ターニングポイント②
寝たきりで、食事も食べられなくなった父親の在宅復帰は諦めて、僕は父親をマイホームの近くの病院に転院させた。
そして「オトンの事は俺が最期まで看取るんや。」と決意した。
オカンは施設に入って生活保護を受けている。老々介護で散々オトンを苦しめて、最後には全て僕に面倒事を押し付けられたという事もあり、オカンに対してはもう何も思わない。
主介護者は僕。唯一施設から連絡があるのは僕だけ。そして僕は施設に伝えてある。
「オカンが転倒しようが、怪我しようがどうしようが別に連絡はいらないです。命に関わる状態になった時だけ連絡ください。それ以外はどうでも良いです。」と。
そして今度はオトンが死にかけている。
「せめてオトンの最期は、俺が責任持って看取るんや。」
転職して、順調に仕事を覚えてこなしていた施設は試用期間で辞めた。そこはいわゆる従来型の特養。流れ作業の介護。何の楽しみもない終の住処。働くには良かったが、働き始めてすぐにパニック障害を再発して、父親の事で色々な手続きや実家の整理もしたり、何よりショックが大き過ぎて、まともに働ける気持ちになれなかった。結局まともにそこでは働くこと無く辞めた。
そして、父親をマイホームの近くの施設に入れて、僕もそこで働くと決めた。
父親がそんな状態になって、介護観が大きく変わった僕は、地域密着型の手厚い介護が出来る施設へと転職した。そこはとても利用者の方々に対して手厚い介護をしていて、コロナ禍にも関わらず、面会も特に制限を設けていない。その上で施設内でのコロナの感染を出していないという、僕にとっては働きたいと思える施設であり、父親をその施設に入れて看取りたいと思った。
そうして僕は、新しい施設でまた一から仕事を覚えていった。なんとかパニック障害を抑え込みながら、父親の死にかけている姿を発見したショックから少しづつ立ち直っていって、
今度こそは、ちゃんと働き続けるんや!!
そう意気込んで、仕事に打ち込み、必死に新しい知識を覚え、行ける時は極力父親の面会にも行っていた。
そうした生活が3ヶ月ぐらい続いた頃、また予期せぬ事態が起きてしまった。
父親の要介護認定の更新時期が迫っており、
病院にて、ワーカーさんと話し合いの場が設けられた。父親の快復が著しく、食事も問題無く食べれるし、頭もしっかりしているし、歩行も問題無い。このままだと要介護認定おりないかもしれません。なので、病院にはこれ以上いてもらう事も出来ませんし、自宅に戻ってもらう事になると思います。ただ、一人暮らしをされるのは不安はあります。
なんやねんそれ?!
前の病院がヤブ医者だったのか、父親の中で何があったか分からない。ただ、少し前まで寝たきりで食事も取れない状態だった人間が、要介護5と判定された70代が、こんなに快復するなんて思わなかった。正直嬉しいよりも戸惑いがあった。僕としては、ようやく気持ちの整理がついて、また転職したての状態。
そして父親は今度は自宅で生活出来るように、いや自宅に戻らざる得ない状態になってしまった。
「何でこんなに状況変わんねん。」と僕はもう心から自分の人生を恨んだ。
そして、僕は父親に聞いた「オトン家帰りたい?」と、父親は当然「そうやな。帰りたいな。」と答えた。
そうして僕はまた、転職したての施設を試用期間で辞める事になった。
そこから現在に至るのだ。近いうちに死を覚悟していた父親が、自宅で生活する準備。結局なんとか要介護2の判定がおりて、その範囲内でのサービスについての話し合い。自分自身の引越し、ハイツの退去の手続き。
慌ただしく時間は過ぎて、そんな中でも、ここは良いなと思う施設から採用を貰い、父親との二人暮らし開始と共に働き始めた施設での
パニック障害再発。「ほんまに最近の俺は何かに呪われてんのか?」と心底嫌になった。
そして試用期間でそんな状態になった職員はいらないと判断されて、当たり障りなく自主退職を促されて、それに従って僕はその施設を辞める事を余儀なくされた。