勉強を通した立身出世の弊害
人生における成功とは、個人によって異なる。それは改めて言うことでもない。
しかしながら、一般的には、収入や地位が高い人間が成功者とみなされる。いつの時代も、どこの国でも世間が良しとする価値観です。
収入や社会的地位は、個人の能力次第で決まる。ことが資本主義経済での社会通念である。
現在の日本において、社会的な成功(以下、成功と略す。)を獲得するためにベストな方法は何か。
多くの人にとっては、
出来るだけ偏差値の高い大学に入学して、
出来るだけ有名で収入の高い企業に入社して、
出来るだけ社内で出世すること。
1番達成できる可能性が高い方法である。
勿論、上記以外の方法でも成功を収められる。
スポーツ選手、ミュージシャン、起業、フリーランス。ただし、成功の可能性が高いとは限らないため、ハイリスクである。
やはり、1970年代・80年代のような価値観を体現することが成功への1番の近道である。この事実を否定できない。
世間が良しとする価値観は、簡単には薄れない。
大手企業に入社するには、出来るだけ偏差値の高い大学に入学することが有利になる。あくまでも傾向の話。
大手企業で出世できるかは、仕事で実績を残す必要がある。出身大学は関係なくなる。
成功したいのなら、とにかく勉強しなければならない。
偏差値の高い大学に入るには、猛勉強が必須。高校時代だけでなく、小学校や中学校から沢山勉強する必要がある。
入学してからも、大学の勉強や研究はもちろん、
英語、コミュニケーション、他者との協働経験が必要。机に向かって、鉛筆動かすことだけが勉強ではない。
入社してからも、業界や社内の専門知識を身に着けなければならないし、タスク管理、マネジメント、その他諸々、勉強しなければならない。
まあ、どんな人生を送ろうと一生勉強は付き物。
勉強自体は悪者ではない。
しかしながら、
勉強が成功を収めるための手段や道具となってしまう。世間や他人からの評価への執着が勉強のモチベーションとなる。
私利私欲を満たすために、勉強することが悪いのです。
本来、勉強は仕方無く取り組むものではないし、自分の損得を意識して取り組むものでもない。
中学校卒業したら、自分の興味関心がある物事を楽しみながら勉強して、他人や社会に貢献するために知識や知見を身に着けるもの。
何十年も偏差値競争を続けていて、勉強が立身出世の手段になると、傲慢で説教くさい人間と化すことが多い。我慢・苦労の押しつけも平気で行いがち。
当の本人は、心の底から勉強したいと思って勉強してはいないから、仕方無くやってきたから、
他人や社会に対する寛容さが見られない。
権力にすがる、私利私欲な人間になりがち。
正直、こういう人間が1番タチ悪いですね。私にとっては。
生まれつきのボンボン、創業者社長、ヤクザ、チンピラ、の方が押し付けがましさが無いですね。
勉強を通した立身出世を良しとする価値観(最近の小中学校では薄れていると聞くが)に洗脳された人は、他人や社会に良い影響をたくさん還元できないんです。
お隣の韓国は、日本以上に勉強を手段と捉える人が多い傾向です。勉強や研究を楽しまない風潮が強いためか、案の定ノーベル賞授賞者が1人しかいません。金大中元大統領のみ。(日本は28人)