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人の成否を分けるもの
世の中というのは格差だらけである。持っている資産は各々異なっているし、成功して自分の名を馳せている者もいれば、全くうだつの上がらない者もいる。
では人のこう言った成否を分けるものはなんだろうか?
そのわかりやすい一要因としてはその人間の持っている能力があるだろう。だが私はそれが成否を分ける決定的な要因だとは思わない。世の中には高い能力を持った人間は多数いるが、その人間のかなり多くが全く平凡に生きている。社会的にはあまりよろしくないような生活を送っている者もいる。IQが120だと高いとされるが、IQ140や170とか非常に高いIQを持っている者も全く月並みな業績しか出していない者は多数いる。
あるいは生まれ持った家庭環境だというのも一要因として考えられる。だが資産をたくさん持った家庭で生まれた者も、生活としては余裕ある暮らしができるかもしれないが、必ずしも頭角を現して成功できるわけではない。むしろ余裕ある暮らしをしていることで、逆に牙が失われ、お坊ちゃん的に生きている者も多数いる。
では人の成否を分けるものは何か?
それは「意志の力」である。
この意志の力というのは「根性」や「気合い」とはまた別のものである(ある程度共通した要素ではある)。
意志の力とは必ずしも高徳なものとは限らない。自分は絶対に成功させてやろう、成功して自分の名前を轟かせてやろう、偉そうにしているあいつらをギャフンと言わせてやろう、いい暮らしをしてやろう、そういったもので、野心と言い換えてもいいかもしれない。
人間の能力は確かに差異はあるものの、それでも十倍程度の差しかない。それに対してこの意志の力は百倍、千倍、万倍もの差をもたらす。
「停滞は退化」という言葉がある。世の中は目まぐるしく動いていて、自分は足を止めているだけのつもりでも、あっという間に追い抜かれていくということだ。これは実際にその通りで、三年間停滞しているだけで、随分と追い抜かれてしまうのが今の世の中である。二人の能力のさほど変わらぬ人間がいて、片方は意志の力で色々と挑戦して失敗を繰り返しつつ過ごしていき、片方はただ会社で言われただけのことをして過ごしているとき、三年もすれば相当な差ができる。十年ともなれば絶望的な差が出来上がってしまっている。
なので「意志の力」を持て、といえば綺麗な教訓となっていい感じにこの記事は締めくくられるが、そもそもこの「意志の力」は持とうと思ってもてるものなのかは甚だ疑問である。一時は持てても、年単位で持てるのかどうか、私にはわからない。
成すことは困難ではない。欲することは常に困難である。成すまでに欲するまでは。