なぜ世の中は、人生は理不尽なのか
世の中、社会、人生というのは理不尽である。誰もがそれを身をもって知るだろう。
だがなぜ理不尽なのか?私の考えとしてはそれは社会が
戦場
だからである。
戦場といっても、もちろん暴力を互いに振るったりするわけではないし、銃を撃ち合うわけではない。
だが直接的にしろ、間接的にしろ誰かが誰かを蹴落とすことは常である。
自分が大学に合格することによって知らない誰かを不合格にする
自分が会社に内定することによって知らない誰かを内定させない
誰かを結婚相手として選ぶことによって、知らない誰かを結婚相手から外す
大金を稼ぐことにより、他の誰かを稼がせない
この世の中はあらゆる点において奪い合いである。
成功者として限られたパイがあり、そのパイを得ようと四苦八苦するのが人生と言えるかもしれない。
歴史上における戦場は当然肉体的に傷つくもの多数出てくる。社会が戦場であると鑑みれば、社会が理不尽なのは極めて当然である。そして戦場において勝とうとする者は必ずしも正当的に戦うとは限らない。時には卑怯な行為であったり、お世辞や嘘を言ったり、文字通り暴力的な振る舞いをすることによって勝とうとする者も出てくる。
そして社会という戦場において年齢に相応しい成果を挙げられないものは、徐々に相手にされなくなっていく。実際の戦場のように死ぬことはないが、社会的に相手にされなくなっていき、それによって張本人は生命的に萎縮するようになり、やがては物理的に、戸籍的には生きているが、精神的には死んだ存在になる。
今の世の中は確かに物資的に安住して暮らしていける時代である。生物的には過不足なく生きていける。だが社会的に見れば、何かしら勝たない人間は相手にされなくなる。その意味では、人生はずっと戦いといえることなのかもしれない。「我々が幸福になれないのは部屋の中でじっとしていられないからだ」というパスカルの言葉がある。承認欲求をなくし、必要最小限の金を持ちながら誰とも関わらずにいれば、案外幸福を手に入れられる。
ただ正真正銘誰かも相手にされなくなり、それは結局社会的な死となる。
生きつつも、存在として認められない。ある意味死より理不尽かもしれない。
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