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対人援助 悲しみを見せるか、見せないか
【Episode】
化学療法前、看護師により体調から生活全般まで広範囲にわたり聞き取りか行われた。
家族に病名を告げたか、その時の家族の様子はどうだったかという問いに答えた際、「そうか、そうか」と言葉は少ないながらも、看護師は悲しみに共感する表情を見せた。
淡々と聞き取りを進めていた中での出来事で、肝心なところを受け止めてくれたと実感し、信頼できる方だという印象を受けた。
【悲しみを見せるか、見せないか】
「なるほど。よく頑張り抜きましたね。
うん。うん。おつらかったですねえ。
いやいや、尊敬しちゃいますよ。云々」
おっと、寄り添い越えて覆い被さる勢いだぜ?のスタンスにならないよう気をつけてはいるけど、うっかり「やってます感」を得たい時なんか、ほんとあぶない。
傾聴も受容も張り切ってするもんじゃない。
バイステックなの?バイスティックなの?ナイススティックではないよね!の7原則のうちのひとつ「統制された情緒的関与」はやっぱ大事だなと。
援助者の表出がクライアントに「受容」の実感を与えて、関係性の構築やエンパワーメントにつながることもある。
その一方で、「このエピソードは人を悲しませるんだ」「こうすると褒められるんだ」という価値観や行動指針の押し付けにつながる可能性もある。
またクライアントが「この人を悲しませたくない」「喜ばせたい」という援助者に対する思いから、実情をうやむやにすることも考えられる。
援助者も感情を持つ。持っていいし、持たないわけないし、ていうか持たないと。
ただ、その感情をどういう理由でどう表出するか或いはしないか、なんだけど…難しいな。がんばろう。