感情が抑えられへん。

 パニック障害になった後、後遺症というか、これまでとはネガティブに性格が変化するという事は、比較的よくある事だというデータがあるというのは、病気について自分なりに色々調べて知っていた。

 ただ、実際に自分がそうなるとは思わなかった。僕は自分から申し出て降格したとはいえ、もと役職就きの正社員。そして既にベテランと呼ばれる程の年数働いており、他の職員よりも仕事が出来ていたし、やってきたと自負もあった。そして、休職明けの復帰。色々な優しい言葉を現場の職員の皆さんから掛けてもらって、凄く嬉しかった。

 ただ、想像以上にブランクは大きかった。
介護施設の利用者の方々は、結構頻繁に入れ替わる。長年おられる方も勿論いるが、そういった方もふとした事で一気に状態が変化したりもする。

 復帰してまず、知らない利用者の事を覚え、既存の利用者のケアについても、変化があるところを覚えながらなんとか働いた。
ほんまに必死で働いた。

 ただ、僕は復職の際に、職場ともしっかり相談して、しばらくは、少し業務負担については配慮して頂きたいたいう事を伝えており、上司からもそれについては、当然といわんばかりの勢いで了承を得ていたはずなのに、復帰してからすぐ僕は、誰もが嫌がる過酷なポジションでの勤務を連日入れられた。
 
 今思えば、人手不足が顕著な施設だったから仕方ない事だったとは思うし、以前の僕なら多少愚痴はこぼしても、他の職員に気を遣わせないように配慮はしていた。

 ただ、当時の僕は本当に感情が不安定だった。なんとか必死でこなす事が精一杯で心のゆとりも無かった。だから僕は、元々仕事の出来ない職員や、後輩職員に八つ当たりをしてストレスを解消した。どう考えてもパワハラだろう。
 
 「はぁ?まだそれ終わってへんの?何してんの?」「なんでそんな無駄なやり方してんの?もう良いわ。俺やるから、自分もうなんもせんで良いから片付けしといて。」
「もう何もやらんで良いよ。俺やるから。」「自分、この仕事向いてへんから辞めたら?自分でも分かってるやろ?」
目の前で舌打ちをした事もあった。
 
 僕は、イライラを抑える事が出来ず、すぐに言葉や態度に出すようになっていた。

 その上、あまりにも配慮の無い業務分担で、ブランク明けの体には過度の疲労が溜まっている事を実感し、不満タラタラの僕は、上司に直談判しに行った。その時のやりとりは、頭に血が上っていたものの、しっかり覚えている。

 まず、その上司とは休憩時間に喫煙所で会った。そしてその時に相談があるので、面談の時間を作って欲しいという事を丁寧に伝えた。

 すると「今ならいけるよ。」と言われてすぐに面談する事になった。休憩時間は残り10分あるか無いか。その時間内なら話聞いたるわというふうに受け取ってしまった僕は、まずその事にも腹が立った。
 そして、いざ面談が始まり、話を聞いてもらっているうちに段々これまでの不満が爆発してしまい、ほぼただの愚痴になってしまった。
その結果、上司の方に「そこまで言うんなら、辞めてもらっても良いよ。」と言われ、僕はキレた。「そうですか、分かりました!」そう言って面談室を出た僕は、休憩時間を2〜3分過ぎていて、現場には何の連絡もしていなかったので、心を整える時間も無く急いで現場に戻った。

 当時働いていた施設は、僕のいた約7年ちょっとの間で僕より先輩の職員が記憶にある限りでも、10人以上辞めている。後輩やパートの人は数えきれないぐらいに辞めていった。
 僕より後から入って続いた正職員は3〜4人だったと思う。それで、現場がとてつもなく劣悪な状態になっているにも関わらず、僕に対しても簡単に「辞めて良いよ。」と言ってきた。
 今なら分かるが、それぐらい復帰してからの僕の態度は酷かったのだろう。

 怒り心頭のまま現場に戻った僕は、他の職員に「もうやってられへんわ!!(上司の名前)が俺なんて辞めて良いよって簡単に言うてきよったから、それやったら辞めたるわ!もうやってられへんわ!!」と言って、その後も、露骨にイライラしながらその日は仕事をこなした。
 その日、機嫌の悪いベテラン職員に、話しかけてくる職員は誰もいなかった。

 これは、あくまで未熟な僕の実例だ。
ただ、実際にパニック障害等の病気を経験し、その後性格が。悪い方向に変化した実例は多いらしい。ほんまに厄介なもんや。
 ただ、この時の僕は、誰がどう見ても扱い難い、近寄り難い嫌な奴やったなという事だけは間違い無かった。
 

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