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#8. 自由解放宣言区

最近特に思う事があります。
「自由」に対する責任。

結論としては、
その「責任」って、
周りの誰かが「自由」を羨んで、
その「自由」を拒むため(?)の、
「責任」といった言葉なのかなぁとふと思いました。

その「責任」ってのは、

所謂、家庭があるのにーとか、
それらを蔑ろにしてーとか、
どう考えても理屈として間違っているー、

みたいな、
そういった類も込みです。

その間違っていると言う答えの根っこの部分って、
本当はそうしたいけどできないストレスや、
「常識」といった言葉に囚われてはいませんか?

俺はそう感じてしまって思いました。

振り切ってしまうことは簡単ではないと思います。
ただ、
その思いを捨ててしまえるほど、
軽い気持ちや思いでもないと思うのです。

そしてそれを「思ってしまう」人の共通点を発見しました。たぶん。

「無自覚・無意識レベルでの責任感の強さ」
ではないでしょうか。

そして、
責任感の強さ故に、
いつの間にか自分自身を放棄して埋め立ててしまったのではないでしょうか。

気付けば言えない本音や、
踏み出したいと思ったのに立ち止まってしまうループに閉じ込められてしまっている気がします。

気がしただけで気のせいなのかもしれません。

改めて考えました。
「自由」とは。

いろんな形があって良いと思います。
周囲の人に理解されて協力してもらえたら最高の理想形です。

思いは重くなっていくのに、
閉じ込めたまま色褪せて、
いつの間にか、くたびれてしまった自分が、
本音を言えずに思うように生き抜けずに終わりを迎えるのは、
とても嫌だなぁと思いましたもん。

純粋に、

辛ぇ…。

なので、
タイトル通りです。
自由解放宣言区。

ありのままで気持ちを抑え込まないで素直に生きたい生きていたいなぁと強く思いました。

無責任な人になりたい、
そういう訳ではないのです。

気持ちが向く方向へ、
好きなように生きたいなぁと強く思いました。

そんな酔っ払いの夜。

これは黒歴史になるほど恥ずかしい話なのでしょうか?
なんてそんな些細なこと考えるのが勿体ない。

うぉぉぉっ…!!
生きるぅぅぅっ🔥🔥🔥🔥🔥

では。

🤟

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