頸は感覚的なもの。
ジョンの発想は独特だがいぃ〜センスだ。
教えられてできるもんじゃ無い」
「OKっ!新たな課題だ。
これをモノにするまでしばらく特訓だ!」
しまったっ!って顔をする万次郎
【あれっ?ちょっとレッスン
増えちゃってんじゃん!
なんか来栖さんのスイッチ入っちゃった?
extraラウンドに突入しちゃってるし、
参ったなぁ】
まず手のひらを開いて縦に
手刀の中指の先を軽く私の腹に当てる。
それまま指を曲げて拳を作る。
この距離から殴るトレーニングだ。
「さっき無意識にやってた
地面を味方に足から腰、背中にかけて
力を伝える感覚だ。構えるんじゃないぞ。
脱力からの瞬発力だ」
「ごはぁっ!」
バカ野郎っ急にかますんじゃねぇ
さっきよりも体重が乗ってるな、いいぞ。
その調子だ。よし来い はっ! いいぞ はっ!
もう一丁 はっ!だんだん良くなってる。
よし、今度は手本見せるぞ。良く見ておくんだぞ。
万次郎の腹の前に伸ばした中指を軽く当てる。
指を曲げ拳を作る
「じゃ〜いくぞ!」
「フン!」
万次郎は目を見開く!動作がまったく見えない!
ドン かはぁっ!
ワンテンポ遅れてきたような衝撃
腹から搾り出された声
声を置いてけぼりに2mは、ふっ飛ばされた。
なんて重いんだ、体内で何か爆発した感覚だ。
腹を押さえて片膝を立てる万次郎。
「さすがにコレはこたえますよ。
ブルース・リー超えてませんか?
相当のハードパンチャーですよね来栖さん」
と言って無意識に腹をさすっている。
「存分に余すことなく
力を乗せることが出来れば
ざっとこんなもんだ。
あともう一息の所まで来てる。
もう少し脱力を意識しろ」
さて、今度は応用編だ。
両手を顔の前に誘導する来栖
しっかりと両腕全体でガードしてるんだぞ。
目の前で両肘を立てて顔を覆う。
腕の隙間から、うかがう万次郎。
ちょうど握り拳ひとつ分がワンインチ
丁度握手を求めるような仕草
中指をガードした腕に当てて握り拳を作る。
しなやかな上半身から
繰り出されようとしている説得力のある背中
しっかりと両足を大地に腰を据え
震脚【しんきゃく】爆発的な力が足元から連動
右握り拳は胸の前辺りに腕は軽く曲がっている。
「いくぞ」
ドン ドン ドンドン 初動から遅れてくる衝撃
【なっ!何撃喰らわしたんだ?】
インパクトの瞬間に脱力、次の打撃を反対の手で
放った後は最後に右手で再びの2撃
「ちゃんと見えたか?」
「衝撃で4発出てたのは
かろうじて分かりましたけど
全然、見えなかったっス。
なんで?衝撃が逃げないんですか?
しっかり体内に入り込んで来る感じは?」
「それは身体が水の入った袋であると
イメージ出来ているかだな。
要はニンゲンなんて、
肉の詰まった血袋なんだ。
水の中に力を流し込むイメージが大切で
後はカラダ表面を叩くんじゃなく
撃ち抜くって事だ。上手くできれば
相手には衝撃が遅れてやってきたように
感じるだろうな」
指を2本立てる来栖
応用編その2だ。今度はジョン、打って来い。
言われた通り軽くワンツーを放つ。
一撃目のパンチを交わし二撃目を
右手でいなしそのまま首元へ
軽く手の平で寸頸を打ったあと
地面の理を利用した腰を据えた足元ドン
空いた胸元にしつかりと
縦に立てた右肘鉄を捻り込む。 「頂心肘」
がぁっ ぶっ飛ぶ万次郎
基本的には先に仕掛けた方が不利になる。
体勢の話だ。先に緊張が生まれる。
一方、受ける側は体はまっすぐ体勢は万全だ。
今のは自分から仕掛けるがその前に
相手に攻撃を誘っている。避けたと同時に
間髪入れずに寸頸。相手の身体を収縮させてから
肘鉄だ。パン パン ドン ズドン
交わして、交わして、掌底で寸頸からの頂心肘
とまぁ〜バリエーションは、いくじゅうにも
広げることができる。
ついでに「爆発的な体当たり」
身体ごと寸頸するのも覚えておくか!
互いに向き合い相手の右斜め前に左足を出す
万次郎も同じく左足を斜め前に一歩出す。
互いにクロスした状態で今度は背中合わせに
まっすぐ軸を保って背中をぶつけ合う。
1、相手の右斜めに足を出す。左足
2、ぶつける面の反対方向の手を上げる。右手
3、体幹の軸をまっすぐキープしつつ
背中合わせに相手にぶつける。
「足を一歩踏み出した後は
両足をしっかり開いて腰を据える。
いいかっ!体の軸は絶えずブレないように
まっすぐだ!」
ぶつけ合った後は足を戻して元の位置に
来栖と万次郎はお互いに再び見合った状態。
今度は逆の足を斜め前に出す。
反対側に身体を捻り
左手を上げ背中をぶつけ合う。
「1.2.3のリズムでお互いに上半身を捻って
背中を当て合うんだ。しっかり腰を据えろよ」
右をすれば左と交互にしばらくリズミカルに
繰り返す。
「よしジョン、今度は5割の力で打つからな。
踏ん張っておけよっ!」
ダン ドォン ズサァーーーッ
鉄山靠【てつざんこう】
八極拳の代表的な技
背中からぶつける体当たり。
正確には
「並足を揃えて膝で軽くしゃがみ
踏み出して敵の足を引っ掛けて
下方向に向かって背中で体当たりする技」
来栖の教えているのは亜流の変形技だ。
本来の「鉄山靠」は
物理打撃というよりは投げ技に近い性質をもつ。
軸が真っ直ぐ状態で移動できて
初めて威力を発揮する。
当たる瞬間まっすぐ軸を保って当てる。
当てない側の腕を上げ反体側の肩を入れ気味に
隙があるなら相手の手をはらって
腕が上がった状態の脇腹に鉄山靠。
直感の軸の取り方が全てを決める。
ぽっぽ〜っ ポッポーッ 2時間経過
軽く伸ばした右拳、腰の据えた両足立ち
撃ち抜く心意気、気持ちも重心も座ってきた。
「なかなか様になって来たな!
もう一度撃ってみろっ」
はっ! ドン ドンドン
左拳から放たれた後間髪入れず右拳からの2連撃
腹に直接受けても、なんて事なく立っている来栖
万次郎の撃ち抜いた感を養うつもりで
直接打撃をさせている。大したタマだ。
もちろん、いくらアイアン来栖といえど
タマは持ち合わせていない。
「ずぶの素人から数時間で
寸頸の連撃発動は大したもんだ!
素晴らしいぞ、ジョン」
「ありがとうございます。
感覚が段々と分かって来ました」
「これにて終了だ!ジョン」
ため息と共にもう午前中で済むはずの手合わせは
extraレッスン開催でもう夕方に近くなっていた。
思い出したように万次郎は
ポケットから取り出したクリスタル目薬
軽く振ってみると残量はもう少ししかない。
点眼しながらもうそんなに
日が経っていたんだなと
あらためて感じる万次郎であった。
拉致同然で始まった来栖のモーレツしごき教室
ではあったが何だか胸が一杯だ。
こんなに生を謳歌したのは初めてだ。
気持ちいいほどの疲れが
充実感を提供してくれている。
清々しい風が万次郎の頬を撫でてゆく。
段々と太陽がオレンジに変わろうとしていた。
来栖は黒塗りのゴツい車で家まで送ってくれた。
途中、うどん屋さんに立ち寄り遅めの昼を食べ
家に着いた頃には夕方だった。
「来栖さん、ほんと楽しかったです。
もう少しこれからは鍛えようと思います」
「そうだな、お前は明智とは違って
どんくさい器用貧乏さんだからな。
ムダに頭が暴走しちまったら
運動が1番の発散方法だ。
夜な夜な走ったりするのも
いい足しになるだろう」
「今日は家でゆっくりします。
ありがとうございました」 「おぅ、またな」
走り去って行く黒塗りの車を見送り
ハイツ玄関へ歩いて行く万次郎。
不意に、やな予感がする。
すると玄関ポストに白い封筒が横目にチラリ。
「参ったな〜っ。見つけちゃったから
もう、持って上がるしかないかぁ」
手紙はもちろんあの娘からだろう。
「やっぱり、明日にしようかなぁ う〜ん」
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