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絵画

街中を歩いていると、時々絵画が陳列されて売られているのを見かける。絵は大抵は西洋古典絵画の伝統を受け継いだ(ように思える)作品である。風景画が多いような気がする。
そして大抵はびっくりしてしまう。何かというと値段にである。
本当にびっくりする。数万どころか数十万の値段が設定されているのだ。

私は絵画については素人なので細かく批評することは出来ないものの、絵画の出来ははっきり言って大してうまいとは思わない。見る人が見れば違うのかもしれないが、心打たれることはない。数千円の値段、つまり元の価格の百分の一の値段で購入をギリギリ考えるレベルである。
逆になぜこうなってしまっているのか?

ぶっちゃけ言ってしまえば売れないのだろう。まともに絵画を創作しても売ってもほとんどは売れないのだから、一枚の絵に途方もない金額をつけて高級感を出して、金が余ってしょうがない金持ちか投資目的の人間かに売って大きな利益を上げようというのだろう。
ともかく現代の美術界隈がいかに閉塞的で不健全なのか、これだけでもわかってしまう。

では日本の絵画はもうオワコンなのか、と訊かれればそうではない。
絵の分野においては日本はとてもレベルが高いと私は思っている。それはイラストである。現代の日本の絵の業界はイラストとして大いに発展している。これはエンタメ好きなら否定出来ないことだろう。イラストは美少女系が多いにせよ、つい心打たれてしまうようなイラストがゲームやアニメ、それに準じる所に多々ある。例えば『スマブラSP』の何気ないキャラセレクトの各キャラのイラストも私はレベルが高いと思っている。そしてこうしたイラストレーターは商業主義なものとしてしっかりと金は払われていて上の西洋古典のものに比べれば健全なのだろう(もちろん成功するのは難しいだろうが)。

私が最近内容を全く知らずにイラストだけ見て心打たれたものとしては

メメントモリ

18禁のアマカノ

である。

適当にいいゲームないかサイトで探していて目に入っただけだが、ここまで絵のレベルが高いのかとびっくりしてしまった。はっきり言ってしまうが、数十万する西洋絵画的なものとは全くレベルが違う。
上にあげた二枚の絵画より、美術店で売られている数十万円の絵画の方がレベルが高いと考える者は、そっちの方が「古典的だから」(逆に上の二枚は「大衆的だから」)という理由以外ないだろう。

これはおそらくクラシック音楽と現代の3、4分で終わるカジュアルに聞ける曲との関係性に似ている。
クラシック音楽は一部の人間が「観賞用」として聴き、時には「教養」としてどこか我慢して耳を傾ける。それらはまだCDが買われ聞かれたりするだけはマシである。今後新しい交響曲やら協奏曲やらが発表されたとしてもほぼ話題にはならず、速攻で忘れられていく。
だが人々が好むのは後者の現代音楽であり、今後もそれが発展していくことだろう。

絵画も同じである。時代はもっとカジュアルなイラストに移った。レンブラントやフェルメールやモネは今後も見られていくだろうが、新たな西洋絵画的なものが描かれたとして買い手はおらずすぐに忘れ去られていく。芸術もまた市場原理が働くのだ。

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